EP4 直接対決

第三十九稿 どうぞご自由になさってください

「れな……。ねえれな」


 その声と熱い息遣いで目が覚めた。

 外を見ればすっかりと明るくて鳥のさえずりが聞こえてくる。覆い被さるように迫ってきていたのはもちろん遠坂さんで、視線を外しスマホを見ればアラームの鳴る直前の時刻になっていた。


「ん、おはよ。朝からどうしたの?」

「あのさ」


 唇が触れそうな距離まで彼女が近づいてきている。

 目を擦りながらその様子を見ていると顔が赤く染まっているのがわかった。


「あれ、もしかしてまた風邪? 熱測るからちょっと待っててね」


 ゆっくり起き上がろうとすれば腕を力強く抑えられ、すぐに押し倒される形になった。その真剣な眼差しに思わず動きが止まる。


「そうじゃなくてさ、私は今すぐにれな成分を補給しないといけない……」

「えーっと、それってどういう意味?」

「最近タイミングも合わないし、昨日だって限界まで待ってたけど……寝ちゃったから」


 はあはあと深い息をさせながら、遠坂さんは私の唇に人差し指を這わせた。いつもならしないような仕草にごくりと唾を飲み込んで、なんとなく言いたい事が伝わってくると顔に熱を帯びていった。


「あ、でも。これからお弁当作らないといけないし……すぐにってわけにはいかないよ。さすがにわかるよね?」

「今日はなくても大丈夫だから。ねえ、れな。こんな事して私を軽蔑した?」

「するわけないでしょ」


 それからはお互いの熱を冷ますように唇から始まって、誰にも許す事のない敏感な部分同士が触れ合う。

 そうしてどのくらい時間が経っただろう。汗ばんだ身体が大きく跳ねて、震えるような余韻のなか掛け時計を見れば遠坂さんの出社時刻が近づいている。


「ちょ、ちょっと日向……。続きは夜にしないとまずいんじゃない?」


 息も絶え絶えに私がそう訴えかけると、


「え? あぁ……ごめん! 夢中になりすぎちゃったみたい」


 遠坂さんはようやくいつものような表情に戻っていた。

 汗だくになった体をシャワーで一緒に流したあと、朝食を摂った彼女とキスをすると慌しく出社していった。


「よーし、今日はいっぱい好きなもの作ってお出迎えするぞっ!」


 静かになった自宅のリビングで気合いを入れると私の1日は始まりを迎えた。



 午前中の作業は滞りなく進んでいく。夜過ごす時間を思い浮かべればむしろ絶好調といっていいかもしれない。誰からの横槍も入らない事もあって集中が持続しているのがわかる。

 2時間ほどが経ち、黙々と進めていくうちに少しだけ外に出たい欲求が出て来始めた。職業柄、基本的には外から出ない生活なわけで、おまけに締め切り日が近づくにつれて誰とも顔を合わせない日が増えていく。

 いよいよ出かけるにはちょうどいいタイミングなのかもしれない。


 そんなわけでいつもの特売スーパーを通り過ぎて、少しお高いところへと歩を進める。がつがつむしゃむしゃと、今日は絶対にあの満足そうな顔を私だけのものにしたい。だからこその英断だと自分に言い聞かせ意気揚々と入店した。


「ありがとうございましたー」


 いつもよりお高い野菜とお肉の重みを肩に感じる。

 戦利品の入ったマイバッグをさすりながら足取りは断然軽い。満足感とともにお店から出た帰りの道に一軒のファンシーな喫茶店を見つけた。外観からすぐに心が落ち着きそうな佇まいを感じて、遠坂さんと一緒に本を読んで穏やかに過ごす場面が浮かんできた。そう思っていると私は自然とお店に吸い込まれていた。


「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」

「このケーキセットください」

「お飲み物は?」

「えっと……コーヒー。あ、ブラックで!」


 いつものカフェラテに意識がいってしまったけれど、やっぱり彼女と同じものを選ぼう。最初は苦手だったブラックコーヒーも飲む機会が増えて段々と慣れつつある。


「あ……」


 ケーキを何口か食べて、コーヒーが半分くらいになったところでお店の扉が開いた。続けて入ってきたのは名前が泉という事しかわかっていないあの女性で、先日遠坂さんが迷惑そうにしていた人だ。


「あら、この間の。お名前は何と言いましたっけ?」

「蓮見です」

「蓮見さんね。この際あなたに1つ尋ねたい事があるのですけど……ご一緒しても?」

「私は構いませ――」


 泉さんは返事をし終える前に正面に座ると店員さんを呼んだ。無言のなか、絞り出すような私の愛想笑いに応じる様子はみられない。それどころか、頭のてっぺんからつま先までじろじろと品定めをするような視線といい彼女からは変に圧を感じる。


「それでお話というのは……?」

「単刀直入に申し上げます。蓮見さんと出会った日以来、いつもの店で日向さんと遭遇する事がなくなりました。そこで、どう見ても部外者だろうあなたがどうにも怪しいと思い始めました。何が目的なのですか? 今すぐに答えてください」


 凍えるような眼差しに少しだけ動揺してしまった。けれど、遠坂さんの心情を思えば、事実とは違い釣り合っていると思われていない私にだって思うところがある。


「何の話ですか? 私にはさっぱり……」

「とぼけないでください。私はあなたが日向さんを騙しているのではと問うています」

「あの、さっきから思い込みで話を進めてません? あなたに日向の何がわかるというんです」


 この人には何があっても負けたくない。


「あらあら、気弱そうなお顔に似合わず言いますね。思い込みと言うのにはよほどの根拠がおありなんでしょうね?」


 やれやれといった風な振る舞いからは、いまだ自分が優勢のような態度が透けて見える。


「あなたと争うつもりはないですけど、これだけは言っておきます。日向があなたになびく事は絶対にありません」

「へえ、それはたいした自信ですね。ではそれに至るまでの理由を聞かせて頂けます?」

「私達、同棲してるんです。だからもう、これ以上の根拠とか自信とか理由っていらないですよね」

「は? はぁ……? 今なんと?」


 そう言い放つと泉さんからはこれまでの笑みが消えてなくなった。角の立たないうちに立ち去るのがいいだろう。


「それでは、もう会う事もないでしょうけど」


 私は立ち上がり店を出ようとした。


「待ちなさい! そんな作り話にこの私が騙されるものですか。彼女に会って、絶対にその虚言を暴いてみせますからっ!」


 今までとは打って変わって、目を大きく広げた泉さんが静かな店内に関わらず大声を上げると周囲がざわついた。


「そうですか。どうぞご自由になさってください」


 後腐れのないように彼女の分までお代を支払い、両親や友達と喧嘩すらした事のない私はいつも以上に興奮気味に店をあとにした。

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ヒロインと絶対に結ばれる百合コメ! ひなみ @hinami_yut

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