第三十八稿 今日だけ何でも言う事聞いてあげる!

「いらっしゃい、せんぱーい! さあさあアタシと再会のハグをしましょう!」

「だから、そういうのはしないっ」


 家に入った途端、両手を広げ近づいてきたアニエスに体当たりする。背後からのぐえっという声を耳にしながら、私はそのままリビングへと抜けていった。


「いやー、さっきの先輩闘牛みたいでしたよ。久しぶりの当たりの強さに改めて痺れました!」

「はいはい。用件ってそれだけ? だったらお土産だけもらって帰るけど」

「いえいえ、大事なのはこれからです。ちょっと掛けてお待ちくださいね!」


 アニエスが衣装部屋に入るとすぐにバタバタと物音が響き渡った。テーブルに置かれたお茶を一口飲みつつその様子を訝いぶかしんでいると、


「コレですこれこれ! どうですか?」


 戻ってきた彼女が目の前で一回転した。白を基調としたロングドレスの裾が柔らかく揺れて目を奪われる。


「新しい衣装? 本当、そういうの相変わらず似合うよね」

「そうでしょそうでしょ! ってあれ……感想それダケです?」

「なんかそれ、どこかで見たような気がするんだけど気のせいかな」


 そう言いながら、テーブルに頬杖をついて記憶をたどってみるけれど出てこない。

 諦めて視線を向けるとアニエスはにこにことしている。


「ヒントです! これは先輩と関係のあるキャラクターです」

「え、私となんだ? えーっと……」

「5、4、3、2、1……ざぁーんねん。タイムアップです! 正解は、先輩のWEB漫画のお姫様でした!」

「んん……!?」


 飲んでいたお茶を吹き出しそうになった瞬間、正面のアニエスはくるくると華麗にテーブルから退避していった。

 スマホを取り出してイラスト投稿サイトのものと見比べると確かに似ている。


「ほ、本当だ……! ねえアニエスこれ!」

「ふふ、やっとお気づきのようですね。あまりにも可愛らしかったもので、全力で再現させてもらいました!」

「ていうか、このアカウント私のだってどこでわかったの?」

「SNSでちょっと話題になってたのを知らないんです? 絵柄見てたらすぐに先輩だってピンときましたよ~」


 通知を見ると確かに反応がこれまでよりも多くついている。


「1ヶ月くらいこっち見てなかったからかなー」

「そういうコトだったんですね! それでそれで、続きはまだでしょうか?」

「最近ちょっとそれどころじゃなくてね。もしかして、アニエスも気になってたりする……?」

「もちろんですよ! 時間が掛かってもいいので完結までお願いします!」


 私の手を握る彼女は満面の笑みを浮かべている。

 衣装を作ってくれた事もだけど、身近な待っていてくれているという事実だけでなんだか嬉しくなってしまった。


「アニエスぅ~。今日だけ何でも言う事聞いてあげる!」


 そのせいで、普段口にしないような言葉が出てきてしまったのは気のせいではないはずだ。



 彼女に連れられたのはいわゆる大衆居酒屋といった感じで、いつものところとは明らかに客層が違う。これまでにあんまり来た事のない雰囲気のお店だ。


「こういうとこ行くんだね。なんか意外~」

「ふふ、ついにアタシの意外性が発揮されましたね。あ、でもいつもじゃないですよ? 1人で黙って飲みたい時だけです!」

「あのアニエスにもそういう時ってあるんだ……。ところで何か話があるんだったっけ?」

「まあまあ。とりあえずはカケツケ一杯です!」

「それなんか意味違うから!」


 勧められるままに飲み進めていくうちに楽しくなってきて、いつも以上にふわふわとして心地いい。


「実はアタシ、恋人と別れちゃいました」


 それは飲み始めて1時間した頃だった。


「え……。あれ、でもうまくいってたんじゃなかったっけ?」

「そう思ってたのはアタシだけだったみたいで、向こうは距離を感じてたみたいなんですよね~」

「アニエスはそれでいいの……?」

「もちろん何度も話し合いましたし、その結果ダメでした。ふふ、やっぱりアタシには孤高が似合ってるんですね! そんなコトより先輩、まだまだ夜はこれからですよ!」


 元気よく振舞う彼女の姿がなぜだか少し痛々しく感じる。

 明るいキャラクターの裏側でいつも必死に踏ん張っているのかも。想像でしかないけれどそんな気がしてならない。


「うんうん、まあ今日はとことん付き合うつもりだから!」

「あ、でも日向サンと暮らし始めたんですよね? もう7時ですし……1時間くらいしたら終わったほうがよさそうですか?」

「ほら、ちゃんと了承得てるから心配しなくて大丈夫。今日はずっとアニーといるつもりだから、時間なんて気にしないよ」


 言いながら遠坂さんから来た返事を見せる。


「あ……アタシちょっとお手洗いに行ってきますねぇ~!」


 その言葉はいつも以上に間が空いて返ってきた。

 1人店内を見回して、周囲の音を聞いていると退屈しないどころか賑やかで楽しげだ。彼女はきっとこういう雰囲気が気に入ったのかもしれない。


「先輩お待たせしました。急にカラコンがずれちゃって! あー、目が痛くて痛くて困っちゃいました!」


 目を真っ赤にしたアニエスが戻ってくるといつものように笑いだした。


「ねえもっと色々話そ!」

「もちろんそのつもりです。いいですか先輩? ここからが本番ですよ!」


 高校の頃や卒業後、それから近況や将来的な話。

 しなくてもいい話までしちゃったのはアルコールのせいだろう。

 お店の喧騒に紛れるように、お互い大騒ぎするくらいのテンションで楽しい時間を過ごした。


「すっかり遅くなっちゃいましたね~」

「また飲みたい時はつきあってあげるから言って!」

「ホントに遠慮せずにお誘いしますよ? ……今日わかりました。先輩を好きになったのは絶対に間違いじゃなかったです」

「えーっと……」


 唐突に真剣なトーンで言葉を向けてきたアニエスに返す言葉が見当たらない。


「あ、スミマセン! それでは日向サンによろしくお伝えくださーい!」


 彼女の家のドアが閉まるのを見届けたあと、自宅に戻った私はそのまま遠坂さんの眠るベッドにもぐりこんだ。

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