第三十七稿 でも事実だもん!
母親との通話を終えてベッドへ飛び込む1人の夜。
かつての私はイヤホンから流れる音楽を聞きながら、アイマスクで視界を塞がなければすぐには眠れなかった。
朝を迎えると決まってシーツは蹴飛ばされていて、鏡に映った両目は真っ赤に充血していた。きっと悪い夢を見ていたのだろうけど覚えてすらいないし、ましてや話せる身近な家族はいない。
それはこの家に1人になってからの習慣で、いつからか諦めなければならないものだと思い込んでいた。
けれど遠坂さんと一緒に住むようになってから変化が訪れた。
深夜、ふと目を覚ませばすうすうと聞こえる寝息としっかりと握られた手の温もりがすぐ側にある。それを思えば心地よさだけを感じて、彼女と一緒に溶けて一緒になるように眠りに落ちていった。
アラームをすぐに掴み止める。いつもなら気だるいまどろみの中、体を起こすとすぐに頭が冴えてきた。ここまですっきりとした目覚めは中学3年の時以来だ。
眠る彼女の頭を優しく撫でて額にキスをする。
彼女のくれたものはきっと目に見える物だけではないのだと思う。
起こさないようにそっと寝室を後にした。
「れな、おはよう」
朝の6時。
キッチンで準備をしていると背後から声が聞こえた。
「おはよ日向」
「あれ、それってお弁当……?」
朝に弱いらしい寝ぼけ眼の彼女は私の背後に立って呟く。
「そうだよー。好きなものいっぱい入れるから、これからは毎日持っていってね!」
「あ、じゃあ私も手伝おうか?」
「ううん、大体は済んでるから大丈夫だよ。まだ時間早いし日向は寝てて!」
「私も何か役に立ちたいな。ねえ、朝食の準備は?」
エプロンを身につけた遠坂さんは私をじっと見つめている。
「それはこれからだけど……手伝ってくれるの?」
「全部任せるわけにはいかないし今後は分担していこうよ。それに私だってれなに喜んで欲しいから」
朝の7時。
テーブル正面の彼女と同じようにトーストを齧る。ほんのりとしみこんだハチミツの甘さを噛み締めて微笑み合った。
「じゃあ今日もお互い頑張ろう!」
「うん、帰る時にまた連絡入れるね」
行ってらっしゃいのハグをして手を振り、家のドアが閉まると気合いを入れなおした。
昼前の11時。
『先輩お久しぶりです! ついさきほど帰国しました。見せたい物があるのでこれからちょっとダケ会えませんか?』
『アニエスごめん。今は仕事中!』
『お姉ちゃん。ちょっとお話したいんですけどぉ~』
『莉子ちゃん、今学校からだよね。お姉ちゃんとしてはそういうの感心しないな。お家に帰ってきてからならいくらでも話そ?』
長引かないようにすぐに切り上げる。
相変わらず誘惑は多いけれど、職場では遠坂さんが頑張っていると思えば集中が持続する。
ただ1つ、まりもからの返事がなかったりするのは気がかりではある。
昼の12時。
一応の区切りがついて、テレビを見ながら朝のお弁当の残りを口に運んでいるとスマホが鳴った。
『れなの愛妻弁当美味しい。ねえ見て見て、あっという間に半分食べちゃった』
画像とともに舞い込んできたのは遠坂さんからのメッセージだ。
『ちょっと、その言い方照れるんですけどー』
『でも事実だもん!』
『まあそうだけど……。あ、夜は何食べたい?』
『今日はれなの好きなものがいいな』
『わかった! じゃあ楽しみにしといて!』
晴れやかな気分で外に出ると、まるで私の心を映しだしているような青い空が広がっている。
何が1番喜んでもらえるかを考えているうちに目的地に着いていた。
「あらあら。あなた蓮見さんじゃない?」
近くのスーパーで野菜を物色していると、料理教室の先生である
「あ、こんにちは先生。奇遇ですね~」
「本当にねー。そうそう、あれからお相手さんとはいかが? 上手くいってる?」
「それが……一緒に暮らし始めましてぇ」
「まあ! 順調みたいで何よりだわ。そういえば、その相手の方の事」
彼女がそう口にした瞬間、
「これよりタイムセールを開始いたします! 本日お買い得の品は――」
店内放送が流れてきた。
「あらいけない、もうそんな時間なのね。さあ蓮見さん、いざ戦場よ!」
「え? あ、あの……先生ー!?」
彼女に手を引っ張られながら、人のひしめく売り場へと連れられていった。
その熱気にあてられて欲しくないものまで買ってしまった気がする。けれど、大満足と言わんばかりのその姿を見て、たまにはこういうのも悪くはないのかもしれないと思い始めた。
「蓮見さんにはまだまだ指導が必要のようね。それから、詳しい話はまた聞かせてもらうわね~?」
満足気に戦利品を手にした伊澄さんは颯爽と立ち去っていった。
夜の9時。
帰宅した遠坂さんとハグをする。
「ああ、帰ってくると明かりがついてるのってなんだかほっとするなぁ……」
そうこぼした彼女に親子丼を振舞う。それは私が昔から大好きで特別な事があると作ってくれた忘れられない料理だった。
「おかわりいーっぱいあるからね!」
「これ、すっごく美味しい……!」
一心不乱にかきこんだあと、口の端に米粒をつけた彼女はまるで子供のようにどんぶりを差し出して笑った。
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