第三十六稿 来ていたなら一声掛けてくださればよかったのに? ★

「それではこれで失礼しますね!」


 家への荷物や家具の運び込みが無事終わって、玄関先から業者さんたちが立ち去ろうとしている。隣に立つ遠坂さんと一息ついているとそのうちの1人が引き返してきた。


「あ、そうそう。お2人ともとてもよくお似合いですよ。どうか末永くお幸せに!」


 その姿に私達は深々とお辞儀をしたあとお互いに微笑み合った。


「でも、本当に私の部屋にしちゃってよかったの?」


 ドアが閉まるとすぐに遠坂さんが私に遠慮がちに問いかけた。

 と言うのも、新しく彼女の部屋となったのは以前父親が使っていた書斎だったからだろう。


「日向に使ってもらえるなら大歓迎だし、きっとママも同じように賛成するよ。それにね、思い出は心の中に残り続けていくからさ……そこまで気を使わなくても大丈夫!」

「れなにそう言ってもらえると嬉しいな」

「さーて、続きもやっちゃおっか!」


 そうして詰まれたダンボールを一つずつ片付けていくのだけれど、その途中で明らかに遠坂さんの動きが鈍っていく。その様子をちらちらとうかがっていると、彼女はついに動作を停止してしまった。


 私も同じように手を止めて遠坂さんをじっと見つめる。すると、徐々に彼女の体が小刻みに震え始めた。


「日向、今考えてる事当ててみせようか?」

「え……?」

「『お腹が空きすぎて何も手につかない……どうしよう。でも、それを自分から言い出すのはさすがに恥ずかしい』。こんなところかな?」


 彼女は無言でこくりと頷いた。いつもならお腹が返事をするところだけれど珍しい事もあるものだ。


「じゃあ一旦休んで何か食べにいこうね~」

「待ってて、支度すぐにしてくるからっ……!」

「ちょっとちょっと、そんなに慌てないでいいんだからね」



「あっ……」

 いつものお店に入るとすぐに遠坂さんからは声が漏れた。

 彼女の視線の先を見てみると、奥のテーブルでは女の人が周りのお客さん達の注目を集めながら大盛りパスタを美味しそうに食べている。


「日向、あの人もしかして知ってる人?」

「あ、うーん……。特に知り合いというわけじゃなくて、ここでよく見かける程度だよ」

「でも何か困ってそうな顔してない?」

「ちょっとね。でも、気づかれてないから大丈夫だと思う」


 そのあと遠坂さんに手を引かれ、できるだけ遠くの席に連れられて座った。


 私の方からはさっきのテーブルの様子が見える。遠坂さんが注文したオムライスを食べ始めてからは、合間合間に向こうをじっと見ていたけれどなかなかの食べっぷり。それはまるで彼女を彷彿とさせるほどだ。


「ねえねえ、さっきの人とここで何かあったとかなの?」

「本当大した事ではないんだけど……」

「それでもいいから聞きたーい!」

「ええとね」

 遠坂さんが口を開いた瞬間、


「あ、やっぱり日向さんではないですか。来ていたなら一声掛けてくださればよかったのに?」

 例の大食い女性がすぐ近くに立っていて満面の笑みを向けていた。

 スプーンを落とした遠坂さんは完全に表情が固まってしまっている。


「……泉さん、前にも言いましたけど遠坂と呼んでくださいますか。話し掛けなかったのは食事の邪魔をするのはよくないと思ったからです」

「そんな遠慮なんてなさらなくても。あら?」


 泉と呼ばれた女性は私の方を見て首を傾げた。


「どうも初めまして~。蓮見と言います!」

「なんだ、お友達と一緒だったのですね。うんうん、それは声を掛けづらいですよね」


 彼女は私と一瞬だけ目が合ってすぐに遠坂さんに笑顔を向けた。

 なんだか意図的に挨拶を流されたようにも感じる。

 遠坂さんは彼女の言葉に何も反応する事なく残りを食べ始め、いつも以上のハイペースでお皿を空にした。


「れな、もう出よう」

「え、日向?」

「……いいから行くよ」


 彼女が会計を済ませるまでの間、私は泉さんの方に振り返って様子を見ている。

 けれどどことなく睨まれているような、気迫のようなものを感じると思わず背をむけてしまった。


「さっきの……泉さんにやたらと気に入られてしまって。できるだけ関わらないようにしてるんだけど、変にポジティブというかいつもああいう調子だから困ってる」


 近くの喫茶店に移動したあと、うな垂れる遠坂さんからは大きな溜め息が漏れた。


「だからあんなに塩対応だったんだ。確かに、話を聞かなさそうな雰囲気はあったかも知れないね」

「れなにも失礼な態度取るし……本当ごめんね」

「私は別に気にしてないから大丈夫だよー」

「お気に入りだったけど、あのお店はしばらくやめとこうかな……」


 再び溜め息をつく彼女に私がしてあげられる事はなんだろう。それを考え始めるとお互いに静かになってしまった。

 私は1つひらめいてスマホを取り出す。


「ねえこれ、少し距離はあるけど日向の好きそうなお店があるよ。それにこれからは毎日好きなもの作ってあげるから元気だしてこ!」

「ありがとれな。じゃあ早速」

「お、どこのお店行く?」

「荷解きも済んでないし、それはまた今度で大丈夫だよ」


 すっかり笑顔に戻った彼女とスーパーで買い物をして帰った。

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