俺は海の底

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

俺は海の底

 山海経せんがいきょうにはまだまだ沢山、我々の知らない神仙異形の類が記されている。だが山海経は魑魅魍魎ちみもうりょうの百科全書ではない。地理書である。ましてや麻雀の成立はたかだか二百年程度と伝統的なボードゲームとしてはかなり歴史の浅い部類だ。

 だから雀鬼じゃんきなんてものは当然載ってない。

 もっともここ、この場で雀鬼と呼ばれてるのは俺で、対面にいる呑雀鬼どんじゃんきと呼ばれる男こそ、山海経に載るにふさわしい異形だった。

「どうした雀鬼、もうあとがないぞ」

 ぐげげ、と人ならざる笑声をあげた呑雀鬼の見目みめ饕餮とうてつもかくやといわんばかりだ。

 新宿の西口、雑踏も届かない地下の雀荘で俺は天敵と対峙している。ずっと歌舞伎町をシマにしてきたが、気づいたらここに流れ着いていた。レートは歌舞伎町以上だが、白ポッチはなく、ウマは低い。より腕がモノをいうここが俺は気に入ったのだ。

 だが破竹の勢いで勝ち続けたのは最初だけ、冗談交じりに「また雀鬼がきたぞ」とメンバーに言われ始めた頃に、俺は天敵と遭遇した。

「おまえが雀鬼なら、俺はそれを喰う呑雀鬼だな」

 都合十連敗を迎える終局、見事に呑雀鬼に役満を振り込んで飛んだ俺に奴はわらった。

 悔しいことに呑雀鬼はヘボだった。見た目のいかつさとは裏腹に負け通しで、しかし俺に対してだけはべらぼうに強かった。負けがこんでくると満を持したように俺のいる卓へやってきて、今日も頼むよ、とうそぶくのだった。

 そしていま、俺はまた追い詰められている。


 奴さえいなければ、餅代を稼いで気持ち良く正月を迎えられるはずだった。メンバーいわく「片山さん(呑雀鬼と呼んでるのは俺だけだった)は年末年始は家族サービスじゃないですか? あんな見てくれですけど、結構マイホームパパなんだそうで」。実際師走にはポツポツとしか顔を出さず、中旬頃からはすっかり来なくなった。俺は順当に勝ちを重ね、常連からちょっとは手心くわえてくれよ、と苦笑されるぐらい調子が良かった。

 だが、あと数時間で大晦日を迎えるという時刻になって呑雀鬼はやってきた。

「よう、雀鬼、今宵はとことんやろうぜ」

 懐は充分潤っていた。できれば一矢報いたかった。新年を気持ちよく迎えるためそれから来年以降も強く打てるように。

 だが結果は惨敗だった。儲けはあっさり吸い取られ、しかし立ち去ることもできず、呑雀鬼の「あるとき払いでいいぜ」という言葉に頷いてしまった。大勝ちすれば逆転できる分水嶺はとうに過ぎ、それどころかただひたすらに借金を積み重ねていくだけだった。メンバーが心配して声をかけてきたのは最初だけ、そのうちむっつりと押し黙って卓を見守るばかり。

 不気味な雰囲気になり始めた卓は俺と奴以外はころころ面子が入れ替わり、そのうち亀と呼ばれる常連の男と最古参のメンバーに固定された。亀は無邪気に飲雀鬼や俺からぽろりとあがっては、あははラッキーと喜んでいた。よほど暇を持て余してるらしい数人の常連とメンバーだけを残して、音を発するのはこの卓だけ。最年少のメンバーも時計を気にするのを諦め、呑雀鬼の後ろの卓からだらしない格好で局面を眺めていた。

 せめて一撃だけでも、という思いと、はやく楽にしてくれ、という矛盾した想いを抱えたまま、それでもできるかぎりの集中力を向けて山から牌をつもり、河に捨てる。呑雀鬼からは高めの気配があり、しかし俺も退くわけにはいかないところまで来ている。

 あと二向聴リャンシャンテン四暗刻スーアンコー単騎の形。

 緊張で喉がヒリヒリする。取れても逆転にはまだ遠く、だがここがもう最後の山場だろう。一打一打に魂を込めて俺はツモる。

 テンパイの気配は早々にあったのに、呑雀鬼のほうもいっかなツモれずにいた。場はもつれ、俺は念願の役満をテンパイし、そろそろ山が尽きる。ほぼ盲牌のみでツモ切りする俺の打牌に呑雀鬼が一喜一憂する。そうしてラス前のツモがスカって俺は流石に観念する。放出されるはずのない牌に最後の望みを託すほど、それからラスで引けるほどの豪運を俺は期待していない。この店に流れ着いたものは、そもそも豪運を頼みにするものは少なく、腕を頼みに勝負を仕掛ける連中ばかりなのだ。

 たとえば呑雀鬼みたいな奴をのぞけば。

 しかし直撃でなければ御の字だ。新年早々、借金まみれだとしても。

 呑雀鬼は気合を入れて牌をツモり、しかし観念して河へ捨てた。ラス牌は案の定、空振りし、そうして呑雀鬼もツモれず、親流れはせずに済んだものの、むしろ針のムシロだった。

 と思いきや、

「あ、ツモりました」と亀がいった。「メンホン、三暗刻サンアンコー、チャンタ、ハク、ペー、ドラ3に、海底ハイテイがついて、……数え役満です!」


 そして俺は海の底。

 アガった亀に連れられて「海の底」に来てみれば、絵にも描きたくないような化物揃いだった。

 もう明け方も近いというのに年の瀬のせいか歌舞伎町に雑踏の絶えることなく、それよりもなおやかましいキャバレーの店内。

「いやあ、まさか亀さんにアガられるとはなあ」ゲハハと呑雀鬼は笑い、「まあしょぼ手だったからいいんだが」

 じゃあなんであんなに気合入れてたんだ……。

「今日はわたしのおごりです、ま、あとで雀鬼さんと片山さんからたんまりいただきますし」

 山海経に描かれるような化物に囲まれて、俺はやけくそとばかりに酒を掲げた。

「大晦日に、それからやってくる新年に乾杯!!」

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