Mystery meets Menschheit.

私は作品を感覚でとらえるくせがある。

ですので、西野ゆう氏の意図されている部分と相違があるかもしれないことを前もってお断りしたうえで、私の受け止めた「太陽のアイスバイン」へのイメージをお伝えする。

一読目、社会派ヒューマンドラマとしてうけとった。

いうまでもなく、西野氏はシナプスのひとつひとつまでとことんミステリーの方なので、冒頭から提示されるごくごくさりげないミスリードは、視界に入らないほどささやかに散りばめられている。

星の砂を踏むような心持ちで、ほとんどの読者はそれらに気づかないうちに海に足を浸しているだろう。気づくのは、脛あたりまで浸水してからだろうか?

サブプロットかと思わせる「私」の状況と、
メインプロットかと思わせる「少女」の登場、

これらが寄せては返す波のように美しくさざ波立って、入れ替わっていく。

私の分析が間違っていなければ、これは意図的。もしくは天性のミステリー感性。

そこが日本でもスイスでもないこと、ダミエルがイタリア人であること、アイスバインに本来使われないトマトが入っていること、アイスバインがドイツの料理であること、そのすべてが必然で、ミステリーとはそういうものではあるのだけれど。

感じ取れるのは、そこへ、この題材を持ってきて、中心へ置いており、語り方としてサスペンス的要素を取り入れていること。

無駄なものがないように見えて、おそらく「無駄」の存在を認めているのだと感じる。私はすくなくとも、自身でミステリーを書こうとするとき、そこをめざしている。

表したいのは、表しきれない人間の無限の感情とそこへ至るべき境地。

オチがとても文学的です。

これまで拝読した西野ゆう氏の物語のなかで、一番好きでした。

ありがとうございました。