第4話
翌朝、ミカはサトシに叩き起こされた。
「ミカ、飯!」
はいはいとミカはいつものように鍋にお湯を沸かして味噌汁を作り始めた。ご飯をたいて、お握り用の海苔をあぶった。海苔をあぶらないとサトシに平手打ちにされるので、この作業は絶対にやるようにしている。
私がいなくなったら、サトシは自分でご飯作れるのかな? 自分で洗濯機を回せるのかな? 外食ばかりになって身体壊したら可哀想だな。
ミカは、いつもよりご飯を多めに炊いて、お握りをたくさん作った。具はサトシの好きなシャケ。卵焼きと肉じゃがも作ってタッパーに保存し、自分がいなくなっても数日はサトシが生き延びられる準備をした。
「サトシ、肉じゃがはじゃがいもが日持ちしないから早めに食べてね」
「おう、ミカありがとな」
サトシはミカのほうを見ないでテレビを見ていた。
あっという間に時間がたち、いよいよ天に召される会場へ出掛けることになった。
「俺、今日付き人だから国から特別休暇もらえたんだぜ。凄くない? 働かなくてラッキーだぜ」
「凄いねぇ。サトシが付き人で本当によかったな」
ミカは持っている服の中で一番綺麗な服を着て、靴もセールで買ったもののずっと勿体なくてはけなかった新しい靴を履いた。メイクも丁寧にし、髪にもオイルを塗って毛先だけ巻いてみた。
サトシ、私がお洒落してるの気づいてるかな? 手を繋いで通りを歩いているとまるで昔の頃に戻った気がした。サトシがまだミカに優しかった頃のことを思い出して、ミカは切なくなった。サトシと最後にお洒落して街を歩けて嬉しいな。幸せだな。ミカが微笑んでいると、サトシが急にビルの角を曲がった。
「サトシ?」
サトシはミカの声を無視してずんずん進んでいく。
「サトシ、天に召される会場はそっちじゃないよ、どこ行くの」
サトシの顔を見るとサトシはにやにやしていた。
「いやあ、俺思い付いちゃってさ」
サトシが向かった先は街のはずれにあるラブホテル街だった。ミカは鼓動が早くなった。
「神様に召される前に、俺が一発やっておかないとなぁって思ってさ。なんか神聖なものを犯すのって興奮するじゃん? ミカともぜんぜんセックスしてなかったからさぁ」
確かにサトシとは一年くらいしてなかった。理由は、ミカに性的な魅力を感じなくなったからだと言っていた。ミカはそれでもサトシが一緒にいてくれればいいと思っていた。そんなサトシが今、私とセックスしたいと言っている。天に召される前の私の身体を欲している。私を犯そうとしている。ミカはサトシの行動が理解できなかった。
昼間なのに薄暗いラブホテルに入ると、受付に女とも男ともわからない人がいて、「ご利用時間は?」と聞いた。待って、サトシ。待ってよ。ミカはなんだか目がチカチカした。
「あー、時間ないんでショートで!」
サトシは金を払うと、硬直したミカの手を握りエレベーターのボタンを押した。どうして今日なんだろう? どうして今なんだろう? ねえ、サトシ。どうしていつも一人で決めちゃうの?
部屋に入るとサトシはミカを押し倒して、乱暴にキスをした。ミカの新品の靴がさとしのスニーカーで踏まれた。ミカが着てきた繊細なフリルが施されたワンピースを見て「こういうの脱がせにくいから着てくんなよ」とサトシは舌打ちをした。ミカの胸にサトシのごわついた手のひらがあたる。
ミカは泣いていた。なんでだろう? なんで私泣いているんだろう? 好きな人とセックスできるのに、サトシとセックスできるのに何がこんなに悲しいんだろう。 ああ、もうすぐ天に召されるのに、私は一体何をしているんだろう。汚されたくない。これ以上サトシの欲望に汚されたくないよ。
その瞬間、腟に鋭い痛みが走った。ミカは自分の身体に何が起こったかを悟った。味噌汁の味がするサトシの唾液が口に流れ込んで、鼻水と涙とぐちゃぐちゃになっている。サトシは身体を激しく動かし始めた。
痛い、痛いよサトシ。なんで優しくしてくれないの。なんでいつも
「なんでいつもこうなのよ!」
ミカは叫びとっさにベッド脇にあった灰皿でサトシの額を殴っていた。サトシはぐうっと唸り、腟を圧迫していたものはみるみるうちに小さくなっていった。
「ああ!」
ミカは自分のやったことに気がつくと、頭を抱えて絶叫した。
「いやああーーー! いやああーーー! いやああーーー!」
絶叫している間、サトシはびくびくと痙攣し、嘔吐していた。口から今朝食べたお握りの米と海苔が出てきて異臭を放った。ミカはそれを何もしないで見ていた。
ミカの頭にはある思いが浮かんでいた。
「サトシなんて死ねばいい」
そう思った瞬間、ミカの視界は真っ暗になった。
ミカはサトシを殺した後、ラブホテルの薄汚れた暗いシャワー室で身体を洗った。サトシの血液が渦を巻いて排水溝に流れていった。私は人を殺してしまった。こんな私が天に召されていいのか。私はいつも誰かに親切にしてきた。家族にも会社の人にもサトシにも。でも、そんなサトシを殺してしまった。サトシのことを死ねばいいと思ってしまった。だって赦せなかったから。神様が選んでくれた神聖な私の身体を汚そうとしたから。ミカの「困っている人には親切にしなければならない」という信条は、サトシの殺害によって崩れ去った。
その後、ミカはサトシの遺体を抱いてひとしきり泣いた。サトシ、ごめんね。あなたのこと大切にできなくてごめんね。殺してごめんね。あなたのことを赦せなくてごめんね。
ミカがラブホテルを出ると、既に太陽は真上にまで上っていた。天に召される会場である大きな公園に歩いて行くと、たくさんのSPや警察、マスコミややじうまが群がっていた。ミカが人々の間を歩くと、多くの人がミカに尊敬の眼差しを送り、お辞儀をした。そんな目で私を見ないで。ミカは心が張り裂けてしまいそうだった。
公園の中央には、神様がいた。あの日と同じジャケットとスラックスをはいている。神様の後ろには虹色の光輝くもやが見え、ミカは眩しかった。
「笹木ミカさん、あなたは今から天に召されます。準備はできていますか」
神様がおっとりとした口調でミカに聞いた。
ミカは少し押し黙った後、会場に聞こえるような大声で「いいえ」と言った。会場にいた多くの人がざわめき、神様は目を丸くした。
「私はさっき恋人を殺しました。私は、人には親切にするという自分の考えを守りきれなかった弱い人間です。恋人のことを赦せなかった凡人です。私が神様に召される資格はありません」
そう言うとミカは、公園の脇の大道路に飛び出した。曲がってきた大きなトラックが、小さなミカの身体に激突し、ミカの身体は半分になって宙に舞った。
ミカのお気に入りの服は八つ裂きになり、パンプスは道路に転がった。空からミカの半分になった身体が内臓と血液とともに落ちて、鈍い音をたてて道路に広がった。
会場は人々の悲鳴が行き交い、泣き叫ぶものや多くの怒号が飛び交った。中にはミカの死体をスマホで撮影するものもいた。
「信じられない」「神様に召されるのを断るなんて、何て女だ」「人を殺しているなんて犯罪者じゃないか」「こんなやつ神に召される資格なんてない」「死んで当然だ」
人々が好き勝手なことをいう中、神様は肩を落とし、転がったミカの頭部へゆっくりと近づいていった。人々は神様を凝視した。半分になったミカはかろうじてまだ生きていたが、苦しそうだった。神様は、ミカの耳元である言葉をゆっくりと囁くと、ミカは微笑んで安心したかのようにゆっくりと目を閉じ、息を引き取った。
それはとても暖かな日差しが降り注ぐ冬の火曜日の朝だった。
神様がミカに何を言ったのかは二人以外誰もわからないという。
End
神様の話 紅林みお @miokurebayashi
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