第10話 山の声
「山の主が話し掛けてくるだって?」
オレは怪訝な顔で、田沢の顔を見た。
「う、うん。じいちゃんが言ってた。
この山に登ったら、山の主が、話し掛けてくるかも知れないって」
田沢がうなずく。
オレは周囲を見回した。
今いる場所は、里山の中腹あたりである。
小さな空き地となっていて、山菜を採りに来たオレと田沢は、その辺りに転がっている岩に腰を降ろし、休憩をしていたのだ。
この里山は、田沢の祖父が所有しており、山菜取りの許可はもらっている。
「山の主って何だ?」
「し、知らない。
でも、それは良くないことだから、山の主が話し掛けてきたら、すぐに逃げろってじいちゃんが言ってた」
……山の怪異とか、そう言う怖い話なのだろうか?
田沢の説明がヘタクソなため、どうにもピンとこなかった。
「昔さ、じいちゃんの伯父さんにあたる人が、山の主に話し掛けられても、逃げずに返事をしたらしいんだ。
そしたら、山に呑み込まれたって言ってた。
山の主は、怪物なのかも?」
「……もしかして、あれかな」
「分かるの?」
オレがつぶやくと、田沢が驚いたような顔になった。
「たぶん、地滑りや土砂崩れの前兆のことを言ってるんだろうな」
「前兆?」
「ほら、大雨が降った後、山の斜面が崩落したってニュースが流れたりするだろ」
「うん」
「そのとき、地滑りの前兆で、山の斜面からブチブチと音が聞こえることがあるらしいんだ。地面の中の樹の根が切れる音だよ」
オレは座っていた岩から立ち上がると、田沢に説明をしながら空き地の端へ移動した。
今いる場所は、標高100メートルほどだろうか。空き地の端から、斜面の向こうを眺めると、田畑や県道、点在する住宅や倉庫が小さく見える。
「根が、切れる音?」
後から田沢が問う。
「雨で地盤がゆるんで山の斜面がズレ始めると、ズレた分だけ樹の根が引っ張られて、地面の中で切れちまうんだよ。
その音が、地面の上まで届いて、ブチブチと聞こえてくるって話なんだ。
この音を、山の主が話し掛けるって例えているんじゃないのかな。
地滑りの前兆だから、すぐに逃げなきゃなんないだろうし」
「でも、伯父さんは、山に呑み込まれたらしいぞ」
「地滑りに巻き込まれたことを山に呑まれたって言っただけだろ」
オレは振り返らず、麓に目を向けたまま答えた。
もしかしたら、あの田畑も、土砂に呑み込まれたことがあるんだろうか……。
視線を近くに戻せば、田沢と二人であがってきた細い山道が、樹々の間に見える。
「なるほど。おもしろい話だな。
だけど、本当に山の主がいたとは考えられないか」
……あれ、何かおかしい?
オレは、違和感を覚えた。
……田沢は、こんなしゃべり方をしない。
そのとき、樹々の間に見え隠れする人影を見て、オレは身を強張らせた。
田沢である。
田沢が必死で山道を駆け降りているのだ。
「腹を減らした山の主が、登ってきた人間に話し掛けたとは考えらぬかと聞いておるのだ」
後から野太い声がする。
どこか高圧的で、嘲笑うような響きがある声だ。
オレは恐怖で動けなくなった。
いつからだ……。
一体、いつから、声の主が変わっていたんだ……。
「なあなあ、丸呑みにしてもよいか?」
真後ろまで近寄って来た声が、生臭い息と共にそう言った……。
ショートショートの小袋 七倉イルカ @nuts05
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