しょうがないから、

すなさと

episode

「帰るの?」


 隣で座る彼はそう言って、ソファーから立ち上がった私の指先をぎゅっと掴んだ。


 でも、彼には別に好きな女がいて、その彼女には別に好きな男がいる。


 だから、どうにもならない恋なのだ。これは。

 彼にとっても。私にとっても。




 ここは彼が住むマンションの一室で、ついさっきまで二人で流行はやりのドラマを見ていた。すれ違いを繰り返し、それでもご都合よろしく想いが伝わって、最後は愛し合う二人がちゃんとくっつく話。


 くだらない話、だと思う。

 なぜなら、現実はそんなに甘くないことを嫌というほど知っているから。


 今日は朝からずっと雨が降っていた。

 外に出かけるような日でもない。それで彼と二人、日がなソファーに並んで座り、画面の中で繰り広げられる馬鹿馬鹿しい男女の物語をぼんやりと眺めていた。ぶっちゃけ、アクビが一つで済んだのは奇跡に近い。


 それでも、終わってしまうとなんだか物寂しく、ひどく残念な気持ちになった。

 こんなドラマでも二人で共有し合っていたことが重要な訳で、この残念な気持ちは、それがなくなったことに対する喪失感だ。


「あーあ、終わっちゃった」


 両腕を伸ばしながら少し大袈裟に声を上げ、二人で過ごす時間が終わったことを宣言する。後は、立ち上がって別れの挨拶をするだけ──と、彼が私の指先をぎゅっと掴んだ。


「帰るの?」


 捨てられる子犬のようなすがる目で、まるで愛しい恋人に懇願するかのように言う。


 ずるい、と思う。

 本来それは、私に向ける言葉じゃない。

 なのに平気で彼は口に出す。さも当然のように。


 私が代替品だという自覚はある。

 ご都合よろしく想いなんて伝わらない。

 誰に言われなくても全部分かっている。なぜなら、自分で選んだことだから。


 しかし、今日はあのご都合主義なハッピーエンドのドラマのせいで、今の現実を受け入れるには気持ちが擦りきれてしまっていた。


「今日は帰るわ」

「なんで、泊まっていけばいいじゃん」

「泊まりたくないの」


 はっきりそう告げれば、彼にひどく寂しい顔をされた。泣きたいのはこちらだって言うのに、ずきりと胸が痛む。

 こんな雨の日に一人きりは本当に寂しいのだろう。つくづくずるいと思う。


 窓ガラスにパタパタと雨粒が当たる音がする。いつもなら、まだ明るい時間であるのに外はもう薄暗い。

 このまま居座ったら、ずるずると気持ちも居座ってしまい、お互いに虚しい夜を過ごすことは目に見えていた。


 でも、彼にあんな顔をされたら放っておけない。

 いつだってそう。放っておけなくなって、勝手にかまっているのは私。

 彼はそれを分かっている。分かっていて、あんな顔をする。


 腹が立つほど、なんでと思う。

 こんなの、私ない。

 私はもっと強い女で、こんな風に流されるなんてないはずないのに。


 すると彼は、帰るとも帰らないとも決められない私にねだるような目を向け、私の指先に口づけた。

 チュッという跳ねる音とともに伝わってくるわずかな温もり。何もかも分かっているはずなのに、体の芯がずくりと疼く。


「一緒にいたい」

「……嘘つきね」


 責める口調でそう言えば、彼が悲しい眼差しを返してきた。


 やめてよ、そんな顔。さして悲しいわけでもないくせに。


 私はきゅっと笑顔を浮かべてソファーに座り直した。笑ったのは、これ以上、自分が惨めになりたくなかったから。そして、両手で彼の顔を優しく包む。


「しょうがないから、いてあげる。感謝しなさいよ」


 結局は、私が一緒にいたいのだ。

 どうにもならない恋と、どうしようもない男と。


 唇を静かに重ね合わせる。すぐに彼が応えた。

 二人でゆっくりと柔らかいソファーの深みに落ちていく。


 外で降り続ける雨粒くらいでもいい、この想いが届いてくれたら──。

 薄暗い部屋の中、何も変わることのない単調な雨音が私たちを包んだ。

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しょうがないから、 すなさと @eri-sunasato

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