あと十分

ちびゴリ

あと十分

 お気に入りの音楽を耳にしながら昼とは対照的な流れの国道を通常よりも幾分高めの速度で走っていた。


「あと十分くらいか…」


 車内の時計に目を向け誰に聞かせるでもなく呟くと、歩道橋の掛かった大きい交差点を左に折れる。家に帰るいつものルートだ。


 時刻は午前三時。夜勤明けならともかく、無職のオレの体裁の悪さを覆うのには打ってつけだ。それでも今日は遅くなり過ぎた。親はとっくに夢の中だろう。それはそれで都合も良い。顔を見れば仕事の話題になるからだ。


 そういえば…。とハンドルを切りながら思った。フリーターなんて言葉はいつから出回ったのか。無職という悪い響きを帳消しにしてしまう横文字はオレに新たな仕事を探す意欲までも奪って行くようで、眺めている求人情報もどこか上の空だ。これが以前のプーとかならと思ってみたところで、今のオレには然程違いはあるまい。


 新卒で入社した会社を三年で辞め、そろそろ二年が経過しようとしている。親からもらう僅かな小遣いがオレの唯一の収入源だ。同居しているので食事や電気代には困らないが、もちろん人前では話せない。



「いつまでも遊んでて結婚する気はあるの?」


「じゃ~仕事してる男でも探せよ」


 売られた言葉を買うように言い放って、結婚を前提に付き合ってた彼女とも一年前に終わった。


 ヘッドライトにそんな忘れかけた面影が浮かびかけた時、住み慣れたクリーム色の外壁が視界に映る。音を消すように車を操ると、突然ヘッドライトに人の姿が照らし出された。駐車場に止めた家族の車の近くで何やらしているようにも見える。


 男だった。それも二人いた。咄嗟に車上荒らしかと俺は体に緊張を覚えた。つい最近も町内で事件があったと誰からか聞かされていた。すぐにブレーキを踏みドアを開けると男たちの方に足早に向かった。


「そこで何やってんだ!」


 時間帯など気にせずオレは声を張り上げた。すると、その声に反応したように二人は体をビクッと震わせる。正義感よりも無意識にした行動だった。


「いきなり何ですか」


「何してるんだって訊いてるんだよ」


 大声に委縮したのか男の出す声は弱々しかった。発せられる声や近付いてみた印象ではまだ若そうな感じだ。


「何って…新聞配達ですけど」


「し…新聞!?」


 行き場を失ったようにオレの足はピタリと止まる。


「新聞…こんな時間に?」


「ええ。件数があるもんで…こいつは俺の友達なんです」


 それでもまだ疑いの雰囲気でも漂っていたのか、若い男は新聞をかざして見せた。それによりオレの立場は一転してしまった。


「悪かった。オレはてっきり―――」そう言ってオレは素直に頭を下げた。


「良いんですよ。誰にだって勘違いはありますから。それに町内で確か――」と若い彼は心なし笑顔でオレを労ってくれる。無職のオレが働いてる奴に凄んで、今はそれが百八十度変わっている。情けないったらない。


「あの…」


 若い彼はまだポストに入れる前の新聞をオレに差し出した。手渡された新聞にはいつもと違う重みを感じた。受け取ってから何度かまた頭を下げ、自転車でゆく二人の後姿を見送った。


 部屋の中でオレは先ほどの会話を反芻し苦笑を浮かべた。それから手にした新聞を広げじっと折り込み広告を眺めていた。



 その一件から二ケ月後、オレは肌寒い風を頬に受けながら発進と停止を繰り返している。季節柄か空は白々と明るくなっていた。先週からようやく独り立ちしたオレは次の家に向かってバイクを操る。


 広告で見た新聞配達員募集に停滞していた心が反応したのか、数日後にはその販売店の門を叩いていた。不慣れなオレにノウハウを教えてくれたのは偶然にもあの若い彼だった。


 もちろん最初は誰だかわからなかったが、話をしているうちに互いに分かった感じだ。そこでオレはまた頭を下げた。彼は何でもないと笑ってくれた。訊けば彼はまだ高校生で配達の後に学校に行くのだとか。そのことがまたオレに刺激を与えてくれた。


 丁寧に折ってポストに入れる。当たり前のように届いていた新聞の有難みを改めて感じた気がした。


「あと十分」


 オレはバイクの後ろに積まれた残りの新聞を見てひとり呟く。それから前をしっかり見つめてアクセルを開ける。


 無駄に過ごした時間を取り戻すように。

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あと十分 ちびゴリ @tibigori

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