2-3話目
まだ痛む鼻奥を、ぐずぐずと言わせながら濡れた手巾を小さく畳むと、さりげなさを装いポケットの中へ仕舞った。
ひどく気遣わしげな視線を隣りから感じるが、無視をして再びお茶に手を伸ばす。どうやら私の粗相を無かったことにはしてくれないらしい。それでも黙っているところを見れば、掛ける言葉がないのだろう。
あるいは、王子さまの鼻は私のそれとは違い、場合によっては口から飲んだものが飛び出る仕様にはなっていないために不思議で仕方がないのかもしれない。
うん。きっとそうだ。
そういうことにしておこう。
「……エドヴァルド」
小さな嘆息と共に、アル兄さまがエドの名前を呼んだ。
さらに何かを続けようとしたとき
「ねえ。わざわざ忙しい僕を呼びつけておいて、ゆっくりお茶してるってなに?」
魔術師のローブを着た人物が、突然、部屋の真ん中に現れたのである。
ぎょっとしたのは私だけで、アル兄さまもエドも特に驚いた素振りすらなかった。
女性にしては背が高く、この世界の男性にしては背が低い。
フードを深く被り目元は隠れてしまっているが、シャープな頬と形のよい鼻筋とふっくらとした唇が見えていた。
「離宮の方は、どうかな?」
「もちろん、大丈夫。すべて綺麗に片付けたよ。幸か不幸か死人はとても無口でしょ? それにいま離宮に残ってる数少ない使用人は、リィネ姫に近づけない者ばかりだから姫と魔術師の不在は、未だに知られてはいないし。でもさあ、僕が結界を破かれたことに気づかなかったら、どうなってたのかなってちょっと思うよ。僕だって、まさかとは思ったけど駆けつけてみれば見事に二人が居ないとか。収穫らしい収穫もなければ死体ばっかりでさ。ただねえ。消え掛けていても、あの転移陣は実に見事だった。写し取れたところだけでも研究の余地はあるし、見る価値ありだったよね」
何を言っているのか半分くらいしか分からないけど、よく喋るなあ、なんて思いながら見ていると魔術師は視線を感じたのか、
おや? というように私の方へ身体ごと顔を向けた。
「あ…………えっ?」
次の瞬間、その人物は目深に被っていたフードを勢いをつけて背中へ流した。フードから長く伸ばした髪がさらりと溢れる。
視界を妨げるものが無くなった途端、現れたのは、アッシュグレー色の髪が縁取る実に整った中性的な顔だった。
だが、注目すべきはその瞳の色だ。
色味は違ってもアル兄さまやエドと同じ。
「わ……っ。オリ、くん?」
「嘘でしょ? イチカ?」
重なった声に、なんで? と続けられた。
いやいや。こっちこそ、なんでと聞きたい。
あの、可愛くて泣き虫だったオリくん?
男の子って不思議である。いったいどうしたらそんな風になるのだ。
「なんで、聞く、むずかしい」
「わあー。言葉、忘れてるとか? それよりいままで何をしてたの? なんで兄上の寝室に? ねえ、しかもどうしてイチカは寝衣なわけ?」
次々と質問を繰り出すオリくんの頬は、何故か、ちょっと赤い。さらにオリくんが視線を泳がせながら、私の着ているものに言及したところで、今になって何を思うのか隣りに座るエドまでが慌てだした。
…………は? 寝衣とは?
隣に座るエドの視線を辿れば、寝間着につけられるボタンの数には決まりがあるとでも言うように、私のシャツワンピースのボタンを上から一つひとつ数えては、再び下から数え直しているようだった。
「違うます。服、寝る、ない。気づく、いたここ。『それにこれ、シャツワンピースだし。どっちかと言えば、ちゃんとしてる部屋着だから。普通にこれ着て外歩けるしって』……エド?」
よく分からないけれどオリくんにつられて、じわじわと私も赤くなりながら、語学堪能なんだから説明よろしく、とばかりにエドをきっと睨んだ。
「か、可愛……あ、ああ……。しゃつわんぴぃす、と呼ばれる室内着らしい。外をこの格好で……歩く、ことも……するのか?! 嘘だろ?」
ええと。色気のないワンピースで、そこまで驚くよう、な……ことなんですね。ハイ。
確かに考えてみれば、この世界では寝間着に見えなくもない。ボタンの数の決まりは知らないが、もう少し生地に厚みを出して無駄にフリルやらリボンやらを付けたら、あの頃の私が着ていた女児用寝間着とよく似た仕上がりになりそうだからである。
つまり皆さんが驚いているのは、残念な寝衣を着る私というところか。
しかも、それで外を歩けるんだぜ、って平たい顔を更に平たくしているのだから心配にもなろうというもの。
「もしかもし、オリくん、心配する、私?」
「ばッ……ちがっ、違うから心配とか。なに言ってるの?」
なるほど、オリくんは顔が真っ赤になるほどのお怒りであらせられますか。
ですよね。
いい歳して女児用寝間着とか、心配を通り越して、ちょっとかわいそうな人にしか見えないものね。
「イチカだったら何を着ていても、何も着ていなくとも私は良いよ? 部屋の中にずっと居れば良いだけだからね」
私とオリくんのやり取りを見ていたアル兄さまは、徐に椅子に背を預けると長い脚を組み替え、にっこりと笑った。
「そうそう、部屋に閉じ込めるで思い出したけれど……」
アル兄さまは、オリくんを呼び出した訳を説明し始めた。
婚姻の儀までの残り二日、リィネ姫の身代わりとなって私が離宮で暮らすこと。
オリくんも知っての通り、アル兄さまもエドも離宮へは立ち入ることはできない。しかし魔術師のローブを着てフードを目深に被ったオリくんであれば、可能であること。
何故なら、リィネ姫の傍には常に魔術師が居た為に不自然ではないのと、オリくんなら誰に知られることなく私を何処へなりと転移させることが出来るからだ。
「早急に事に当たってくれたイェーオリのおかげもあって、すべての片付けを済ませたあと、離宮での件を知っているのは女王陛下、王配殿下、宰相、近衛騎士団長、私、エドヴァルド、イェーオリだけになる。ああ、それからね? ここまで言わなくとも、もう分かっていると思うのだけれど、イチカにはリィネ姫として私と婚姻の儀を挙げて貰うことになったから」
イェーオリ、そのような顔をしないで欲しいな、とアル兄さまがの唇が柔らかい弧を描いた。
再びフードを深く被り直し、縁をぎゅっと押さえるオリくんは、どんな顔をしているというのだろう。
私に見えるのは、オリくんのローブに溢れる綺麗な髪だけだった。
二度目の異世界では初恋の王子さまと婚姻(契約)することになるそうです……って、えっ? 石濱ウミ @ashika21
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