2-2話目
何も聞かずにやると言ったのは私だ。
私にも意地がある。なので、これらのことを聞かされた今になって怖気づき、嫌だ、というつもりは毛頭ないが、正直なところを言えば、そこまでの覚悟はしていなかった。
この世界で、私の命を賭ける覚悟だ。
誰かの為に何かをするというのは、どのような場合であっても、簡単なことではない。ましてや命の重さなどあってないようなこの世界で、何をか言わんやである。
そのうえ全く何の根拠もないというのに軽い気持ちで、以前のように突然また私の世界に戻るのだろう、ならばこちらに居る間に少しでも恩返しをしなくては、などと簡単に考えていたのだから余計に始末が悪い。
もう一度こちらに来ることが出来たのだから、帰ることも出来る筈だと、また直ぐにでも帰れるようなつもりでいたのだ。
いまこの瞬間まで、その帰りがいつになるのか、果たして本当に帰れるのかなど少しも思い至らず、実におめでたいものである。
「……兄上」
「エドヴァルドだって分かっている筈だよ。誰に知られることもなく、イチカが現れた時点でね? 果たしてこれが最善の方法なのかどうかは、分からない。だが最悪を回避することは、可能になる。これが単なる時間稼ぎであるとしても、少しの延びた時間でこの国のために出来ることは格段に増えるのだよ」
「しかし、兄上……」
「うん、そうだね。誰よりも大切だと言いながら、私自身がイチカを危険に晒そうとしている。そもそもリィネ姫が自ら姿を消したのと、拉致されたのでは大きく意味が違ってくるからね。魔術師かリィネ姫かは知らないが、逃げる際に使用人たちを殺したのが彼らであれば、当然のこと危険はまだ少ないが……」
気遣わしげな眼差しを向けられていた。
私が黙り込んでしまったのを、怖気づいたのだと思ったのだろう。
考えの足りなさを嘆いていただけだったのだが、アル兄さまとエドは勘違いをしているようだった。
だが何を聞かされたところで、断るという選択肢は端からない。怖いと思うのは確かだが、女にだって二言はないのだ。
それにもう覚悟を決めたのだから、尚更。
「アル兄さま、エド。大丈夫。私、やるます」
最後までアル兄さまが言い終えるのを待たずに、私は再び「やる」と答えていた。
いつ帰るのか、帰れないのかは分からない。この世界で命を落とすかもしれない。
「まあな。イチカなら、そう言うと思った」
「言わざるを得なくしたのは、私だね」
「違う、ます。そうじゃない。怖くない、嘘。ちゃんと、怖い。でも私、信じてる。アル兄さま、エド、オリくん、母上さま、父上さま、みんな。だから、私、出来る。やる」
アル兄さま、延いては母上さまの治めるこの国のために、リィネ姫の振りをして離宮で暮らす。誰でもない、私が、決めたのだ。
恩返しだって所詮は自己満足なのである。
何が起きようとも、誰を悲しませようと、行った行動に対して自分自身が満足できるならば、それで良いではないか。
迷惑な開き直りだなあ、と思わなくもないけれど。
だが、いくらリィネ姫が神殿にいた孤児だったとはいえ、出立前の挨拶はするだろうし、ラベリ王国の王太子殿下や使者はリィネ姫の顔を見たことだってあるのではないだろうか?
私の疑問を拙い言葉でエドにぶつけてみれば、なんと日本語混じりのこちらの言葉で説明してくれるではないか。
「エド『日本語、覚えてるなんて』すごい」
「凄い? 少しも凄くはないだろ。『忘れるお前が莫迦なんだよ』」
ぐぬぬ、と思いながらもエドの話を整理すると、アル兄さまの【影】によれば、リィネ姫は自国の王太子殿下はもちろん、婚儀に列席する予定の誰とも、一度も顔を合わせたことがないのだと言う。
ラベリ王国の神殿で国王からの御言葉を授かった後、直接こちらにやって来たのだそうだ。深窓の姫君とやらは、神殿を出るのも初めてだったらしい。
「こちらとしては、都合が良いけれどね」
冷めてしまったお茶を、魔道具と魔術を使って淹れ直す侍女を見るともなしに見ながら、私は、確かにそうですね、とアル兄さまに頷く。
「だったら、リィネ姫『を差し向けたのは』ラベリ王国の王太子殿下『では』ない『と言うことで良いの?』」
素直に浮かんだ疑問を日本語混じりでエドに向かって尋ねてみれば、アル兄さまに伝えてくれた。
「ああ、その線は非常に濃厚ではあるよね。だが、あくまでも可能性のひとつにしか過ぎない。王太子殿下が何処まで何を知っているのか。知っていて何もしないのか、あるいは何も出来ないのか。それとも全く知らないのか。それだけでも大きく違ってくる。加えて言うなら、現状では、どちら側であるのかもはっきりしないのだよ。ただ、リィネ姫が婚儀の前に姿を消したのは、本人たちの意思でなければ、同盟関係を破棄させようと目論む者たちにの手によるものだろう。ラベリ国としては、確かに婚姻を結ぶつもりはあったのだよ。そうでなければ、王族の血が一滴も流れていない黒髪の乙女を、わざわざ選ぶ必要はないのだからね」
「黒髪、理由がある。きっと。姫になる、誰でも良い。でも違う。なぜ? むずかしい、です」
「ああ、難しいんだ。考えれば考えるほど、複雑になってしまう。だが、イチカがリィネ姫となってくれれば『時間を稼ぐことも出来るし、あわよくば敵も誘き出される』のではないかと、兄上もオレも思ってる」
黒髪の乙女。凄く気になる。
アル兄さまが見たことがあるのは、ヴェールで顔を隠した姿だというが、リィネ姫とは、いったい、どのような人なのだろう。
孤児であるというなら、身寄りがない。
もしかしたら、と思ってしまう自分がいる。
「確か、姿絵が一枚だけあったから後でイチカにも見せよう。孤児だった少女が王の落とし胤だとして神殿から担ぎ出されたくらいだからね。美しく描かれてはいたよ。私は直接、顔を見ることは叶わなかったけれど……ああ、そうそう。実際に私が見ることの出来た黒髪は、さすがに本物のようだったな」
ならば姿絵を見せて貰えば私の疑念も晴れるかもしれない。と、思ったのは、次のエドの言葉を聞くまでだった。
「ところで、兄上。離宮に入ってからもずっと、リィネ姫は誰の前でも常にヴェールを被っていたとかいうではありませんか。顔を気にしていたということなら、婚儀の誓いの瞬間まで隠しておきたいと思うくらいに、よほど姿絵と違っていたと考えるのが自然ではありますが……。だいたい、どの姿絵ひとつとっても当人とそっくり同じに描かれているものなんてないというのに、そこまでするというのが少し気になるのです。殺された者も自国から連れて来た者の方が多かったですし」
「まあ、そうだよね。実際に会ってみたら姿絵と全く違うなどというのは、良くあることだからね」
そもそも姿絵などないほうが下手な期待をしなくて良い、とまで言うエドに、何があったのだろう。
……何かあったんだろうな、うん。
つまり姿絵はエフェクトがデフォと言ってるようなものである。
マッチングアプリでも盛りすぎはいかん、と言ってる同僚がいたなあ、と思わず遠い目をしてしまった。
「イチカ?」
「なにも、ないです」
ところ変わっても、人というのは大概に変わらぬものである。
いつの間にか、ごく自然に隣に座るエドの腰に回された腕をそっと解き、お茶の入ったカップを手に取った。
「考えられることのひとつとしては、瞳の色かな」
「瞳、色です?」
「なるほど、確かにそうですね。髪色が何色だったとしても、ラベリ王国の王族であるなら瞳の色は琥珀色でなければ、おかしい。王の落とし胤であるとされるなら、なおさらだ。血が濃ければ濃いほど、赤味の強い独特の色合いをしている筈ですから」
アル兄さまとエドの瞳の色を見比べる。
私のいた世界ではアース・アイと呼ばれる複雑で美しい虹彩によく似た彼らの瞳は、こちらの異世界でも珍しい。おぼつかない私の記憶の中でも、アル兄さま、エド、オリくん、母上さまだけだ。ハッとするほど鮮やかなブルーの虹彩が、中心へ向かうに従いオレンジや黄色に赤、といった色で複雑に混じり合う。光の加減では虹色にも見えるそれは、皆それぞれに色味が違うアース・アイである。だが、父上さまだけは、春の空のような優しい瞳の色をしていた。
手の中にある琥珀色のお茶を覗き込み、ひと口、含んだ。渋みのある香りが深いお茶は甘すぎる菓子と良く合う。
しみじみとお茶を堪能する私の目の前で「しかしそうなると」とアル兄さまもまた、優雅な仕草でカップを持ち上げ、唇を寄せた。
「婚儀を終えて祝賀行列で城下に降りる際も民衆から遠く離れているとはいえ、イチカの美しい瞳が目立たぬようにしなくてはね?」
「……っふ……ぐッ!!?!」
鼻の奥がつんとして痛い。危うくアル兄さまに向かってお茶を吹き出すのは免れたけれど、それだけだった。
顔を上に向け鼻を押さえる私に気づいた侍女が、そっと手巾を手渡してくれる。
かたじけない。
鼻の下を拭いながら、ちら、とアル兄さまを盗み見る。
美麗なアル兄さまと、こんな私が並んで馬車の上から手を振る?
かような城下引き回しの刑があるとは、異世界、げに恐るべし。
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