短編 バーナード侯爵とフィリベール

 ステータスというものは、時に本来の地位をひっくり返す。

 異国の彫刻、芸術家の絵画、開花時代のアンティーク。それらを持っている伯爵と、持っていない公爵だったら、前者に会いたくなるものだ。


 孤児を育てることが流行りの社会で、もし、陰気な伯爵が、美しい孤児を拾ったとしたら。

 貴族たちは掌を返して、伯爵に会いたいと考えた。




「──手紙が多い」

 ジェンスは机に手紙の束を撒いた。その封筒を珍しそうに元孤児――フィリベールが見つめている。

「綺麗な封筒が多いね。全部ジン宛?」

「そうだ。しかもほぼ貴族からだ」

「すごい」

 ジェンスは孤児であったフィリベールを育てることで、多種多様な貴族と関わりを持つことを望んだ。その結果に家の存続を賭けていた。

 しかし。ジェンスの予想以上に、孤児が流行していた。


 孤児を抱える貴族は、拾い子を育て、教えた特技やマナーを見せ合うことを楽しみにしている。

 持っていない貴族は、あの汚い孤児を拾うなんて素晴らしいと賞賛の手紙を送ってくる。


 今までジェンスに目をかけるのは、昔からのよしみであるバーナード侯爵くらいだったのに、フィリベールを拾ってひと月でこの手紙の量である。ため息が出るのも仕方ない。

「今日はこれを読むのが仕事?」

「いや。これからバーナード侯爵に会いに行く」

「侯爵ってことは、ジンより上でしょ」

「そうだ」

 従者ヴィノに馬車の用意を命じる。

 メイドに用意させた服が次々とクロゼットに並ぶ。

「バーナード侯爵は、君を見たいそうだ」

 体を強ばらせたフィリベールの服を、メイドが脱がし始める。刺繍の入ったシャツが彼を飾った。




 バーナード侯爵は以前、幼い孤児を拾っていた。彼がストロベリーブロンドの髪を持つローエルを披露したことは記憶に新しい。

 フィリベールよりも幼い彼は、侯爵にどのように育てられているだろうか。フィリベールの教育の参考になるだろうか。

 僅かな期待を胸に、侯爵城の庭へ乗り入れた。


「やあ、ライラワース伯爵。よく来てくれたね」

「お招きいただきありがとうございます」

 中庭に面した応接間は、バーナード侯爵の愛する緑色で飾られている。侯爵は広い部屋で、穏やかにグラスを揺らしていた。

「君がついに孤児を迎えたと聞いたからね。一目見ておきたいと思ったんだよ」

 侯爵の向かいに座る。フィリベールも座らせてやりたかったが、貴族と同じ席に着くことを許されるとは思えなかった。

が君の孤児かな?」

 侯爵はにっこりと人の良さそうな笑みを浮かべて、彼にグラスを掲げた。

「……ええ、はい」

「美しい髪だ。顔立ちもかなり良い」

 フィリベールは、とにかく美しかった。

 ジェンスの与える食事と薬で健康を得ている彼は、骨ばった体を柔らかな肉で隠し、理想的な美貌に近付きつつある。彼の特徴的なプラチナの髪は、今日も艶やかに強かに、日の光を弾ねている。

 しかしジェンスが美しさを誇るのは違う気がして、ぎこちない笑みを浮かべると、侯爵はふふ、と微笑んだ。

「綺麗な物は良い。そばに置くだけで心が満たされるような錯覚が手に入る……」

 ジェンスにもその感覚の心当たりはあった。美しいフィリベールに向けるには醜くて、口にするのは憚られたが。

 この立派な侯爵でも、その充足を手放せないのか。ならば自分は――ジェンスは虚しさに内心笑った。

「私は美しい物が好きだ。なあ、ジェンス」

 彼が自分を下の名前で呼ぶ時は、ろくな事がないと人生で何度か味わった。

「これを私に譲らないかい」


「閣下……」

 バーナード侯爵の悪い癖だ。綺麗なものは何でも欲しくなってしまう。ジェンスはかつて、何度も華美なアンティークを彼に奪われている。奪っておきながら管理はメイドに任せっきりなことが何よりも忌々しい。

 しかし侯爵に逆らえる伯爵などこの世にはいないのだ。

「金ならいくらでも出そう。君からもらった一年分の金貨を返してもいい」

 ありえない話だ。フィリベールを家で迎え入れるために努力したことが無駄になる。

「私の数少ないお願いだよ。ジェンス」

 腹ただしい。

 いくら侯爵と言えど、渡せないものはある。麦でも馬でも差し上げよう。しかし、フィリベールはダメだ。この儚い子供は、まだ自分が守らなくてはならない。

 ここで抗わなければ、一生後悔する。


「お断り、致します」

 喉の奥から絞り出すような声が出る。


「いいのかい?私に恩を売るチャンスだよ?」

「申し訳ないのですが、彼をお譲りすることはできません」

「君は金貨が戻ってくるし、孤児もいい生活ができる。それでも譲らないと?」

 ――侯爵家で暮らせば、今よりもフィリベールはいい生活ができるか?

 その考えに思い至り、後ろのフィリベールを振り返る。

 フィリベールは、こちらに助けを求めるように見つめていた。手は震えを隠そうとズボンを握っている。

 決意が固まった。

 やはり、手放すには彼はまだ弱い。

「丁重にお断り致します」


「君がそこまで気に入っているのなら、仕方ないな」

 失望に陰らせるようなジェンスの言葉に対して、バーナード侯爵は愉快そうに笑った。

「君はいつでも私に遠慮をするから、そういう質なのだと思っていたが。そうか、孤児は譲れないか!」

 心底楽しそうに笑うバーナード侯爵にジェンスはつい眉を顰める。このお方の、こういうところが、ジェンスは一番の苦手にしていた。

「では、その孤児は諦めよう――なに、いらなくなったらいつでも言ってくれ。君の言い値で買い取ろう」

 侯爵は手元のベルを鳴らす。メイドたちが椅子をフィリベールに差し出し、茶と菓子が用意された。

「じゃあ本題に入ろうか。私の手に入れた孤児好きの貴族の話でもしよう。いずれは、きっとライラワース伯爵も関わることになるだろうからね」




「……疲れた」

「お疲れ様です、ジェンス様」

「フィリベールの服を替えさせてやってくれ。あと、ホットミルクの用意はできるか」

「承知致しました。ジェンス様の分も用意いたしますね」

「いや、僕の分は要らな」

「それでは、失礼いたします」

 ヴィノが足早に立ち去る。子供でもないのにホットミルクは飲まないが……また遊ばれてしまった。

 フィリベールはぐったりとソファに沈んでいる。一番緊張したのは彼だろうから、だらしなく投げ出された足は咎めないでおく。

「フィー」

 プラチナの髪を、優しく指で撫でる。

「君はバーナード侯爵の家が良いと思ったことはあったか?」

 フィリベールは勢いよく顔を上げてジェンスを見つめた。

「嫌だ。俺はジンのところがいい」

「……はは、そうか」

 再び頭を撫でる。

「君を手放したくなかった。君もそう思ってくれるなら、こんなに嬉しいことはない」

 フィリベールは嬉しそうにはにかんだ。

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