漆黒の夜と銀の星

boly

第1話 漆黒の夜と銀の星



 腕時計をはずしてくれ、と言ったんだ。

 組み伏せられている最中に、チャリッと無粋な音がするのも、それが肌に触れるのも好きじゃない。

「痛いのか? 触れると」

「そうじゃないけど」

「じゃあ……ほてった身体の熱が冷めるからとか、そういうロマンティックな方の理由で?」

 鎖骨に舌を、首筋に鼻を押し付けながらそんなことを聞いてくる。器用な男。まるで濡れているような声がたまらなくいい。「さあね」と返す俺の声も、たぶん水分多め。指の先で触れたらあっという間に滲み出してしまうぐらい。


 週末。漆黒に支配された都会の夜。

 男二人が両手を広げて眠っても端まで届かないほど大きなベッドと、快適な室温と漏れる吐息がつくりだす湿度に包まれた部屋。窓の下に広がっているはずの喧騒はこの部屋にはまったく届かない。聞こえるのは、ふたつの身体がからまり肌がこすれ合う音と、荒い息遣いだけ。

 男の飢えた舌とくちびるが、最後まで残しておいた好物を味わうようにじっくりと肌を舐めつたう。もういいからと不機嫌を装って身体をよじってもふざけて振り払おうとしてもそれは追ってきて、そのしつこさがまったく嫌いじゃないことももちろん彼にはバレている。


 一週間に七回ある夜のうち、俺に許されているのはたった一回、週末の夜だけ。わずかな時間。できるなら一晩中、快楽の波が打ち寄せる海で泳いでいたい。かき分けてもかき分けても、腕に身体にまとわりつくこの男の感触を滴らせながら。

 それとも。いっそ泳ぎ疲れて、溺れて、いつの間にか波にからめとられてしまったって構わない。


 振り向くとカーテンのない大きな窓一面の夜の闇に、嵐の後のようなシーツとベッドが浮かび上がる。その向こうの上空には、ここからは見えないけれど星がある。さっきまで男の手首に巻きついていた時計と、同じ色をした星。幼い頃に読んだ童話に出てきた燭台と同じ銀色をした星が、夜の海でまたたいている。


 たった今こうしている理由は何なのか。俺の肉体を欲しいままにするこの男は何者で、俺という存在はこの男にとって何か意味があるのか。俺の知らない六日間は誰と寝て何をして、誰が待つところへ帰るのか。そんな現実が頭をかすめる瞬間はいらない。この部屋にいる間は。

 だから、時計をはずしてくれと言ったんだ。


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