シタノカンリチャン

脳幹 まこと

シタノカンリチャン


 俺が「シタノカンリチャン」なる珍妙な商品を知ったのは、動画視聴中に流れた広告だった。


――あなたは平均男性が自慰にどれだけ時間を使っているかご存じですか?


「広告をスキップ」が出るまでの数秒で惹かれてしまった。

 作業を止めて、続きを聞いてみた。


――なんと、22分です。しかもこれは 1回あたりでして、それが日に何回も行われているわけです。


 ふむふむ。


――これはあくまで表面的なものです。潜在的なコストは遥かに大きい。一時の快楽の為、我々は金銭、精神、機会の損失をこうむっているのです。


 ほうほう。


――しかし、逃れることは容易には出来ません。三大欲求なのですからね。性的なコンテンツが巨大市場になっている現状からも明らかです。


 なるほど。


――さて、ここまで動画を見てくださった 20代の皆様限定で紹介いたしますのは……




 シタノカンリチャンが届いたのは一か月後だった。

 本当に安直すぎるネーミングだが、その内容はかなりしっかりしたものだ。


 一言で表現するなら「購入者用に最適化された等身大ダッチワイフ」だろうか。

 購入にあたり、要望や好みを事細かく質問されただけではない。周辺環境や家族構成、学歴・職歴、脳波や無意識に行う反応すらもデータとして取得された。

 聞いてみると「あらゆる分野からその人に最もクる像を作り出す為」とのことだった。

 値段も相当なもので給料一年分を出すことになった。買えたのは金のかかる趣味にハマってなかったからに他ならない。


 しかし、その効果は絶大だった。

 彼女を取り出した瞬間、地面が震えた。正確には、あまりに強い心拍のせいで俺が震えていた。あまりに眩しいせいで、立ちくらみが起きる程だった。


 間違いなく一目惚れだった。


 俺には二次元と三次元にそれぞれアイドルとする彼女達がいたのだが、それらの要素を無理なく融合させ、その上に俺の願望を足した、まさに完全無欠のフォルム。

 加えて、彼女には高性能スピーカーがつけてあり、これまた最適化された音声を流せるようになっている。流石にレパートリーが大量にあるわけではないが、自慰に必要な語彙はそこまで必要ないだろう。


 彼女の目がとろんとしたかと思ったら、俺は目の前がひどくぼんやりするのを感じた。


【♡♡♡♡】


 あっ……

 一回もしごくことなく俺はイった。これは夢精だ。はっきりとした意識を持ちながら夢精をしたのだ。


 出会ってわずか二分のことだった。

 この瞬間、すべてのオカズが過去となった。




 シタノカンリチャンを使うようになってから、俺の人生は変わった。


 まず、自慰にかける時間が極限まで減った。毎日午前0時に彼女の前に立ち、声を聞くだけでいい。

 それだけでち、最高の救いがもたらされる。それは神に祈りを捧げることに似ていた。

「美人は三日で飽きる」なんて話があるが、あれは嘘だ。そうでないのなら、その美人は本物でなかったのだ。本物の美人に飽きるなんてことはない。


 もはや、性癖を満たすものを求め彷徨さまよい歩くことも、広告だらけのエロ動画にストレスを溜めることもない。

 振り返れば、実に空虚な道程みちのりだった。



 彼女の恩恵はそれだけではなかった。いくらダッチワイフと言えども、彼女は俺の為に最適化されているのである。


 結果、愛着は日に日に増していった。彼女に良い服を着せてやりたい。指輪をつけてやりたい。何より、彼女に見合うような男になりたい。


 その為に仕事や私生活にもより一層、精力的に活動するようにもなった。ぽっちゃりした体を是正すべくジムに通い、自分の身だしなみにも気を遣った。

 デキる社会人を目指して前向きに仕事に打ち込んだ。その活躍が認められ、会社から褒賞ほうしょうをもらえた。


 無駄なことをする暇はすっかり消えた。

 その最たる理由であったイライラとムラムラは、彼女の威光が優しくなだめてくれた。




 シタノカンリチャンは登場一年にして国内利用者が100万人を超えた。

 会社内でも利用者が何名かいるだろうと見ている。

 これは推測だが……恐らく以前はモテなかったであろう若手社員が、何名も見違えるような変貌を遂げているのだ。

 先達せんだつとしてこれほど喜ばしいことはない。


 俺の方はと言うと先日パートナーができた。向こうからの告白にOKを出した形だった。

 親にもチクチク刺されていたし、俺もそろそろ落ち着いた状態になりたかったのである。


 告白を受けた日は罪悪感があった。あれほど大切にしていた彼女を見限るのと同じだったから。

 しかし、三日もすれば割り切れた。最適化されても、やはり金で買ったダッチワイフだったのだ。そこに命はない。恨まれる筋合いもないだろう。

 もちろんカラダの相性は最高だったので、毎日自慰の相手はしてもらったが……



 そして今日、遂に、自慰卒業の時を迎えることになる。

 シタノカンリチャンを梱包こんぽう用の段ボールにおさめる。うっかり目が合ってイきかけたが、半ば強引に押し込んだ。


 彼女がやってきた。

 料理を振る舞った。ギターを弾いた。流行のゲームで遊んだ。これら全部がダッチワイフによる賜物たまものなのがちょっと複雑な気分だった。


 どちらからともなく裸になった。

 こういう時のもてなし方もまた「勉強」によって体得していた。


 ああ、我ながらいい雰囲気……




 23時50分。

 彼女は見るからに夢心地といった状態だが、対する俺はかつてないほどに絶望していた。


 そんな馬鹿な。


 手が震え出す。呼吸が荒くなる。

 そんな状態が数分も続けば、流石に夢も覚める。彼女はこちらの安否を気遣う。

 俺は適当に相槌を打っていた。気遣っている余裕がない。


 雑に応対しているのが分かったのか、彼女は怒り出した。

 そんなことを気にしている暇がない。


「どうしたのよ!! なんか答えなさいよ!!」


「出ないんだ、出ないんだよお……」


「えっ?」



 日付が変わった。どこからともなく蠱惑的こわくてきな声がした。


【♡♡♡♡】


 俺は目の前がひどくぼんやりするのを感じた。


 あっ……


 祈りの時間だ。

 女を突き飛ばして、聖櫃せいひつのもとへ歩いていく。

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