(9)
正直に言って、わたしは天使ちゃんのことをよく思っていない。ごく個人的な感情から、わたしはそのように思っている。
けれども、流石に天使ちゃんの悲鳴が聞こえればなにごとかと思うし、駆けつけざるを得ない。
わたしは聖乙女だし、『聖乙女アンマリア』の主人公であるアンマリアはたとえ自らに敵意を持つ相手であっても、寛大な心を持って接していた。……わたしの心は主人公アンマリアの寛大さからはほど遠かったけれども。
けれども、天使ちゃんに……たとえば、大怪我をして欲しいとか、ましてや死んで欲しいと願ったことはないわけで。
「どうしたの?!」
あわてて中庭の奥まった場所に駆けつければ、天使ちゃんの影と重なっていた相手が離れて行くのがわかった。
わたしは冷静に指先に魔力を集中させて、天使ちゃんから走り去っていこうとする不審者――ではなく、その足元に向かって魔法を放つ。
たちまちのうちに地面が隆起し、あっという間にでこぼことした道ができあがる。不審者はそのでこぼこに突っかかって、体勢を崩した。
それを見計らい、わたしは今度はきつい風魔法をあてる。不審者の体が一瞬浮かび、次の瞬間には派手に転んでいた。
天使ちゃんはそうしているあいだにも「キャーキャー」と派手に叫び続けていたので、声を聞きつけて次第にひとが集まってくる。
「エリエル! 大丈夫か?!」
真っ先に天使ちゃんにかけつけて、その華奢な肩を抱き寄せたのは神殿騎士のグランだ。
天使ちゃんは顔をうつむけて、「怖かったですぅ」と言いながらぽろぽろと美しい涙を流していた。
おいおいグランよ、不審者の捕縛が先じゃないかい? などと胸中で思いながら、わたしは不審者の拘束とともに地下牢へ連れて行くようニンジャたちに命じ、神殿騎士たちに神殿周囲の哨戒と他に不審者がいないか検索するように言った。
それぞれが持ち場へと散って行く中で、グランはまだ天使ちゃんを慰めている。天使ちゃんはそれを「すんすん」と鼻をすすりつつ、大人しく受け入れていた。
「いったい、なにがあったんだ?」
「ぐすっ……わからないですぅ……なんか、トツゼン『お前は何者だ?』って聞かれてぇ……ナイフを突きつけられてぇ……怖かったですぅ」
わたしは天使ちゃんの話を聞きながら、「彼女は何者なのだろう」とふと思った。
神の使い。天使。天使ちゃんがそう自称していて、実際に背中に翼を生やしていて、癒しの力を使うから、彼女のことを天使だと信じている人間がいて――だからこそ、今は神殿で保護されている。
けれども天使ちゃんを事実天使だと信じている神官は、わたしの肌感覚では五分五分だった。だからこそ、彼女を巡って諍いや陰謀がはびこっているのだ。
そう考えていると、今さらながらに天使ちゃんと拉致されたときに見た、拉致犯一味の男が急に心変わりしたと思しき場面が思い起こされる。
そして今天使ちゃんを慰め続けている、グラン。グランはたしかに以前から軽薄な人間だった。けれども仕事にはひと一倍真面目に取り組んでいて、神殿騎士であることを誇りにしていたはずだ。
グランはちゃらんぽらんで、ときおり雑なところはあった。けれども、他人に対して無神経な発言をするような人間じゃなかった。
だけどそれはわたしの思い違いで、グランは恋をすれば仕事なんて二の次になって、どうでもいい相手には無神経な言葉をぶつけてしまう人間だったのだろうか? ……それが彼の本性なのだろうか?
……天使ちゃんは――魅了魔法を使っているのだろうか?
けれども魅了魔法は邪法だ。となれば魔力を持つ聖乙女であるわたしが気づけないわけがない。魔法が使える神官や、魔法使いだって、魅了魔法を使われた事実があれば、だれかひとりくらいは気づくはずだ。
しかし天使ちゃんから邪悪な気配は一切しない。感じるのは天使だと信じ込んでしまえるほどの、清廉な魂の気配。
一方で、思い返すだにセラバート殿下にグラン、イオ……三人の微妙な変化が気にかかる。
「前はこんな人間じゃなかった」というのは、わたしひとりが感じていることなのか、それとも……。
「え? 配置換え?」
素っ頓狂な声を出すわたしに、モチくんは淡々と「はい」と告げる。
わたしは目を丸くしてまじまじとモチくんを見てしまった。
モチくんは――天使ちゃんの護衛を務めることになったらしい。
「先の事件を受けて、より強力な護衛をつけて欲しいとセラバート殿下から要請があったそうです」
「そっか……モチくんは強いもんね」
「恐縮です。……それで、聖乙女様の護衛からは離れることになりました」
「……大丈夫、だよね」
モチくんが天使ちゃんの護衛を務める――。そう聞いて、わたしの中でにわかに不安が立ちのぼる。
まず天使ちゃんの怪しげな魔法……のようなものにモチくんがあてられて、あの三人みたいに心奪われたりしないかという不安。
それから天使ちゃんは癒しの力以外は使えないから、モチくんと連携して戦ったりはできない。だから、モチくんが天使ちゃんを守るために傷つかないか、という不安。
わたしは思わず上目遣い気味にモチくんを見る。
「大丈夫ですよ。他のニンジャたちは優秀ですから」
「そうじゃなくて……。ううん。……モチくん、無理はしないでね」
「それは……約束できかねます。無理をしてでも護衛対象を守るのが、僕たちの仕事ですから……」
「……そう、だよね。でも、モチくんにはできれば怪我とかして欲しくないから……無茶言ってるのはわかるけど、少しくらいは覚えておいてくれないかな?」
無理を言っているのは承知の上だった。わたしにはわたしの仕事があり、モチくんにはモチくんの仕事がある。それは、ないがしろにはできないものなのだ。
それでも、モチくんの無事を祈らずにはいられなかった。
モチくんはちょっと困ったような顔をしつつも、「善処します」と言って微笑んでくれた。
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