(10)
天使ちゃん襲撃事件から一週間。未だに不審者が口を割らない中で、それでも定期の魔獣退治に天使ちゃんが同行することになった。
わたしはと言えば、モチくんが配置換えをされて天使ちゃんの護衛となったため、一週間ぶりに彼の顔をちらりとながら見れてなんだかほっと安堵していた。
三人とモチくんが天使ちゃんを護衛する中、わたしは淡々と遭遇する魔獣を片っ端から退治する。
天使ちゃんは相変わらずで、魔獣が現れるたびに大げさに驚いて、怯えて、三人の陰に隠れることを繰り返していた。三人は、それを鬱陶しがるどころか、どこか喜んですらいた。
内心で、「よく飽きないな」とちょっと毒を吐きつつも、わたしはそれを表には出さず、聖乙女らしく淡々と魔獣退治を続ける。
手慣れた作業であったが、油断は禁物。とはいえ、わたしの頭の中を占めるのは魔獣退治だけではなかった。
以前、モチくんと約束した情報交換。モチくんが配置換えをされたすぐあとというタイミングで、わたしは美味しい塩漬けタラコの情報を手に入れたのだ。
それをモチくんに教えてあげたいと思っていたのだが、彼と話をする機会に未だ恵まれていなかった。
早く教えてあげたい……と言うよりは、モチくんと言葉を交わす口実を使いたかったという気持ちのほうが強かった。
モチくんと話をしているとなんというか、癒されるというか。モチくんの涼やかな声や、落ち着いた話しぶりもあって、彼と会話をしているときはホッとひと息つくことができるのだ。
特に最近は天使ちゃんや三人のことで頭を悩まされることが多かったから、なおさら。
モチくんには不思議な安心感があった。
「あと少し進んだところに野営地があります」
モチくんとは別のニンジャがわたしにそう声をかけてくれる。「わかったわ」と返したあと、騒がしい天使ちゃんと三人にもこの情報を伝えようと振り返った。
「危ない!」
だれがそう叫んだのかは、わからなかった。
わたしの視界には天使ちゃんの背後すぐ上にある崖から、魔獣が飛び降りてくる姿が見えた。そして、天使ちゃんがそれにまったく気づいていない様子であることも。
反射的に指先に魔力を集中させる。
けれどもわたしが魔法を打つ前に、魔獣の鋭い爪が――天使ちゃんの前に飛び出した、モチくんに届いた。
「きゃあっ! なになに?! なんですかぁ?!」
天使ちゃんの甲高い声が妙に鬱陶しく感じられた。
その足元ではモチくんが倒れている。
そしてじわじわと血だまりが広がって――。
「モチくん!」
わたしはモチくんに向かって二撃目を食らわせようとする魔獣の首を、最大出力の風魔法で切り裂いた。その傷口からは瘴気があふれて、やがて魔獣の姿が霧散する。
「モチくん!」
わたしの心臓の拍動が激しくなる。
強力な魔法を使ったばかりで息切れする中、モチくんに駆け寄った。
「モチくん!」
わたしが何度も名前を呼んでも、モチくんは答えてくれない。……いや、答えられないのだ。
モチくんのそばで膝を折る。モチくんは横たわり、左腕で腹をかばっていた。モチくんの黒い服は赤黒い血をたっぷりと吸って、なんだか重そうになっている。
魔獣の爪はモチくんの腹を引き裂いて、内臓にまで達しているようだ。モチくんが腕でかばっているから、かろうじて臓器が外へこぼれ落ちていないような、そんな状態だった。
「はわわっ……だ、だいじょうぶですかぁ?」
天使ちゃんの間延びした語尾が癪に障った。どう見てもモチくんが大丈夫ではないのは、だれの目にも明らかだ。
「――そ、そうだ、エリエル様!」
「え? は、はい?」
「エリエル様、どうか癒しの力をお貸しください! このままでは彼は――死んでしまいます!」
天使ちゃんの声を聞いて、彼女の癒しの力を思い出したわたしは、彼女に取りすがるようにそう言っていた。
わたしも治癒魔法を使えはするが、それは天使ちゃんのものよりもずっと弱く、明らかな致命傷を治せるほど力はない。
けれど、天使ちゃんなら――。
「エリエル様、お願いします!」
わたしはほとんど叫ぶように言っていた。
「……えっと……」
……けれどもなぜか天使ちゃんは煮え切らない態度を取る。
わたしはそれにイラ立つと同時に、どうしようもない絶望的な感覚が腹の底から口元にのぼってくるような気持ちになる。
「エリエル様!」
膝をつくわたしの足元にまで届くほど、モチくんの血だまりが大きくなっている。
か細い呼吸を繰り返すモチくんの音を――今、命の灯が消えかけている音を聞きながら、わたしは再度天使ちゃんの名前を呼んだ。
けれども。
「そ、そんな大きな傷を治そうとしたら……エリィはこの地上にはいられなくなってしまいますぅ」
「……は?」
「エリィの力は無限じゃないんですぅ。大きな力を使えばエリィは天界に……」
頭蓋骨の内側で、天使ちゃんの声がぐわんぐわんとこだましているようだった。
天使ちゃんは目を伏せて、最後まで言葉を紡ぐことなく黙り込んでしまった。
それからはだれも、声を発さなかった。
セラバート殿下も、グランも、イオも、なにも言わなかった。
無言のうちに、モチくんを犠牲にすることを決められていくような、気持ちの悪い空気があたりに充満しているようだった。
「ふざけるな」……そう天使ちゃんに言いたかったが、舌がもつれて、強烈に喉が渇いて、わたしはわずかに口を開けたままなにも言えなかった。
「せ、おとめ、さま……」
「モチくん?! あ、しゃ、しゃべらないで……今、治すから!」
わたしは指先に魔力を集中させて、治癒魔法を使う。けれどもそれは焼け石に水で、モチくんの傷はちっともふさがる様子を見せない。
それにわたしは腹を立てる。わたしは聖乙女で、強力な魔法の使い手で――でも、今、モチくんを助けられる力を持っていない。それは涙が出るほどに腹立たしい……現実だった。
腹立たしくて、悲しくて、感情が昂って、わたしの瞳からは涙がこぼれ落ちる。
今、泣いている暇なんてないのに。
けれどもあとからあとから涙はこぼれ落ちて、視界がゆがんで、モチくんがちゃんと見えなくなって行く。
「治すから……治すから」
わたしは治癒魔法を使い続けるが、モチくんから流れ出る血は止まらなかったし、傷もふさがる気配がない。
無力さに打ちひしがれる涙がぽつぽつと、モチくんの血だまりに落ちて行くのがわかった。
「いい、です、せ、おとめさま」
「ダメだよモチくん! しゃべっちゃダメ!」
「いい、です。やめて……」
「ムリだよ! わたしまだモチくんに美味しいタラコの話してない!」
そうだ、わたしはまだモチくんに言っていないことがある。おしゃべりしたいことが、たくさんある。
だから、モチくんを助けたい。
モチくんに、死んで欲しくない。
なのにモチくんは、微笑んで
「ありがと、ござ、ます」
と息も絶え絶えに微笑むばかりだった。
「ダメだよ……モチくん……死んじゃダメ……」
そう言いながら、わたしの頭の中ではモチくんが助からない未来ばかりが踊り狂っていた。
「モチくん……」
モチくんが腕を振るわせながら動かして、わたしの手の甲に、その手のひらを重ねた。
わたしはそれを見て、思い出した。
聖乙女候補時代にストレス発散のためにこっそりと習得した――術者の生命力を使い、命を繋ぎとめる禁術を。
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