(4)

 決定打となったのは、わたしが天使ちゃんと共に拉致されたときの出来事だった。


 定期的に行っている魔獣退治の移動途中、報告された地点よりも早くに魔獣の襲撃を受けた。群れではあったものの、比較的小型の魔獣ということもあり、護衛の騎士たちが対処に当たったのだが、それは罠だった。


 手薄になったところを狙ってきたのは反神殿勢力。まだ年若い騎士を切りつけ、人質にとってわたしと天使ちゃんを拘束すると馬車ごと拉致したのだった。


 鮮やかな手口からは、神殿側の動きが完全に反神殿勢力に漏れていたことを示していた。


 目隠しをされ、後ろ手に拘束されて魔法封じの指輪までつけられたものの、どの方角に移動しているかは把握できた。おおよその距離もわかったから、拉致された地点からそう離れていないこともなんとなくわかった。


 目隠しを外されれば、埃っぽい倉庫のような場所に連れてこられたことがわかる。ウミネコの鳴き声も外からかすかに聞こえてきたし、潮のにおいも隠せていない。港湾都市のどこかの倉庫に閉じ込められていると当たりをつけられた。


 猿轡を噛まされているので同じ場所に連れてこられた天使ちゃんとは意思疎通を取れなかった。もちろん、叫び声をあげて助けを呼ぶ……といったことも不可能だ。


 しかしわたしは聖乙女。反神殿勢力に身柄を狙われるのはこれが初めての話ではないので、もちろんこういった場合の対処法も叩き込まれている。


 すぐに助けがきてくれそうであれば、なにもせず大人しくしていたほうがいいだろう。しかしここに連れてこられたときのセリフや、外から漏れ聞こえてくる会話から、場合によっては見せしめに害される可能性が切迫しているだろうことが察せられた。


 となるとどうにかして逃げださねばならない。わたしは後ろ手で、ブーツのかかととソールの隙間から小さなナイフのを取り出した。これができればあとは腕と体を拘束している縄を切るのは簡単だった。


 後ろ手だったので少し時間はかかったが、ナイフの刃で縄を切断すると魔法封じの指輪を外す。術者以外が外せないような、高価な魔法封じの指輪ではなかったのは幸いだった。そして、最後に猿轡を外すと、次は天使ちゃんの拘束を解いてやる。


「逃げますよ」

「えっ。待ってたほうがよくないですかぁ?」

「うかうかしてると見せしめに殺されかねない。反神殿勢力であればなおさら、わたしたちを交渉材料にしても、無事に返す気はないでしょう」


 天使ちゃんは顔を青くして、しかし「でもぉ……あぶないですよぅ」とためらいを見せる。


 たしかにわたしたちが逃亡すれば、よほどの馬鹿じゃない限りすぐに気づく。しかしこのまま待っていても、逃げた場合と結末は似たり寄ったりだろう。神殿からの救援がいつ到着するかはわからないのだから。


「セラバート殿下がきっと助けにきてくれますよっ」

「……そうね。でもそれがいつかはわからない」

「でもぉ……」

「……いいから行きますよ!」


 天使ちゃんの腕をやや強引に引っ張って立たせる。天使ちゃんは「きゃっ」と可愛らしい声を出して、ちょっとよろけながらも立ち上がる。


「わたしが魔法でなんとかしますから。エリエル様はわたしのうしろへ」

「でもぉ……やっぱり……」


 わたしは天使ちゃんの言葉を無視して、先ほどまでわたしを拘束していた縄を手に出入り口にそっと近づいた。それから、内側から扉の向こうへと声をかける。すぐに「なんだ」とぶっきらぼうな声が返ってきた。


「あの……ちょっとお花摘みに……」

「そこらへんでしてろ」


 まあそう返すよね、というセリフが返ってくる。


 しかしわたしはあきらめずに何度も何度も、しつこく扉の向こう側に声をかけた。それはもう、自分で言いながら「こいつすげーしつこいな」と思うくらい何度も声をかけた。


 そのかいあってか、見張りの男が折れたのか、あるいはあまりのしつこさに怒り心頭となったのか、扉の施錠を解く音が聞こえた。


 扉が開くと同時に、ソール部分に鉄板の入ったブーツで蹴りを放つ。男の顔面を狙ったが、思ったよりも相手の背が高く、喉に痛烈な蹴りが入った。


 男が声にならない声を上げて膝をついたのを見計らい、首に縄を巻きつける。片足で男の肩を踏み、男の首に巻きつけた縄を全身全霊を持って引っ張る。


 やがて――男の動きが止まった。


 こちらも生きるか死ぬかがかかっているとはいえ、進んで殺人などしたくはなかったので、男が気絶しているだけで、息をしていることを確認すると安堵感で力が抜ける。手を開いて見れば、指先がぶるぶると震えているのがわかった。


 てきぱきと男を後ろ手にして拘束し、背後を振り返れば、天使ちゃんがなにか言いたげにこちらを見ていた。純真無垢な天使ちゃんからすれば、わたしの行いはひどく邪悪なものに見えたのかもしれない。


 けれども、今は天使ちゃんの様子に構っている暇はない。天使ちゃんに「逃げますよ」と声をかければ、渋々といった様子ではあったものの、わたしのうしろについてきてくれるようだ。


 予想外だったのは、倉庫の出入り口の外はすぐに屋外だと思っていたのだが、実際はわたしたちが閉じ込められていた倉庫は、さらに巨大な倉庫の中にあったということだ。


 しかしもう逃亡は始めてしまったので、今さらなかったことになんてできない。わたしは天使ちゃんを連れて物陰に隠れながら出入り口を探すことにした。


 が、もちろん巨大倉庫の構造など把握していないので、こういうことが起こる。


 こういうこと、とは、曲がり角でバッタリとわたしたちを拉致した人間か、そのお仲間に出会ってしまうことである。


 こうなったらもう、できれば温存したかったけれど、今魔法で男を吹き飛ばして出口まで強行突破するしかない――。


 わたしがそう腹を括って指先に魔力を集中させ始めた瞬間、天使ちゃんがわたしの前に飛び出した。


「エリエル様!?」


 天使ちゃんの背中だけしか見えなかったので、わたしにはなにが起こったのかわからなかった。


「お願いします! エリィたちを見逃してっ!」

「エリエル様! 下がって――」


 天使ちゃんが邪魔で魔法が打てず、わたしはあせった声を出す。


 これはまずいことになった。と理性的な部分ではそう考えながらも、わたしは先ほどまでの緊張感も合わさって、パニック寸前だった。


 けれど――


「わ、わかりました! どうぞ出口へ、天使様!」


 鉢合わせた男はなぜかうっとりとした目で天使ちゃんを見ながら、極めて紳士的な態度で出口への道を指し示した。

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