(5)

 わたしは……なにが起こったのかまったく理解が及ばなかった。


「わぁっ、ありがとうございますぅ!」


 天使ちゃんはうれしそうな声でお礼を言ったあと、わたしのほうを振り返った。「さ、早く行きましょうっ」と天使ちゃんに促されて、指先へと集中させていた魔力を霧散させる。


 わたしは、天使ちゃんに「さきほどのあれはなに?」と聞きたかったが、できなかった。正確には、そんな余裕がなかった。天使ちゃんがわたしの前に飛び出てからの光景が、ぐるぐると頭の中を回っていた。


 世の中には、魅了魔法というものがある。が、それはハッキリ言って邪法だ。


 名前の通り、他者の心を魅了して意のままに操ることができると言われている魅了魔法。それらが禁術とされ、闇に葬られて久しく、今では「そういう魔法が存在した」という口伝だけがあり、完全に過去の魔法となっている。


 古代に存在したという魔族が使っていたとの話もあるが……正直に言って、天使ちゃんからそういう邪悪な気配は感じられなかった。聖乙女であるわたしが見抜けないほど巧妙なのか、はたまた魅了魔法でもなんでもなく、ただのまぐれ当たりなのか――。


 天使ちゃんの背中に生えた翼を見ながら考え事をしているうちに倉庫の出入り口に到着する。


 わたしは倉庫を脱出したら、天使ちゃんに先ほど魔法を使ったのかどうか聞こうと思った。天使ちゃんは癒しの魔法しか使えないと言っていたが……実際は、違うのだろうか?


 しかしわたしがぐるぐると考えているあいだに事態が急変した。


 天使ちゃんが望んでいた通りに、セラバート殿下が騎士団を率いてわたしたちの救出にやってきたのだ。


 にわかに騒がしくなった倉庫内で、わたしは自然と天使ちゃんを守るために奮闘せねばならなくなった。わたしたちの逃走に気づいた追っ手を振り切り、ときに魔法を打ちこんで倉庫を脱出し、セラバート殿下たちとなんとか合流することができた。


 セラバート殿下に、神殿騎士のグラン、ついでイオも顔を出して、わたしたちの無事を確認すると安堵の表情になる。


 わたしは――これだけひとが集まっていては天使ちゃんに先ほどの一件を聞くのは憚られるなと考えながら、セラバート殿下たちに礼を言う。


 一方の天使ちゃんは――


「ふええぇ……こ、こわかったですぅ」


 と言って、その大きな青い瞳から綺麗な涙をぽろぽろと流し始めた。


 それを認めたセラバート殿下にグラン、イオは大慌てだ。


「守れなくてすまない……そうだ、怪我はないか? 大丈夫か?」

「そうだよな、エリエルは怖かったよな……」

「そんなひどい目に遭わされたんですか?! くっ、これならもっとあいつらを――」

「だ、だいじょうぶですぅ。みんなは頑張ってくれたってわかってますっ。でも、ちょっぴり怖くて――みんなの顔を見たら安心して……な、涙が……ふえぇ」


 ぽろぽろと泣く天使ちゃん。天使ちゃんを慰める三人。それを――白けた目で眺めるわたし。


「……あ、グラン怪我してるっ!」

「あ? これくらいどうってことねえよ」

「油断は禁物だよっ。エリィが治してあげる!」


 グランの頬に赤い線が走っているのを見つけた天使ちゃんは、そう言って手のひらに光の玉を出現させる。そしてその光の玉を握り込むと、優しい手つきでグランの頬にある傷を指でなぞった。たちまちのうちに、グランのかすり傷は治って、痕などまったく見つけられなくなった。


「ありがとな、エリエル!」

「かすり傷くらい、放っておいていいのに……」

「まあそう言うな、イオ。少しの傷も放っておけないのがエリエルの優しいところだ」


 和気あいあいと話を続ける四人。わたしは――完全に蚊帳の外にいた。


 冷めた目で四人を見つめる自分と、三人のうち、だれもわたしの心配をしないことにショックを受ける自分とがいた。


 そう、三人はずっと天使ちゃんの心配はしているけれど、わたしにはそんな声を一度たりともかけていないのであった。


「エリエル、癒しの力を使って疲れただろう?」

「えへへ。エリィにできるのはみんなを癒すことくらいですから! これくらいどうってことないですよっ」

「そんなことないだろ。怪しい連中に拉致されて……今日はもう休めよ、な?」

「そうです。エリエルさんは今日はすごく頑張ったんですから」

「そうかな~? でもそうかも……エリィ、今日はもう休んじゃうね」


 魔獣退治に同行したいと言い出したのは天使ちゃんのほうからだった。けれど今日はもう天使ちゃんは働く気は一切ないらしい。


 一方、わたしは聖乙女としてそう簡単に仕事を放棄することなどできるはずもない。聖乙女という地位にいる以上、泣き言は一切許されない立場なのだ。


「――モチくん。いる?」

「はい。ここに」


 わたしは四人から離れた場所へ移動すると、物陰に話しかけた。すぐに返事がある。男にしては少し高い、少年の声。


 彼の名前はモチくん。神殿配下のニンジャ衆に属するニンジャである。東方より伝来したニン術を駆使するニンジャ衆の仕事は、聖乙女の身辺警護や情報収集など多岐にわたる。


 ……という設定はわたしも知っていたが、『聖乙女アンマリア』に登場するニンジャは名無しのモブばかりだった。すなわちモチくんは『聖乙女アンマリア』には登場すらしないモブである。


 けれどもわたしとの付き合いは聖乙女候補時代からなので、モチくんのことをわたしはよく知らないけれど、モチくんはわたしのことを――職業柄――よく知っているだろう。


 そんなモチくんを呼び出したのには理由がある。


「わたしたちを拉致するときに人質にされた騎士がいたけれど……彼は?」

「すぐに処置をしたので命に別状はありません」

「そう。……よかった」


 わたしは心の底から安堵の息を吐いた。わたしたちを拉致する際に斬りつけられ、人質にされた年若い騎士。彼がどうなったのかずっと引っかかっていたのだ。


 彼は今回の件で叱責を受けるだろうが、それも命あっての物種だ。


 わたしがハア、と小さい息を吐けば、膝を折っているモチくんが顔を上げてこちらを見ているのがわかった。


 見ているのはなんとなく視線でわかったが、モチくんは前髪で目元が隠れている――いわゆるメカクレというやつなので、実際にどこを見ているのか正確なところはわからない。


 でも、わたしに視線を向けているのは、顔を向けている方向からわかる。


 わたしが「どうしたの?」と聞く前に、モチくんが意を決したように口を開いた。


「――もう、都合のいいひとでいるのは、やめませんか?」

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