(7)
わたしは三人と天使ちゃんから徐々に距離を置き、できる限りフェードアウトしようと考えた。
けれどもそれはもちろん、そんな簡単に行くはずもなく――。
「きゃあ~!」
天使ちゃんが甲高い声できゃあきゃあと言っているあいだに、わたしは杖で小型の魔獣を殴り倒した。そこにモチくんが素早く距離を詰めて、小刀で魔獣の首を掻き切る。魔獣の首筋から紫色の瘴気が噴き出すと、天使ちゃんは顔を青くしてまた悲鳴を上げた。
わたしはそんな天使ちゃんにうんざりしながらも、淡々と魔法を放ち、ときに杖を振るって魔獣を倒して行く。
魔獣に近づきすぎるのは危険だからと、わたしはアシスト役に留まっていたので大きな顔はできない。けれども今の天使ちゃんよりは顔を大きくしたってだれも文句は言えないはずだ。
定期的に行っている魔獣退治に天使ちゃんは同行をねだり、実際に同行しているものの、戦闘ではまったく役に立たない。それでも戦うわたしたちの周囲をうろちょろしては可愛らしい悲鳴を上げている。
わたしは、そんな天使ちゃんに内心で辟易しながら、しかし顔には出さずに淡々と仕事をこなしていた。
今、天使ちゃんに苦言を呈することができる立場の人間は少ない。天使ちゃんはまごうことなき「天使」で、神の使いだからだ。
わたしは天使ちゃんに苦言を呈することのできる数少ない人間のひとりであったが、彼女とは距離を置くことに決めたのでしらんぷりを決め込んでいた。
正直に言って、物申してやりたい気持ちは胸いっぱいにある。けれどもここで天使ちゃんにそんなことを言えば、わたしは確実に悪役になる。
わたしは、モチくんほど優しい人間ではない。モチくんほど他人のことを心から思いやって、ときに泥をかぶれる人間ではない。
……そのことに今さらながらに気づいて落ち込んだりもしたけれど、それでもやっぱり天使ちゃんたちにはかかわりたくないという気持ちのほうが強かった。
わたしと同様に、天使ちゃんと直接お話できる立場であるセラバート殿下は論外だ。悲鳴を上げる天使ちゃんをちゃっかりと抱き寄せてから背にかばって、「大丈夫だよ」などと甘い声を出している。
どうもわたしはまだ彼らへの気持ちを完全には断ち切れていないらしく、そんなセラバート殿下を見てなんとも言えない気分になる。
なんだか今の恋に狂っているセラバート殿下は、以前ほど格好良くも、頼り甲斐があるひとにも見えなかった。
「うわっ」
「イオ!」
そうこうしているうちに距離を詰めてきた魔獣の爪が魔法使いであるイオの腕をかすめた。あわてて魔獣の脚の腱を切り裂くように風魔法を放つ。悲鳴を上げた魔獣に、モチくんがとどめを刺せば、たちまち瘴気が噴き出して、魔獣の姿は霧散する。
「きゃあっ! イオ、血が出てるっ!」
天使ちゃんは眉を八の字にして、瞳をいっぱいに開いてイオに駆け寄る。
「腕を出してくださいっ! エリィが治します!」
天使ちゃんはそう言うや、手のひらに光の球を出す。そしてイオの腕の傷をすっと指でなぞって、いとも簡単に治してしまった。
わたしが天使ちゃんに真っ向から注意もできず、悪くも言えないのは、彼女の癒しの力が本物だったからだ。
対するわたしは癒しの力が弱く、天使ちゃんほど治癒魔法が得意ではない。
「あれ? 腕にまだ傷が……」
「あっ、これは以前負った傷で……」
「これもエリィが治しておきますねっ」
イオの腕に薄くある傷跡。それは以前わたしが完全には治しきれなかったものだった。
そのとき、わたしはそれを申し訳なく思ってイオに謝れば、彼は「こんなに深い傷をここまで治せるだけで、すごいことだよ」と言ってくれたのだった。
天使ちゃんの癒しの光に包まれて、醜い引きつれや薄茶色の傷跡が綺麗に消えて行く。
「はい、これで綺麗になりましたよっ」
「すごい……ありがとう。エリエル」
「えへへ、どういたしましてっ」
わたしは――なんだか、自分の至らなさを目の前に突きつけられたような気がして、イオと天使ちゃんを見ていられなかった。
同時に、記憶の中で「ありがとうございます」と言って微笑むイオの姿が白い闇に消えて行くような気持ちになった。
「さっすがエリエル。アンマリアも治癒魔法を頑張らないとな!」
グランの悪意のないひとことがわたしの心に突き刺さる。
「ええっ、そんな褒めることじゃないですよぅ! エリィなんて癒しの力しか使えませんからぁ~」
天使ちゃんの謙遜がわたしの心をかき乱す。
「聖乙女様」
目の前が暗くなっていくような感覚からわたしを引き上げてくれたのは、モチくんの声だった。涼やかなアルトボイスが耳朶を打ち、わたしはハッと我に返ることができた。
「空模様からしてひと雨きそうです」
「……そう。報告ありがとう」
わたしはどうにかこうにか気持ちを切り替えて、魔獣退治のために連れてきた人員に、引き上げることを告げる。
けれど、その声は震えていなかっただろうか。いつも通り、堂々とした態度でいられただろうか。……それが少し心配だった。
ああ、全然ダメだ! 心の中でそう叫ぶ。
天使ちゃんたちとは距離を取るというのは、実際の距離だけではなく、心の距離のことも指しているつもりだった。けれど、全然できていない。
わたしはまだまだ、天使ちゃんたちが気にかかって気にかかって仕方がないのだ。
馬車に乗り込み、イス部分に腰を下ろしてため息をつく。深く腰掛けて、背を預けて。それでもまだまだため息は止まらなかった。
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