日本語の通じない日本人達その5
シメジは職場から車で20分程の、二階建てアパートの二階の角部屋に住んでいる。
職場から車で30分以内、徒歩でも最寄り駅に無理なく行けて、2DK風呂トイレ別で家賃7万円以内。
地方都市でも少し外れたところならこれくらいの条件でも見つかるものだ、とシメジは大変気に入っていた。
車を停めた瞬間、タケに「女を連れ込むのに丁度良い条件だ」と言われて喧嘩になったが、それはさておき、車を部屋のすぐ下の駐車スペースに停めて階段を上がる。
「実際、合鍵持ってる女とかいないの?」
「いない。」
「そうか。」
廊下を奥まで進んで部屋の前に立ち、鍵を差したところで、タケはシメジの手首を掴み逆の手の人差し指を口の前に立てる。そのままシメジに「下がれ」と合図をすると、扉を開けると同時に半身を回し、開いた扉の陰に体を隠す。
「おらあああああ。」
雄叫びと共に男が木製バットを振りかぶって部屋から飛び出て来たが、男の想定した位置に、標的の姿は無く、バットは空を切り、そのまま廊下の柵に寄りかかる。
「ああああああああああ?」
絶妙のタイミングで扉の陰から出たタケが男のズボンのベルトを掴み、ほんの少し外に向けて力をかけると、バットの男はそのまま柵の向こう側へと落下した、同時に逆の手で、扉を閉める。その重量からは想像も付かない速度で再び閉じた扉に反応できず、後詰めに飛び出そうとした2人目の男は、あえなく扉に衝突した。
ゴチンと鈍い音が、階下と扉の向こうでほぼ同時に鳴る。タケの合図から、隣の部屋の扉辺りまで下がっていたシメジは、恐る恐る柵の向こうを覗き見る。落下した男は、曲がってはいけない方向に腕を折り曲げて失神していた。シメジのミニクーパーのボンネットの上で。
タケはというと再び扉を開けて、扉の向こうでうずくまる男にトドメを刺していた。
「タケ。」
小さく嘆息したシメジに促され、階下を覗くタケ。
「うっわ、すまん。」
「いや、こうしないと俺死んでるしな。これで最後か?」
「いや、本命は奥だ。」
玄関を開けた先は左に四畳間、右に風呂とトイレ、奥にリビングダイニングキッチンがあるが、明かりもついていない中、タケは真っ直ぐに奥の扉だけを指差した。
松田尊は獲物の臭いに敏感な獣である。
玄関から順に室内灯のスイッチを入れ、各部屋を順に開けていくシメジをよそに、タケはツカツカとリビングに向かう。明かりのないままタケが扉を開き、扉の向こうで刃物を構えていた男を捕まえ、手首をへし折って手元の刃物を奪ったのち絞め落とすと同時に、シメジがリビングの明かりをつける。
「よう。」
リビングのソファには男がドッカリと座っていた。
「あのジジイしくじりよったんか、高い小遣いせびっといて時間稼ぎにもならへん。」
彼の手には拳銃が握られており、先程まで部屋が暗かったにもかかわらず、ピタリとタケに照準があっている。
「まぁ、お前相手やったらしゃあないか。」
連れて来た部下を叩きのめされ、男がため息を吐いた。
「うわ、あんたが出てくるのか。」
締め落とした男を抱えたまま、黒の上下にサスペンダー、そして赤いタイの妙にキマッた壮年の男にタケが応える。
「おお?俺の事知ってる?嬉しいね、お前『トラガリ』やろ?先週ムショから出て来たらしいけど、何でお前がこんなトコにおるん?」
銃口と失神したチンピラを間に挟んで間の抜けた挨拶を交わしながら、お互いを牽制する。
「タケちゃん、髪型イジられてるけど、このおっさん誰?知り合い?」
「ヤクザ屋さんの大物だよ。詳しい説明は後だ。」
シメジは「そうか」と言いながら小さく「他の部屋には誰もいない。」と告げる。
「おお、後ろの兄ちゃん、あんたがキヨタシメジかいな?ちょっと俺と話しようや。」
言いながら、黒ずくめの男は構えた銃に丁寧にセーフティをかけ、マガジンを抜いてテーブルに置く。ヤクザはタケとシメジの少ない会話から、2人が支配関係でなく対等な協力関係にある事を瞬時に見抜き、暴力による懐柔を諦め、対話による目標達成に切り替えたのだ。
「まぁ座りよ、いうても俺がソファにおるから椅子出してもらわなあかんけどな。」
シメジの部屋にはソファ以外にはPCデスク用のワーキングチェアと、折り畳み式の丸椅子があるが、丸椅子は見えるところには無い。このヤクザが、あるや無しやに関わらず「椅子を出せ」という横柄者である可能性もあるが、シメジもまた、ここまでの少ない挙動からこのヤクザの知性を推し量り、そうでない事を確信している。
シメジはヤクザが「この部屋の家探しは既に済んだ上で、部屋の状態を元に戻したのだ」と思う事にした。
「どうする?」
気絶したチンピラを床に落とし、彼から奪った刃物をキッチンの包丁スタンドに差しながらタケが背後のシメジに問いかける。
「まぁ、良いんじゃないか?襲撃の元凶がこの人だとしても、この人日本語通じそうだし。」
シメジは寝室にしている四畳間から折りたたみ式の丸椅子と、取手付きのクズカゴをさげてリビングに戻る。クズカゴには取手の他にフタも付いており、椅子として使えるデザインの物だ。丸椅子をタケに勧め、シメジはクズカゴに座る。タケはテーブルを挟んでヤクザの正面、自分の間合いに銃が入るように椅子を置き直し、シメジはその横に陣取る。
「ほな改めてまして。」
そう言うとヤクザは胸のポケットから名刺を出し、テーブルに置いた。
「近畿威迫会直参 神露会 若頭 東雲博之」
「へぇ、カシラの名前ヒガシグモってのか。あんた「カシラ」としか呼ばれてなかったから、初めて名前知ったぜ。」
「アホか、これはシノノメ言うんじゃ。なぁ?」
シノノメは人との距離を詰めるのが早い。相応の緊張感をもって相対したはずのシメジが思わず頬を緩めた。
「まぁ、俺も文系じゃないんで、言われないと読み方は分からないでしょうけど、ヒガシグモじゃない事くらいは流石にね。俺の名刺は必要ですか?」
「いや、もう持っとるからええよ、クロヤギドラッグ 城下南店 薬剤師のキヨカワ シメトキ君。」
シノノメはそう言うと、自分の名刺の隣にシメジの名刺を並べる、この名刺も、シメジが普段持ち歩いている分を除けば、社員研修の時にしか引っ張り出さないような鞄の奥の予備の名刺入れにしか入っていない。
「こっちの自己紹介は不要ですね。それで?指定暴力団の若頭が、俺なんかに何のご用ですか?」
シメジは、シノノメの手がギリギリ届かない間合いでシノノメに顔を寄せる。
一方のシノノメは名刺を出した時の前のめりの姿勢を崩さない。
「単刀直入に言うけど、あんたゲキヤクなんやろ?すまんけど、そこのトラガリやなくて俺と一緒に大阪まで来てくれへんか?悪いようにはせぇへんで。」
部下を引き連れて自宅に侵入し、シメジを待ち伏せていたという事実とは裏腹に、シノノメの腰は低い。普段から無駄に高圧的な患者や、現場を軽視する本社勤務の的外れな物言いに慣れたシメジにとって、それは喜ばしい反面、何より不気味であった。
「申し訳ないですけど、人違いですね。俺はゲキヤクじゃないし、これから相棒と有給を満喫するんで、大阪に行くのも遠慮します。」
ヤクザに対して一歩も引かず、動じるでも虚勢を張るでもなく、薄笑いすら浮かべるシメジとの会話を、シノノメは楽しみはじめていた。
「へぇ、無理矢理家まで引きずってこられたにしては様子が変やと思っとったけど、あんたこのトラガリを相棒や言うんか。君らどういう関係なんや?」
話題にされたタケは、この3人の中では一番落ち着きが無い。目の前のシメジが無茶をやらかさないか見張りながら、シノノメが呼んだかもしれない増援に気を配っている。
「高校の同級生っすね。」
シメジの言葉に心底驚いた顔でシノノメはタケの顔を見やる、タケは神妙な顔のまま、ゆっくり頷いた。
「ホンマか。流石に高校の卒アルはこの部屋に無かったから確かめようも無いけど、こんなん嘘言う意味も無いしな。」
それが考える時の癖なのか、シノノメは背筋を伸ばして顎を引き、思案顔で明後日の方に首を傾げる。しかし目線だけはシメジから外さなかった。
「もしそれがホンマやったら、トラガリがあんた連れてるんは懸賞金目的やないんかもしれん、やとしてもお前はゲキヤクのはずや。」
異様に身体と首をねじりながら、それでもやはり視線をシメジに向けて、シノノメは続ける。
「お前がゲキヤクやないんやったら、あのファイルは何や?あれ、ゲキヤクの絵図そのものやろ?」
この場合の「絵図」とはすなわち、犯行計画を意味する。
「やっぱり見つけてましたか、あれを書いたのは俺じゃなくてカラシバなんです、と言ったら信じて貰えますか?」
「残念やけどそこまで甘くはないな。」
「でしょうね、俺でも信じない。」
シメジとシノノメは笑い合う。
論理ではなく直感で、シノノメは「コイツは嘘を吐いていないが、本当の事を言ってもいない」という事を理解していた。
未開示の情報があるという確信と、自分の直感が外れている可能性、そして松田尊という暴力装置。
この3点を統合した結果「こいつはここで抑えるべき」と判断したシノノメは、笑顔のままテーブルに左手をついてシメジとの距離を詰めると同時に、右袖に仕込んだ果物ナイフを取り出して逆手に握り、シメジめがけて振り下ろした。
ジェネリック・シンドローム succeed1224 @succeed1224
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