「日本語の通じない日本人達」その4

「とりあえず俺ん家でいいか?」

「おう、でも悪いが最低限の準備してすぐに出る事んなる。あ、お前パソコンとか持ってる?」

「古いデスクトップが1台あるけど?」

「最悪ぶっ壊す事になるかもしれん。」

「まじかー。」

タケは先ほど買い込んだ缶チューハイを一本取り出すと、律儀にシメジに合図してからプルトップを開けて口を付けた。

「で、何から聞く?」


問われてシメジは考える。

まず、松田尊と清川締時の間には、幾つかの武勇伝と、浅からぬ因縁がある。「マツタケシメジ」と言えば彼らの地元では「ちょっとだけ」名の知れたコンビだ。シメジは「漫才師みたい」であまりこの通り名は好きではなかったが。


そんな彼らの高校生活の顛末と、その果てに待っていた10年間の決別に、シメジは思いを馳せる。


10年、人間の人格を良くも悪くも変様させるに足る時間であるが、同時に多少の確執を水に流すにも、また充分な時間である。


「じゃあまず一つ。」

言われて、タケは真剣な顔でシメジを見やる。

「今って猫の事件とどっちがヤバい?」

彼らの地元で「猫の事件」あるいは「殺猫事件(さつねこじけん)」と言えば、その言葉が醸し出す剣呑さ以上の意味をもって、多くの者が苦い顔をする。

地域の愛猫家をはじめ、ペットを飼う全ての家庭を震撼させたその事件は、解決まで約1年間を要し、無数の罪無き動物達の無残な亡骸と複数名の逮捕者、そして2名の死者を出した、マツタケシメジの武勇伝の中でも最も大きな事件である。

「ヤバさで引けは取らねぇが、残念ながらオリるのには、あん時よりちっとばかし骨が折れる。今回はただ知らん顔しててもシメジに追手が付くからよ。ほとぼりが冷めるまでは、俺と大人しくしてる方がいい。」


殺猫事件では、不用意に首を突っ込んだマツタケシメジに、首謀者からの「警告」が送られた事があった。

言い換えれば「これ以上関わるな」という警告に従って退く選択肢があったのだ。


「なるほど、警告無しであの爺さん達みたいなのが俺を攫いに続々やって来ると。」


シメジにはもちろん、何も身に覚えが無い。然らば本来なら、こんな事態になった理由を、少なくともシメジを助けに入る程度には事情を知っているタケに問いただすべきなのだ。


しかしシメジはそんな野暮は言わない。タケが10年ぶりに再び自分の前に姿を現した、それ自体がシメジにとって「自分が既にトラブルの渦中にいる」事の証明であり、逃げ出すには既に手遅れである事を示しているのだと、シメジは理解している。


シメジが初めてタケに会った時から、ずっとそうなのだから。


「で?退く前提で俺を助けたのか?相棒。」


10年前なら「事情は後で話すからとりあえず黙って言う事きいとけ」で済ませていたのに、10年ぶりでいくらかしおらしくなってしまったタケを挑発するように、シメジは笑った。


タケの缶を握る手に少しだけ力が入り、音を立ててアルミ缶が歪む。

怒りでは無かった。

10年前、シメジとは決して義理堅いとは言えない別れ方をした。事情が無いではなかったが、それを言い訳に出来るほどタケは器用ではなかった。

そんなタケには、あらゆる事情を捨て置いて、まるで10年前の続きの様に物を言うシメジの態度が、たまらなく嬉しかった。

「オリる気が無ぇなら、猫の時よりタフになるぜ?仕事をクビになるような事だけじゃ済まねぇかもよ?」

「さっきの防犯カメラの映像見られたら、どのみち懲戒だろうから、出て来る時に有給休暇フルで申請して来た。実はさっきからスマホがブルブルしっぱなしよ。」

「へへ、流石相棒。」

「で、あいつら結局何だったの?まさかあれがイカれたカスタマー・ハラスメントで、その真っ只中にたまたまタケちゃんが割って入ったワケじゃないよな?」

タケはバツが悪そうな顔で、缶チューハイをあおる。今しがたシメジが見せた信頼に対し、これからタケが言おうとしている事は、ともすればあまりに無礼なものだったからだ。

「なぁ、シメジ。お前、ゲキヤクなのか?」

「はああぁ?」

それはもちろん、シメジにとって埒外の問いかけだった。

「いや、すまん、それがホントかどうかはこの際どうでもいいんだ。問題なのはよ、シメジ、お前の事をゲキヤクだと思ってる奴が、お前に賞金掛けてるってこった。」

不義理を嫌うタケは慌てて取り繕うが、シメジの興味は既に別のところにある。

「誰が言ってんのそれ?」

「大元はどこか分からねぇが、今朝、指定暴力団傘下から半グレの連中までに情報がバラ撒かれた。」

「額は?」

「生捕りで1千万。殺すなってよ、良かったな。」

「へっ、笑えねぇよ。」

「まぁ、そうだな。で、こっからが大事な話だ。バラ撒かれた情報の中には、シメジの他に2人分の名前があった。カラシバ レンとマツナリ アヤナだ。聞き覚えあるか?」

「ある。」

「お前が違うなら、そいつらのどっちか、あるいは両方が今を時めくゲキヤク様だ。」

タケは続けざまに「コイツら一緒に捕まえようぜ」と言いかけたが、シメジの即答加減に、この名前の主とシメジとの関係の深さと、この情報からシメジが受けたであろうショックの大きさに気付き、その言葉を飲み込んで「どうする?」とだけ言葉を添えた。

「悪い、軽い気持ちで訊いたけど、これ運転しながら処理出来る内容じゃねぇ。とりあえず家着いたらゆっくり整理しながら話聞くわ。」

「あー。」

タケはまだ何か言いたそうだったが

「了解。」

とだけ言って口を閉じた。

情報の処理が若干キャパシティを超えたシメジは、つい先刻タケが「すぐに出る事になる」と言った事を失念しているのだった。

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