「日本語の通じない日本人達 その3」
シメジが何事も無かったかのようにレジ横を抜けて休憩室に入ると、中では調剤室とは関係の無い、ドラッグストア側の店長が日計表を付けていた。どうやら監視カメラのモニターには目もくれていないらしいが、調剤の待合室を映した画面には、倒れ伏す3人の男がバッチリ映っている。
「お疲れっす〜。」
シメジは努めて普段通りの挨拶をした。中に店長がいるのは分かっていた事だ。
「あ、お疲れ様です。先生、今日売り上げ金額高いですね。助かります。」
普段挨拶程度しかしない店長が、こんな時に限って話を振ってくる。それも日経表から顔をあげずに言うので、店内で起きた事に気が付いていない。
「ああ、まぁ、たまたま高い薬持ってった人がいたんですね。」
ドラッグストアの店長というやつは大抵、売り上げ目標という名のノルマに追われている。
シメジは特に頓着しなかったが、今日は抗がん剤を真面目にきちんと服用している患者が、周辺症状を緩和する薬も含めて10万円近く1人で払って行ったので、極端に売り上げ金額が大きく、今日のノルマはクリアされたようだ。
「いやホント感謝ですよ。」
そのつもりが無くとも、その言葉は「ガンになって、高い薬をうちに貰いに来てくれてありがとう」という意味を含んでいるが、それを分かっているのか?
と、普段のシメジなら噛み付くところだが、今はそんな場合ではない。
「まぁそうですね。」
いつものシメジなら絶対に打たない相槌でお茶を濁す。
シメジはなるべく気取られないように据え付けの端末にログインし、退勤と、ついでに明日から可能な限りの有給休暇を申請した。
こんな状況で逃げる様に店を出るのだ、懲戒解雇は免れまいと、シメジは既に覚悟を決めていた。
「サナダミンの切り替えもこの調子でお願いしますよ。」
直ちに立ち去りたいシメジの思惑をよそに、店長は続ける。店長にとっては、シメジに声をかけたのはこちらが本命の話題だった。
真田製薬謹製のビタミン合剤「サナダミン」シリーズは、ビタミン剤の売り上げシェアトップの人気商品である。実は近年、法人税対策の為に、真田はサナダミン関連の製品の権利を切り離し「サナダミン製薬」という分社を設立しており、厳密に言えば「サナダミン」は真田製薬の製品ではないのだが、消費者にはそんな事は関係無く、サナダミンもゲキヤクの副作用による真田離れの煽りを受けているのだ。
ここに付け込んで、製薬企業各社はサナダミンに類似したビタミン合剤の販売推進を、販売店各社に強く持ち掛け始めた。「サナダミンやめるなら代わりにこちらはどうですか?」という売り文句でシェアを奪おうという事である。
「いや俺、小此木製薬嫌いなんですよ。」
弊社の切り替え推奨品は、小此木製薬の「新オコノギV」である。シメジはある理由から、小此木製薬の製品を快く思っていない。
「まぁそう言わずに、1日1個でいいので、お願いしますよ。」
反論された事に少し苛立った店長が振り返って言う。
「善処します。」
監視カメラのモニターを見られたら一巻の終わりなので、シメジは咄嗟にロッカーに手を伸ばす動作で、上手く店長とモニターの間に体を入れる。
いくらか不自然な動作なので、多少店長は怪訝な顔をしたが、すぐにまた日経表に頭を戻す。
「お疲れ様でした〜!」
シメジはいつもより上擦った声で改めて挨拶をし、ほぼ同時に、返事をしようとする店長のスマホが鳴った。手だけで挨拶を返しながら、ポケットからスマホを出そうとする店長を尻目に、シメジは足早に休憩室を後にした。
「遅い!」
休憩室から出てくるシメジを待ち構えて吠えたタケの手には缶チューハイとツマミが入った袋が下げられていた。
「悪りぃ、行こうか。」
側から見れば自宅で飲み会を開く若い男2人に見えるが、片方は先程3人の男に拉致されそうになり、もう片方はその3人の男を昏倒させている。
いそいそと店を出た背後で、店長が「先生!」と声を張る。
「流石に早いな。」
シメジは店長の声を無視して車に向かう。
店長が受けた電話はエリアマネージャーからで、薬剤師が突然半月分の有給を申請してきた事に対する確認のためのものだった。
更に、追ってこようとする店長に向かってバイトの子が深刻な顔で声を掛けている。品出しを終えて真面目に掃除を始めたバイト君のおかげで、待合室の方も発覚したのだ。
「シメジ呼んでるぞ?良いのか?」
「タケがそれ言う?」
言いながら、カバンからキーを出して遠隔操作でロックを解除し、音と光でタケに車の位置を知らせる。
店舗駐車場の奥、従業員スペースの端で他のスタッフの車の陰にあるシメジの車は、青い中古のミニクーパーだ。
「おお、いいね。」
「お気に召して何より。」
助手席にタケが乗り込むと同時に車を出すと、駐車場の中程まで追って来ていた店長と目が合う、何が言いたげな店長が道を塞いでいたので、話をしようとするかのように減速して、道を開けたところをフェイント気味に急加速して抜き去った。
「あとよろしく〜!」
助手席のタケが、わざわざ窓を開けて煽る。
2人ゲラゲラ笑い合う。そんな10年ぶりの再会だった。
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