監獄 ージェイルー
牢獄の薄暗い室内。
そこで男女の言い争う声が、やぶさかではない棘を含み、無闇だがある意味快然たる響きをもつ。短慮軽率たり得るはずの会話が、妙に弛んで流れている。
「先輩! ちょっと酷くないですか!」
「何がだ!」
「なんすか、ここは! なんで二人で牢屋に入らないといけないんですか!」
「ああん、つべこべうっさいわ!」
「逆ギレかよ、お前! もう死ねやぁぁぁぁ!」
坂東は涙声で訴えかける(吠える)立夏を手でしっしっとぞんざいに扱い、さらに彼女の怒りを買ってしまう。
ここはパリ。
パリジャン・パリジェンヌを生む芸術とモードの都。その詩的なフレンチ魂をイギリスとは違うコケティシュな嫌味で凝縮した都市は、「Bonjour」を言えない内気でウエットな日本人には決して向かない。
同じフランス人でさえ、パリの個性とは距離を置きたがる。自由な個人主義が選民的かつ排他的に昇華され、高慢で差別的なフランス人が集う嫌な都市だ。
坂東らがいるこの場所は、かの悪名高きサンテ刑務所ほどではないが、パリ市内で巧妙に外観をカモフラージュされ、政府が秘密裏に管理・運営する特殊刑務所だ。その名をコンシェル牢獄と言う。
かつてマリーアントワネットを収監した牢獄と似た名のこの施設、堅牢かつ陰鬱な内部は特殊な受刑者のみを収容し、一般に表立って語られる事はない。
気分屋でウィットにとんだパリ市民は、この場所を管理維持する不穏な資金の運用についてまるで把握していない。そんな盲目たる嘘を抱えた場所だ。
室内は外部からの日光は一切注がず、照明は月明かりを僅かに増したくらいに薄暗い。本を読むにはベッド脇にある安物のチープなスタンドを使うのだが、当然の如く電球が嵌められていない。低俗なフレンチジョークだ。
かつては白かったはずの壁は重苦しくダークに濁り、この部屋にいた囚人達の様々なやり場のない怒りと暴力の痕跡を残す。漂う空気は淀み床は剥がれ、小さな換気ダクトから耳触りなブーンと言う小さな音が絶えず聞こえていた。
不衛生なベッドと、頑丈さだけが取柄な傷だらけの木机、そして惨めで嫌悪感の湧くオープントイレ、これらがこの室内の装飾となる。ただし通路と獄中を挟むメタリックな鉄格子は、不似合いにも最新式で、悪趣味な嫌がらせとしか思えない。そんな場所に坂東と立夏は収容されている。
「大体、なんでおっさんの先輩と、この可憐な私が一緒の牢獄なんですか!」
「また、その話か、だから、これが真の男女平等だろ。あっ、わかったぞ、トイレか? トイレだろ? 行きたいなら早くしろ。耳塞いでおくから」
「も、も、も、もう、そうじゃありません!」
ベッドに腰かける立夏は怒りを浮かべつつ赤面し、床で胡座をかく坂東は生真面目な顔で耳を塞ごうとする。狭い部屋だから、両者の距離は1,5メートル程しか離れていない。
二人がこの牢獄に運ばれたのは昨夜の事だ。着くなり味気ない洗いざらしの安っぽいブルーの囚人服に着替えさせら、手首に認識用のブレスを嵌められた。
その日の夜中に立夏は一度だけトイレを使った。室内にある不衛生なトイレ。受刑者が隠れない様にオープン設置されているそれは、当然の如く同室の坂東の視線を交わすには余りにあからさまだ。
立夏はいっそまだ起きていた坂東の後頭部に蹴りを放ち、しかるに昏倒させ使用すべきかと真剣に悩んだくらいだ。
結局、危機を察知した坂東が紳士的に耳を塞ぎ、さらに部屋の隅に身を寄せ、背を向け体育座りをし事なきを得た。ただし立夏は使用中、背を向けた坂東の肩が僅かに震え、笑いを必死で堪えていたのを見逃さない。
羞恥と怒りのトイレタイム。彼女の中で次は絶対に蹴ると強く誓った瞬間だった。
「私が怒っているのは、なんで今回の件について何も情報共有されないかです!」
羞恥を一旦保留にし、至極真面目に、いや若干強要気味にその瞳に力を込める。
「また、その話か……。お前、男が浮気をしたらとことん追い詰めるだろ? いいか、賢い女はな、怒る時でも男の逃げ道は準備しておくもんだ。お前みたいなタイプは絶対に相手を無理矢理謝らすだろ? だから逃げられるんだよ」
「な、な、なんで、わかるんですか! だって、私は悪くはないもん…………、って違う! そんなのはどうでもいいんです。私は現在フリー! 男なんて必要ありません。それよりも情報の共有です」
思わずはぐらかされかけた立夏がにじり寄ろうとするが、坂東は間に合ってますといわんばかりに軽く手で制した。
「そんな威嚇気味に寄ってくんな、怖いから。ちゃんとお前にも情報を与えているだろ」
「だ・か・ら、なんで『敵が迫ったらぶっ飛ばせ、以上だ』しか教えてくれないんですか! ここパリですよ、そんな話だけで、なんで私は海を渡らないといけないんですか! これでもれっきとしたキャリアです、キチンと説明を求めます」
立夏の物言いをおかしそうに坂東は聞き流し、嘲笑的な笑みを浮かべた。
「これだから、キャリアだかキャリーぱみゅぷ……、くそ、いいにくい、ボケにもつかえん。とにかくお前らキヤリアは、頭が固い上にすぐに理詰めだ。馬鹿じゃねぇか? 何度も言うが、『教えて下さい』、『はい、それは』は学校でやってろ。社会は自分で学ぶ場所だ」
「ええ、学んでますよ、馬鹿な先輩がいて困ってますからね、そんな処世訓的な言葉はいいです。普通は作戦前にキチンと概要と目的、さらに細かい段取りの説明があって然るべきです。先輩は大雑把な上に秘密主義だから、誰も組んでくれないんですよ。そのうち物凄い美人でボンキュボンのハニトラにでもひっかかって、人生終わればいいんです!」
興奮する立夏に坂東は少し勝ち誇った様に、その企んだ瞳を僅かに細めた。
「無知だな、お前。よし、特別に教えてやる。お前のそのハニトラ認識は間違いだ。未だにそんなのが来るのはロシアだけだ」
「えっ? どう言う事ですか!」
坂東は軽く頷き、謎めいた秘密を明かす様にそっと話し始めた。
実はさりげなく、先程から話の趣旨を誤魔化されている事に立夏は気づかない。ああ、こいつの頭が固くて話がしやすいと、坂東は内心微笑む。
「俺は何度も仕掛けられてるからな。最近のハニトラはな、普通のちょっと可愛いくらいのねぇちゃんだ。そんで関係を持つと女が擦りよって、『秘密教えて、ねぇ、教えて!』っておねだりしてくんだよ」
「はぁぁ! なんすか、その軽いノリ」
「考えてみろ、映画とかテレビみたいにあからさまな美人でプロっぽかったら、俺達男は恐れ多くて普通に引くからな。特に若い子に相手にされないおっさん議員なんか、卑屈だぞ。金払ってないのに、モテるわけねぇだろって考えるんだよ。秘書とかスタッフとかに手を出すのは、金を払ってるからやらせろってのが根底にある」
立夏はおっさん議員の油ぎった顔を思い浮かべる。
金持ちのぼんぼんが醜悪に年をとった出来損ない。若手もいるが、その瞳は感情が歪み視野の異常な狭さを物語り、見るからに心の欠落した存在である。
「まあ、だって本当に汚いし臭そうだし、そりゃモテませんよ」
「で、そんなおっさんがひっかかりまくってるハニトラは、キャバクラみたいなもんだ。その辺のねえちゃんと一緒で、甘えておねだりして、飯食わせろとかちゃんとたかる。甘え上手な可愛いねぇちゃんにおねだりされてみろ、男はいくらでも金をだすし、秘密だって喋っちゃうからな」
「そんなアホな事で政府の秘密がポロポロと漏れてんですか!」
「そうだよ、俺は仕掛けられても、ホテルには行くが、秘密を喋ったりしないけどな」
軽くサムズアップする坂東に、立夏はイラっと冷たい殺意を覚える。
「あんた、最低だ! もう先輩のアホ話は結構です。いいから、このミッションの概要だけでも教えて下さい、て言うか、そもそもなんで晩餐会でいきなり大統領の奥さんを口説いてんですか! どういうミッションなんですか!」
「ああ、それはあの場のノリだ」
一瞬、唖然とした立夏は額を押さえ、軽く頭を振り、念の為もう一度確認しようと坂東を正面から凝視した。
「いま、ノリって言いましたか、ノリって! ちょっと先輩、お伺いしますけど、私達が捕まったのは任務上の行動ではなくて、まさかマジなんですか!」
「ああ、マジ逮捕だ。でも仕方ないだろ、向こうが先に声をかけて来たんだ。旦那が浮気ばっかするから、若くて美人なヨメはプライドが許さないんだな。で、トイレにしけこもうとしたら、このざまだ。ははは、まいったな」
「てめぇ! もう腹切れ! 腹を切って日本の国民の皆様に詫びろ!」
アホな真実にその怒りが軽々と沸点に達し怒鳴る立夏に対し、坂東はどこ吹く風と怯む様子が微塵もない。
「うっせぇな、多少のトラブルがあった方が楽しいだろ? むしろ喜べ。お前はホント、アドリブがきかねぇな、これだからキャリアはゴミ虫なんだよ」
尚も立夏が激オコで文句を言い続けたが、坂東は悉くあしらう。
寧ろ、この退屈な牢獄での時間潰しにと、楽し気にこの若きエージェントをからかって遊んでいる様にしか感じられない。
坂東は身長185センチ、スーツの似合うがっちり体形の34歳、顔はイケメン、海外での評価はセクシー、ただし性格に難ありの秘密主義。立夏はすらりとした体形で身長は175センチ、27歳。色白、細面の和風美人、同じく性格に難ありの粘着系。
二人は昨晩、日本大使館主催の晩餐会にて、坂東の起こした問題行動により緊急逮捕される。同伴し訪仏していた立夏は巻き添えを食らう形だ。現在、日本大使館側とフランス政府が協議中、現状一週間の拘束を言い渡され、政府直轄の特別収容施設に入れられた。
「もう、嫌だ、こんなアホと一緒の部屋だなんて、フランス政府は頭おかしいんじゃないですか!」
「ホント、お前は文句が多いな。今時は男女平等だからしょうがないだろ。そのうちトイレも一緒になるからな、今から練習しとけ」
「そんな男女平等はありません!」
「馬鹿、フランス人ってのは極端なんだ。パリテとかやって女性議員は増やすし、パリ市の管理職なんて一時期女性が7割だったんだぞ、やり過ぎて裁判もあったしな」
「女性が進出して結構な話じゃないですか」
「それをやると男女平等じゃなくて、女尊男卑になるだろ。独特なんだよ、フランス人は。まあ、ちょっと違うが、例えば世界中が黒人差別している時だって、フランス人は『黒人の差別はしない、ただし区別はする』、とか言ってたしな。独自の価値観過ぎてちょっとイタい気質だ」
「あの、先輩はフランスが嫌いなんですか? 私は昔から好きですが?」
「別に嫌いじゃないさ。ツール・ド・フランスがあるからな。全ステージ興奮する」
「なんか理由がめっさ浅い!」
二人がそんな事を言い合っている時、設置された埋め込みスピーカーから、室内・廊下にブザーが響き渡り、鉄格子のオートロックが唐突にガシャンと解除された。
すると施設内に居丈高なしゃがれた男性のフランス語が流れた。いつもならば朝食の時間を告げるのだか、この日は違っていた。
「ほお〜、血液検査を飯の前にやんのか、こっちは動きが早いな」
坂東の含みのある言葉に、すかさず立夏が反応する。
「先輩、これって例の突然死と関係があるんじゃないですか?」
「当然だろ。フランスは2万人以上死んでるからな。日本は一日に死ぬ人数が約4千人くらいだから、厚労省が超過死亡率の範疇だって誤魔化してる。政府指導で報道規制して完全無視だ。国民も知らない奴は知らない。だが、フランスは1日の平均志望者が確か2千人未満だった筈だ。2万人も死ねば、そりゃあ大騒ぎさ。国は全国民に一斉検査をして、何か対策に動いてますよってアピールする必要がある」
「でも血液検査で何かわかるんですか? 死亡原因は様々だと聞いていますが」
「さぁな、そんな事よりとっとと行くぞ」
板東はそっけなく話を打ち切り、立ち上がると尻を手で軽く払い、そのまま気楽に部屋から出た。
「ちょ、先輩! その態度、 絶対なんか知ってるでしょう!」
慌てて追いかける立夏だが、坂東は振り返らず背中越しにはっきりと語る。
「自分で学ぶのが社会だって言ったろ」
尚も不服そうな立夏を黙らせ、二人は収監されている囚人達の列に急いで並んだ。
坂東は自分にしか聞こえない小声で、「ピリオドの鐘か……」と呟いた。
コワレル・セカイ 福山典雅 @matoifujino
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。コワレル・セカイの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます