5月の雪

 僕は随分と騒がしいこのサプライズパーティを適当に楽しむ。


 アメリカの馬鹿げたホームドラッグパーティみたいに、みんなクレイジーに羽目を外し、ベッドやテレビを窓から放り投げたり、壁をハンマーでたたき壊し、隣の部屋と開通させたりはしない。。


 とは言え楽しむみんなは、軽くブレイクダンスを披露したり、アレンジしたJーPOPをピアノで弾いたり、テーブル上で男女が寝そべって話をしたり、バルコニーでカクテルを作りながら夜空をみたり、勝手に風呂に入りバスタオルだけで廊下で話し込んだり、コスプレを着て映画を観たり、と様々だ。


 僕はビュッフェスタイルの食材を適当に皿に取って、ハイネケンを片手にソファでのんびりしている。


 実はこのパーティの模様を動画で撮影する使命を、僕は秋穂からお願いされている。だから極力皆の輪に入らず思い出したように撮影して、ついでに彼ら彼女らから清正へのバースデーコメントを頂戴していた。


 ちゃんと莉子も来ているけど、現在彼女は親友の秋穂達とお喋りをしている。お酒の飲めない彼女は少し困った笑顔だけど、楽しいそうにしている。僕は放置されたテディベアみたいに、にこやかに見守っていた。


「蒼介、お前さぁ、秋穂をどう思う?」


 まったりする僕が座るソファに、清正がどかりと腰かけて来た。


「ん? 何かあった?」


 清正は手にワイルドターキーの入ったグラスを持っていた。


 こいつのお気に入りだ。


 清正は酒が強い。僕は弱い。匂い立つアルコールの香りが鼻腔をくすぐり、こういう時はこいつがマジな話をしたがっている事を印象付けた。


「ああ、ここだけの話、結婚しようかと思う。おっと、別に出来ちゃったじゃないぞ。純粋に卒業と同時に式を挙げたいんだ」


「なら、すればいい。僕はお似合いだと思うし、お互い派手な生き方の割に傲慢さがない。ただ、君達はとても尊重し合っている。そこだけが心配だよ」


「ああ、やっぱりそうだよな、ってお前、ずばっと言うよな」


「僕が清正に気を遣う事はないし、秋穂にもそう。友人ならば当たり障りのない事で片付ける案件だけど、僕は親友の本質を見極めた上で、はっきり忠告をする。マナーは大切だけど、ルールにしちゃあいけない。踏み込み過ぎはいけないけど、遠慮はするな」


「それ難しいからな。俺はともかく秋穂はああ見えて家庭的だ。だから形を作ってあげたい。でも、お前が言う様に俺達は形に囚われていて、何かを見失いがちかもしれない」


「深刻に考えるな。清正はかっこつけ過ぎ。僕といる時みたいにもっと素を出せばいいだけだよ。ロマンチストも極まれば、惨めな男だからね」


「お前が俺の理想のヨメなのかよぉぉぉぉ」


「まあ、飲めよ」


 僕がそう勧めると、清正はハーフロックの酒をくいっとあおった。


「俺は俺でいいのか?」


「当り前だろ、秋穂はそういう所が好きなんだよ。自覚しろよ」


「お前の理解力が怖いな。離婚の時は弁護士になってくれてると助かる」


「安心しろ、清正が捨てられる可能性が高いから」


 僕はそういうと清正の前にハイネケンを出して乾杯した。


 清正はナイーブだ。華麗ではないけどギャッビーみたいにその性質を隠している。その癖、普段は誰にも見せない姿を僕にだけさらけ出す。こいつのヨメには絶対にならないけど、親友だから仕方がない。


 僕は秋穂からも似た様な相談を受けている。莉子と秋穂も親友で、性格的には正反対だけど本質は似ている。秋穂は清正の内面にどこまで踏み込んでいいか悩んでいる。勿論、僕は「土足でガンガン行け」と答えて置いた。


 清正も秋穂も家が金持ちで、お互いに節度を忘れない。ただ、清正は馬鹿をやるし、秋穂は頑固だ。言い合いは普通にあるけど、1番大切な所で遠慮してる様に僕には見える。


 必要以上に踏み込んではいけないけど、さらけ出すカードもっと増やせば、彼らはさらに分かり合えるし、ホンモノになれると僕は思う。


 無責任な親友として愚痴くらいは聞いてあげるし、彼らの為ならビーフシチューを数日煮込むよりも大変な世話でも、まるで厭わない。。


 丁度、清正の相談が終わった時、彼は他の仲間に呼ばれて「悪りぃ」と席を立った。


 律儀な奴だ。今、少しだけ深刻な結婚の話しをしたばかりなのに、女の子にリクエストされてショパンの「別れの曲」を弾いてあげている。清正は高校までは相当ならしたらしく、流石の腕前だ。


 この曲はエチュードだが、ショパンは「これ以上美しい旋律を作ったことはない」と語っている。


 ポーランドの田舎からパリに出て来た22歳の青年は、この旋律に何を込めたのだろうか? いや、何を込めて弾いていたのだろうか?


 僕は穏やかで優しい絶望を感じる。美しさというのは、相反するものがあって美しいものだ。ショパンはこれ以上ないと言うくらい生涯唯一無二の絶望をもってして、これ以上ないと言うくらい自身の内に潜む深い美しさを捉えたのではないかと僕は思う。


 広い室内には雑多な喧騒が相変わらず満ちているが、不思議と清正の弾くピアノの音は僕の心に染み込んで、無性にとりとめのない多くの寂しさが、幾重にも連なる静かな波の様に訪れた。お前ははロマンチストだな、僕は素直に敬意を込めて心の中で呟いた。


 そんな事を考えていた時、急にパーティの喧騒とは違う声が鳴り響いて来た。


「えっ、嘘!」


「すげぇ、マジか!」


「なんだこれ!」


「おい、みんな来て見ろよ!!!」


 バルコニーの方から声があがり、室内にいたみんなも急いで集まり始めた。


 もちろん、僕もそうだ。何故なら部屋の中からでも広く大きな窓ガラス越しに、その出来事が見えて、誰もかれもがグラスを置いてスマホを取り出し、興奮して一気に集まって行った。


 清正の部屋のバルコニーはかなり優雅な広さを誇り、僕ら二十数名が一挙に押し寄せようが、まだまだスペースに余裕がある。そして僕らの目撃した光景は異様だった。





 五月なのに、雪だ、静かに雪が降っている。







 五月の夜は少しだけ肌寒いけど、冬場みたいに息が白くなるなんて事はまるでない。周囲に集まる仲間の中には、半袖や、半裸で季節の情感を忘れ去った奴らだっている。


 だけどこの穏やかな季節、常闇が広がる天空から何故か白い雪が降り、しかもそれは、




 淡いライムグリーンを帯びて、優しく発光していた。





 幻想的だった。この世界の全ての音を吸収したみたいに静かな夜空から、ライムグリーンを纏い薄く燐光を発する雪が、静かに降って来る。


 しかも空には一切の雲が存在せず、どこからこの雪がやって来るのかさえわからない。月は僅かに半月より少し陰って煌々とした輝きを放ち、星々は零れる様にその姿を伺わせ、その小さな光点は何かを祝福する様に、いつもより大きさが増して見える。


 さらにこのマンションから伺える光景、車はまだせわしく走っているけど、周囲の様々な建築物のバルコニーや屋上、その眼下に広がる入り組んだ路地や交差点、それらの場所から夜の街に集いし多くの人々が、一斉に空を見上げていた。


 彼らがその手に携えた無数のスマホは、揺らめく小さな光を発し、地上はこの雪を出迎える様に凄まじい数の電子デバイスにより彩られている。






 僕はこのセカイが、何か変わった気がした。






 その瞬間、音もなく明るさが増した。


 途端、僕等の頭上、雪の舞う幻想的な夜空をさらに増幅させる様に、虹色を帯びた無数の流星群が幾つも走り抜けた。



 ウソだろって思った。



 最近流行りの火球みたいに一瞬で消えるものではない。長く伸びた虹色の鮮やかな光彩が、天空というキャンパスを美しくもどこか刹那的に染めて流れてゆく。僕は声すら発せずに、ただ驚きをもってその光景を目撃した。



 一体、何が起こっているのだろう。



 ふと、舞い降りる雪が僕の手の平に落ちた。甲に着地したライムグリーンに光る雪は僅かな暖かさを帯び、そして瞬時に消えた。水滴なんか一切残さず、まるで僕の身体に染み込む様に、儚くその姿を消した。


「蒼介さん……」


 僕の傍らに来ていた莉子も、その雪の異常さに驚き、僕の腕にすがりつく様にその身体を寄せた。


「とても綺麗だけど、なんだか怖いね」


 僕が笑ってそう問いかける、彼女は小さくコクリと頷いた。


 周囲の仲間達は口々に「夢みたい!」、「どんな天体ショーだよおお!」などと興奮して手に持つスマホを様々な方角に向けては、仲間の顔を覗き込み声を上げ、この特別な時間を、有り得ない光景を、昂る興奮のままに撮影し続けている。


 その瞬間だった。


 ジリリリリリリリ―ン


 誰かのスマホの着信音、スタンダードな黒電話が鳴り響いた。


 見ると、それは一つ年下の女の子、いつも元気でソロキャンなんかにも勇ましく出掛ける行動派女子、胡桃のスマホだった。


「ちょっと、なに、お母さん! 今大事な……、えっ、うそ、…………、うそだぁ……、うん、……うん、…………、わかった…………大丈夫……」


 話し始めた途端、彼女の活発な瞳に暗いベールがかかり、その声は恐ろしく沈んだ。


 これはただ事ではないと心配する僕らに、彼女は向き直る。


 その瞳から大粒の涙が零れた。


「お、おばあちゃんが、亡くなったって……」


 涙声で震える彼女を見て、急いで周囲の女の子達が抱きしめた。


 気丈で元気な胡桃が小さな女の子みたいに涙をポロポロ流して泣きじゃくる。

 

 ジリリリリリリリ―ン


 僕らが彼女に声をかけようとした瞬間、再び、着信がなる。


 今度は同い年で、いの一番にこのサークルに入ったバカ騒ぎ好きな宗太だった。


「なんで、こんな時に! もしもし、あっ、親父かよ、で、なに? ……はぁぁ! 嘘だろ、なんで! えっ、…………、うん、…………わかった……ああ」


 手に持つスマホを落としそうな程、今度は彼が悲壮な表情を僕らに向けた。


「じいちゃんが死んだ……」


 宗太は頭を抱えて座り込んだ。


 そして、この男がどんなに祖父を愛していたのか、僕らににもすぐわかる程の勢いでいきなり泣き始めた。


 もう僕は黙っていられない。


「清正! 名刺出せ!」


 僕がそう言った瞬間に、茫然としていた清正は、何が言いたいのか瞬時に把握し、秋穂も頷き真剣な顔で動き始めた。


 学生だけど会社経営をしている清正が、急いで室内の鞄に入れていた名刺入れから二枚の名刺を取り出し、僕に差し出した。



「おう、これ!」



 僕はすぐさま受け取ると、泣きじゃくる胡桃と宗太に向き直り、静かに、でも急いで告げた。


「二人共、家に帰るんだ。君らの実家は幸い都内だろ? 秋穂がタクシーを呼んでいる。清正の名刺を出してそこに請求してと伝えて。それで何も問題ないから!」


 一部女子を覗き誰もが飲酒しているこの場では、車で動ける人間がいない。


 彼らを早急に家族の元に送り届けねばならない。電車なんか使っている暇はない!


 僕等は全員で、泣きじゃくる彼らを階下まで送り、既に表に来ていたタクシーに乗せ見送った。


「なんで、こんな事が」


 怒りとも悲しみ共とれない表情で、清正が呟いた。


「僕もわからない、とにかく部屋に戻ろう」


 僕らは得体の知れない不安を抱えたまま、御開きの為に部屋に戻る。ただ、遠くから無数のサイレンの音が夜の街で泣き叫ぶように響いているのを聞いた。


 空からはライムグリーンの雪がただ静かに降っている。


 その夜、日本だけで一万人以上の人が突然死した。









































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