サプライズ

 宝石店を出ると、僕はライトブラウンのシンプルで小さな手提げ袋を莉子にそっと渡した。その中には無愛想なプレーリードッグですら満面の笑みになる様な、可愛くラッピングされたケースがちょこんと収まっている。


「嬉しい!」


「喜んでくれて何よりだよ……」


 彼女に気がつかれない程度に、僕は軽く肩を落とした。


 僕等は駅のホームより遥かに長くて、最早電動バイクで移動すべきだと主張したくなる程の、馬鹿げた広さを誇るショッピングモールに来ている。土曜日の昼である現在、館内はこぼしてしまったポップコーンみたいに人が溢れていた。


 先程の宝石店で、僕は彼女に指輪を買った。もちろんプロポーズ前にエンゲージリングを贈るなんて馬鹿げた行為はしない。好きな子にそんなヘマをするくらいなら、酒を浴びる程飲んで、全裸で地下鉄の中を走り回った方がまだ良心的だ。


 僕は予算2万円以内のイヤリングを買う覚悟で店に入り、結局45000円もするプラチナダイヤモンドの指輪を買ってしまった。


 サイズは8番。偶然にもそのサイズの指輪がこれだけだった。シンプルなデザインは、中央にエンゲージリングと同じくダイヤがセッティングされ大きさは小粒だが、散財してしまう僕を慰め励まし勇気づける様に光っていた。


 彼女の喜ぶ顔を見れれば、来月の支払いなんか平気だ、と言えるほど僕は金持ちではない。なけなしのお金はバイトで稼いでいる。この先、周囲にせこいと言われようが、生活費の削り方を思案する僕だ。


 大人になるとはこういう事でもあるのだろう。父が母に結婚前には随分とプレゼントをしたと言っていた。今でも父は母の誕生日や結婚記念日になると、なにがしかの事をしでかし、母は得意気に僕に自慢し、世界の平和を自覚させてくれる。


 うちは、おじいちゃんもおばあちゃんにプレゼントを買うのが大好きだ。以前僕が「何故そんなに買うの?」と聞くと、「おばあちゃんが楽しそうに元気でいてくれれば、それでいい」と誇らしげに語られた。


 確かにその気持ちはわかる。だから僕は財布に入った支払いの控えを思い出しながら、うちはそういう家系なのかも知れない、と軽い目眩と共に確信してしまった。


 フードコートを過ぎてレストラン街に入り、僕と莉子は昼食をとる為、オムライスとゆでたてパスタを謳った店に入った。表にはバイトの人が書いたのであろう手書きの立て看板があった。ちょっと微妙な配色で書かれていて、つい同情したくなったからこの店に決めた。


 昼時の混雑時ではあるが、幸いにもすぐに座れ、僕らはとてもお互いが歩み寄れる悲しいくらいに狭い2人がけのテーブルに、仲良く収まった。


 注文する前に莉子が少し微笑んでメニューを楽しそうに覗いていた。「どうしましょう?」と小首を傾げ、さりげなく嬉しそうに呟く彼女の小さな仕草。僕はそれを見るのがとても好きだ。ハンドジューサーでレモンを絞るみたいに、ときめく心が零れそうになる。


 僕は王道を外してエビクリームソースのかかった海の幸のオムライスを選び、莉子はキノコとクリームソースのパスタを頼んだ。


 ドリンクはブレンドコーヒーを僕は頼み、莉子はとっても甘そうなキャラメルマキアート。店内では楽しそうに食事をしている人達の話し声が、天井や壁に反響して雑多に響いていた。


 食事の間に会話が弾むのは、その店の味が幸福を運んでくれる良い証拠だ。美味しい食事は人を幸福にする。リラックスしてくつろぎ、楽しく味わいお喋りし、そして愉快に笑う。トレジャーハンターが海底から金塊を持ち上げるのを待つクルー達みたいに、僕の食欲と期待値は上がっていった。


「これ、すごくない?」


「こっちは、綺麗なんだけど」


 ふと聞こえたのは、僕等の隣に座っている同世代の女の子達の声。アパレル店の大きな紙袋を携え、彼女達はスマホをいじり何事か驚いていた。


 横目で何気なく見ると、動画をお互いに見せあいこしている。両者のスマホに映るのは共通して暗闇で何かが光っている映像だ。僕はすぐにピンと来た。それは最近ツイッターでバズってる幾つかの動画のひとつだろう。


 ここ一か月の間に世界各地で夜空を謎の火球が飛来し、一瞬から数秒で爆発するみたいに激しく燃え消えている。


 その輝きは夜の暗闇を昼間より激しく照らし、時に高速道路の上、時に山間部、時に海岸線、時に高層ビルの上などに出現していた。これらは、謎の不思議現象として盛大にリツイートされまくっている。


 僕もその画像を最初は驚きと好奇心をもって観ていたが、最近は特に興味はない。政府の発表では、微細なサイズの隕石とも、空気中のプラズマ現象とも言っていた。


 それにこういう流行りものは、明らかなものから、不確かなものまで、必ずフェイク動画が含まれるのも世の常だ。


 抜け目ない彼らは、良心的なオチをつける人間もいれば、あくまで怪しさ満点で本物として差し込んで来る人間もいる。


 無駄に高度なその技術はソフト的な問題より、やっぱりセンスが大事だ。精密な嘘は時として、悲しいかな真実を越える場合がある。


 僕は思う。


 この世の中には不思議な現象は沢山ある。地面に落ちずに上に向けて落ちる雷だってある。セカイには僕の知らない事や、現代科学をもってしても解明出来ない謎が多く存在しているのは誰でも知っている。


 だから実は逆説的に、この世界が常識という見抜きにくい嘘というベールで覆われ、それを綻びさせようと本当のセカイが侵食しているんじゃないかな、なんて考えたりもする。


 そんな事を思っていたら、早速出来立ての湯気のあがる美味しそうなオムライスとパスタが僕らのテーブルに運ばれて来た。















「サプラ―--イズ!!!!!!!!!!!!!」


 室内では幾つものクラッカーが、歓喜と祝福を破裂させた。思い思いの歓声と拍手が沸き起こる。ここは某高級マンション、いや億ションの一角。嫌味なくらいにフロアすべてが一人の人間の居住スペースというから、格差社会の現実を僕は苦笑いと共に実感させられる。


 玄関のドアを開けた男は間抜けな顔で、クラッシックな鞄を落としてびっくりして固まってしまった。


 僕はスマホの動画撮影をオンにしたまま、彼、清正に近づき無言でグロールシュ プレミアム ラガー の瓶ビールを手渡す。奴が受け取ると同時に彼女である秋穂が抱き着いて熱いキスをした。そして驚きのまま清正は僕に振り返る。


「マジかぁぁ、蒼介、てめぇ嵌めやがったな。何が莉子と別れるかもしれないだ。俺は折角の誕生日に飲みにも行かず、こうやって帰ってきたんだぞぉぉ!」


 清正は嬉しそう僕に文句を言う。


「清正、僕がビールを渡したんだ、他に言う事があるだろう?」


 集う僕らはそれぞれニヤリと笑い、その手に飲み物を携えている。


 清正は「まったく……、やってくれる」とため息をつき、全員を見渡し瓶ビールを掲げ大声で言った。


「サプライズ、サンキュ! 乾杯だぁぁぁぁぁ!」


「「「「「「「ハッピーバースデ―、かんぱーい!!」」」」」」」


 掛け声の後、みんなは一気にアルコールを飲み干し、無数のクラッカーが再び鳴り響きくと、ミィデアムテンポの古き良きアシッドジャズがBGMとして再開する。


 僕は今日、彼を嵌める為に「莉子と別れそうだから相談にのって欲しい、秋穂と合流して先に部屋で待っている」、とだけメールで伝えた。


 この部屋の合鍵を持つ秋穂主催のこのサプライズパーティは、サークルメンバーと飛び入り参加を含めた20人以上の暇人達が、絶対の箝口令の元、悪ノリしつつせっせと事前に準備して集まった。


 清正は僕の友人であり親友だ。罰当たりなくらいに金持ちの家の子で、口は悪いわ、強引だわ、行動力がおかしいわ、と僕を悩ませ楽しませるロールド・ゴールドみたいな塩加減の男だ。彼の住む完全防音なこの高層マンションでしか出来ないサプライズだ。


 僕は質素で日照時間も少ない格安のワンルームで、しめやかに暮らしている。いつもこの部屋に来ると室内に傷をつけないように、自主的に行動規制を敷き、美術品の入れ替え業者みたいにとても慎重だ。


 きっと、刑務所で暴れる極悪犯罪者も、その価値観を凌駕する高級な牢獄に閉じ込めれば、却って大人しくなるんじゃないか? なんて考えてしまう。


 僕と清正はあまりに所属する世界が違う。それでも僕は彼の事を、友人を越えた親友と位置づけていた。


 僕らが知り合ったのは大学に入って間がない5月。一人暮らしのルーティンを僕はやっと確立したが、慣れない生活は気疲れが多く、その日もカルアミルクみたいに黄昏ていた。


 昼食を食べ終え、1人で中庭のベンチに座る。ワンルームで日差しをあまり浴びてない僕は、常日頃から日光浴を心掛けていた。


 幸い周囲に誰もいない。僕はスマホからヘッドフォンのジャックを外した。ブルートゥースより、クラシカルな有線の方が音質的に優れていると信じている。だが、この場合は多少音質が落ちても、ヘッドフォンなしで空気の振動から音を聴き、伸びやかな午後を楽しむのも悪くない。


 アプリのプレイリストから、トップローダーの「ダンシング・イン・ザ・ムーンライト」をチョイスした。


 イングランドのこのバンド最大のヒット曲は、オリジナルでなくこのカバー曲。少し切ないバンドの歴史だけど、抜群に好きな曲だ。偶然見つけて気に入っている。20年以上前の曲だけど、まるで色褪せない。


 昼間に聞くのはちょっと違うけど、このソウルフルな声は僕にとても素敵な開放感を与えてくれた。


 穏やかな陽光とお気に入りの音楽、僕は唯一の癒しの時間を過ごしていたのだが、目の前に変なステップで踊る小綺麗な短髪の男が現れた。


「俺もこの曲好きなんだよ」


 圧倒的に不審で、気持ち悪い動きは滑稽で、その見た目はイケメンだ。ふざけた奴だ。僕は呆れるよりもついおかしくなって、彼に言った。


「僕を笑わせて君に得があるとすれば、さりげなく注意をして貰える事だよ」


 僕がそう言うと清正は少し驚いた後、満面の笑みで嬉しそうにまた踊り始めた。



















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