僕はトロピカル因習島神様

狂フラフープ

トロピカル因習島神様の花嫁

 屋根の隙間からの眩しい陽射しが、ちょうど目元に差し込んでいた。

 僕はそれで目を覚ましたけれど、自分が水難事故に遭ったこと、流れ着いたのが南の島だということを、しばらく思い出しも気付きもしなかった。

 馬鹿みたいな恰好の女の子のせいだ。

 触れるような距離。まずその瞳。黒目がちで、大きくて、吸い込まれそうに透き通る眼。こちらを覗き込んでいた彼女が遠ざかっていく。頭の上のふざけたハイビスカスの花冠。そんなものが似合ってしまう少女に、僕は嫉妬にも似た胸のざわめきを覚える。


「――――」

 柔らかそうな唇から出る言葉を上手く聞き取れない。

 寝ぼけているせいではなさそうだった。

 彼女の小麦色の肌は光の加減のせいでなく、寝かされていたのは砂地に敷かれた茣蓙のような何かで、ここは丸木と葉っぱで出来た簡素な建物だ。

 ようやく僕は自分が漂流して助けられたことを理解したのだけれど、気付いたことがもうひとつある。

 彼女が裸足で、肌も露で、身に付けた服と呼べるものがせいぜい腰蓑だけで、つんと尖った胸の先を隠すものが首から提げた花環ぐらいしかないこと。

 僕は慌てて目線を顔へ戻すけれど、そんな馬鹿げた出で立ちでさえ、少女を僕より滑稽な存在にしない。

 女の子の顔をこんな距離で見続けたことは一度もなかった。

 ナハ。

 彼女は自身の胸に手を当て、弾けるような笑顔でその響きを口にする。

 そして次に、僕の胸を手のひらで示す。名前を聞いているのだと理解できた。

 僕が名乗った名を、彼女が『シェオエィ』と復唱する。日本語の発音が難しいのかもしれない。訂正しても彼女の呼び掛けは変わらず『シェオエィ』のままだった。

 そのやり取りを終えて、彼女は表へ誰かを呼びに出る。

 ナハ。

 彼女の名前だ。

 僕はその背を目で追いながら、舌で響きを何度も確かめる。


 ◇


 僕の遭難先は想像以上に南の島で、人々は幼子から老人に至るまでフラダンスの衣装で日常を過ごしている。

 僕はまるで歩くお地蔵様だった。年寄りは拝むし、供え物は溜まる。皆が皆僕をペタペタ触る。僕が何かやり返そうものなら、特に年寄りは壊れたように泣いて喜ぶ。地蔵扱いを受け入れてしまうくらいにはちょっと怖い。


 宴は盛大だった。ポンペケペンポコ音は鳴るし、人は踊る。明るいうちから篝火が焚かれ、そのくせ何故か日が暮れる前にお開きになる。宴の後、僕は檻のようなものに連れていかれる。生贄にでもされるのかと思ったが、近付いてみればそんなことはなさそうだった。だって檻は中で寝返りを打っても壊れない。

 朝起きると檻は半分無くなっていたが、すぐに人が来てちょっと頑丈に作り直してくれた。

 朝ごはんを食べて、ペンポコ踊って、皆が僕を触りに来る。その中にナハがいた。人波が割れる。彼女は結構、特別な存在なのかもしれない。顔を見て納得する。


 僕の世話役は歳の近い子供が多い。

 ウレの顔と名前を覚えたのは、彼が初めてまともに会話をした相手だからだ。

 彼は初めての世話役当番のとき、僕の手を引いて島の東、流れ着いた色々なものを置いておく倉庫のような場所に連れて行ったのだ。

 その中に、幸いにも流れ着いた通信端末があった。

 残念ながら電波は届いていないが、太陽電池もある。何かの拍子に電波が届くことを期待して、救難メッセージの送信をサスペンドして、僕はどうにか翻訳機能が使えないかと端末をいじくりまわす。 

 人々の話す声を端末に聞かせて、言語を特定させる。いくつか候補が出てきたうち、一番マシそうなものを選んだ。

『ウレ、僕の言葉がわかる?』


 それからウレが教えてくれたのは島での決まり事だ。海から来たものはみな神様で、精一杯にもてなして返す。そうすれば良いことも悪いことも何倍にもなって帰ってくる。豊かな実りも、子宝も、何もかも。

 他にも島にはたくさんの因習きまりがある。


 ひとつ、シェオエィに夜、出歩かせてはいけない。必ず檻に閉じ込めておくこと。

 ひとつ、島民は檻の中のシェオエィに話しかけられても、決して返事をしないこと。

 ひとつ、……


 ◇


 夜中に尿意で目が覚めて、少し迷った。

 隣では見張りのウレがうとうとと舟を漕いでいて、決まりに従うなら、僕は太陽の出ていない時間帯に檻の外に出てはいけないことになっている。とはいえ檻の隙間から寝床のすぐそばで垂れ流すのは流石に躊躇われて、僕はこっそり檻を抜け出すことにした。

 ほんの少しだけだ。近くで済ませてすぐ戻ろう。そう考え手近な茂みにひとしきり用を足し、ぶるりと身を震わせたその瞬間に、まさにその茂みの奥から出てきたナハと目が合った。

 放尿と掟破りを同時に見られて、僕の頭は真っ白になった。

 ナハは洗ってもいない僕の手を握ると、檻へと引っ張って行く。汚いと伝える言葉がわからなくて、僕の手を握る彼女の指は細くそれなのに柔らかくて。

「あ、あの。えっと……」

 僕がもごもごと伝わりもしない言い訳をしようとすると、ナハは口を塞いで首を振る。島民は夜、返事をしない。そのまま僕を檻に押し込むと、けらけらと笑いながら去っていった。


 僕はなんだか拍子抜けしつつも、本当の本当に閉じ込める気なら、初めからこんな檻もどきに寝かせるわけがないし、居眠りしていたウレだってもうちょっとお叱りを受けるはずだと納得する。

 しかし、そうと分かれば遠慮することもない。なにせ僕は退屈なのだ。

 檻の隙間から、ウレの背中をつつく。

 律儀に掟を守るウレに、どうにか返事をさせようと僕はいくつか悪巧みを考えた。

 急に大きな音を立てたり、檻の反対の端で大騒ぎしたり、それでも頑に口を閉じるウレに、僕は録音したナハの声を合成して聞かせてみる。

『ウレは、ナハわたしのこと、好き?』

 耳まで真っ赤にして、ウレは僕の企てにまんまと引っ掛かった。


 腹一杯笑い終えた僕がネタばらしをすると、彼は観念して口を利いた。ひと通りのくだらない話をして、話題は元の所へ戻って来る。

きみシェオエィは、ナハが好き?』

 その質問に答えられず、僕は口ごもった。

 どうしてそんな質問をするのか。そう話を逸らそうとして気が付いた。この島は小さな島だ。たかだか数十人の、大家族のような人の集まりだ。

 だとしたら。

『ぼくはナハが好きだ』

 少年らしい恥じらいを乗り越えて、ウレは僕が言えない言葉を口にする。

 他の子は少し年が離れているから、ナハとウレはひょっとすると、大きくなれば当たり前のように結婚をする仲だったのかもしれない。

『好きで好きでたまらない。小さい頃からずっと、ナハと一緒にいるんだ。ナハは誰より綺麗で、優しくて。だから――』

 そこに急に僕が現れて、ナハと仲良くしていたとして。ウレの目にはそれがどう映るだろう。それは想像に難くなく、逆の立場なら自分はきっと、ウレを恨むだろう。

 その次に続くであろう言葉を思うと、僕は何も言えなかった。

『――きみシェオエィにもナハを好きになってほしい』


 だから僕には、そのウレの言葉は到底信じられないものだった。

 彼らは陽気で暢気で、分かち合うことに躊躇いがない。

 大切なものだからこそ、彼らにとって分かち合うのは当たり前のことなのだ。

 そしてその当たり前は、僕の目には途方もなく気高く見えた。

 ウレはナハのことを心の底から想っていて、けれどそれ故に、ナハの幸せも、ナハの関わる人々の幸せも願っている。

 そんな彼の気高さにつけこんで、彼の大切なものを奪いたいと願ってしまう自分がいる。彼の目に映る僕自身が醜く思えた。

きみシェオエィはナハが欲しい?』


 その問いに、ウレは何を込めただろうか。

 ナハへの恋心を暴かれて、それでも真っ直ぐに僕へ向き合って、あるいは何かを見透かされたように思うのは、僕の後ろめたさからくる妄執だろうか。

『――僕だって、』 

 気が付くと僕はそう口にしていて、それでもウレと同じようには真っ直ぐにはいられなかった。

『ナハの心が僕のものになるなら、どんなにいいかと思う。でも――、』

 僕にはそんな資格はないかもしれない。自分が彼らから奪い、彼らを蝕む悪しきものなのでないかと不安が苛む。

 躊躇いと逡巡に押し潰された僕の言葉を、端末が遮る。

 画面には、僕の送った救援のメッセージへの返事と共に、明日の夜を約束する迎えの船のことが綴られていた。


 ◇


 それから島は、祭りの準備で持ち切りになった。

 目に映る誰もが忙しくしていて、なのに僕が何かを手伝うことは許されなかった。

 まだ陽が出ている時間なのに、誰もが僕を無視している。せっかくのお祭りで除け者にされたような気がして、僕はひどく腹を立てていた。

 とはいえ、もちろん僕はそれをわざと壊したわけではない。少なくとも初めは。


 それは石積みで作られた何かの祠のようなもので、僕がぶつかるとよほど当たり所が悪かったのかドミノのように崩れてしまったのだ。

 最初はえらいことをしてしまったと思ったのだけれど、僕を無視していた周りの人々は楽しそうに笑うばかり。

 釣られて笑い、建て直そうとする背中にちょっかいをかけた。そこから先はもう歯止めが効かず、僕は何度も同じことを繰り返した。


 流石に度が過ぎたのだろう。僕の足元で四度目に石積みが壊れた時、僕はついに島の皆に追い立てられた。両脇を抱えられて連行されながら、連れて行く方も連れられる方もへらへら笑って、僕はいつもの檻にぶち込まれた。

 檻は繰り返す脱柵のたびに少しずつ頑丈になっていて、かつて檻のようなものだったそれは、いまや本当に檻と呼ぶべき代物になっている。

 逃げ出せないかと少し試したけれど、太い格子は僕の腕程度ではびくともしない。無駄な努力を諦めて横になることにした。


 ◇


 沈みかけの夕陽が僕の目に入って、僕は目を覚ます。

 そう言えば、島に来て初めて、陽が沈むのを檻の中から見る気がする。

 改めて辺りを見渡すと、僕の檻は見渡す限りの海の果てに太陽が落ちていく場所にある。海は橙色に染まり、水平線は黄金色に輝く。

 海からきて、海へとかえる神さま。

 人々は、島の東岸に流れ着いた僕の迎えの船が西からくると思っているようだ。

 刺すような西日に目を眇める。

 素朴で、けれど力強い彼らの信仰は、すがる神のない僕にはひどく眩しく見えた。

 もうすぐ夜が来る。


 東の空から滲む藍色と足並みを揃えるように、遠くからチャカポコと陽気な音楽がやってくる。

 たくさんの篝火に火が入れながら、仮面を被った人々が唄いながら集まってくる。

 無数の火の粉が蝶のように空へ溶けてゆく。

 美味しそうな食べ物の臭いを嗅ぎながら、僕もそれを見た。

 人々が囲むのは檻から少し離れた石積みだ。

 出来上がった姿を見れば、僕が何度も壊したあれは祠ではない。祭壇だと分かる。


 祭壇の上に、ひとりだけ素顔を晒した女の子が登る。

 昏い肌に朱と白の筋を纏って、消え入りそうな陽の光に縁取られたナハが、皆に手を振り、僕へと笑いかける。

 人々はこぞって歓声を上げ、唄と踊りは狂ったように響き渡る。

 顔を伏せたままにじりよる仮面の男が、ナハにココナツの器を差し出した。風に乗ってここにまで届くひどく濃密な臭いで、それが強い強いお酒だとわかる。

 大きな器を両手で授かり、一気に呷るナハの細い喉が何度も何度も上下して、やがて崩れ落ちるように倒れ込むナハを、仮面の男が支え、祭壇の上に横たえた。


 男は僕の檻へ足を進める。

 左手は酒の注がれた器を支え、右の手は椰子の皮の鞘から、大きな黒曜石の艶やかなナイフを逆手に抜き放つ。

 彼は僕の目の前で膝を付いて仮面をずらして器の酒を飲み干すと、仮面越しのどこか焦点の合わない目が僕に語り掛けた。

『シェオエィ』

 ウレだ。声で分かった。

 聞き取れたのは最初の言葉だけ。

 流れるように、溢れるように紡がれ続ける、翻訳機が間に合わないほどのたくさんの祝いの言葉。


『――我らのかみさまシェオエィ。どうか精一杯の贈り物をお受け取りください』

 ウレが立ち上がり、踵を返した後も、翻訳機はとめどない感謝と祈りを吐き出し続けていた。

『ナハはかみさまシェオエィの妻になる。かみさまシェオエィは神の国へと、彼女の心臓こころを連れ帰る』

 その言葉に、翻訳機は思い出したように注釈を重ねた。

 かみさまシェオエィ。海の向こうから光る船でやってくる、白い肌をした神の名前。沈んではまた昇る陽のように、無数の贈り物を携えいつか再臨する彼らのかみさま。

 ウレの背中が祭壇の上へとたどり着き、何かを告げたとき。

 人々は地鳴りのように歓喜の声を叫んだ。誰もが恍惚と、壊れたように涙を流す。

 僕と同じように。


 掲げられたナイフに煌めく、消えゆく夕陽の最後の光。

 躊躇うことなく。

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