第10話 仲間が増えた




 もちもちとした、肌触りの良い手。


 三浦は必死になって目の前の鍵盤に集中を注ぐ。

 彼女にそんなつもりはない。失礼だ。


 なんとか邪念を払拭しようとするが、彼女の指導にどんどん心臓が脈を打つ。


「こうしたら、こう……分かる?」


 何せ異性と手を重ねたことなんてない。

 そんな彼にとってはこの程度のスキンシップでも大問題。


 どきどきして、ぞくぞくして、ピアノどころじゃない。それでもあさひはお構いなしだ。


「あれー? おかしいなあ……」


 鼻を何かが掠めた。

 くすぐったい何かは、あさひの髪の毛だった。

 甘い匂いが鼻を抜ける。


 近い、近すぎる。


「三浦くん?」


 眼下には彼女の横顔と、豊かな発育を思わせるワイシャツの膨らみがある。これまで気が付かなかったが、こうして見ると意外にあさひも大きな胸をしてる。中学生のくせにけしからん……。


 みなみとどっちが大きいんだ?


 いかんいかん、何を考えてるんだ、しっかりしろ、しっかりするんだ――。


「三浦くん?」


「はっ」


「……大丈夫?」


 あさひは手を彼の手に重ねたまま窮屈そうに見上げていた。


「あ、うん、大丈夫! ちょっと1回仕切りなおすわ」


「そっか」の声とともにようやくあさひの手が離れていく。なぜそこの鍵盤に指が置いてあるのか、どんな指導を受けていたのか、もう分からなくなっていた。


 申し訳ない。

 深呼吸をしようと、深く息を吸い込んで吐いてみる。


 ちょうどその時、引き戸が控えめに開いた。


 誰かと思ったら、


「川崎さん……?」


「あ、いたいた三浦くん」


 何故ここに川崎さんがと思ったが、自分で練習場所を明かしたことを思い出した。あさひはちょっと驚いた様子でぽかんと口を開けていた。


「あれ、リコーダーじゃなかったの?」


「リコーダー……?」


 不思議そうな顔をするあさひに三浦は慌てて補足を入れる。


「ああ、ごめんリコーダーは例えばの話よ。本当はピアノ。別に嘘をつくつもりじゃなかったんだけどさ」


「じゃあ、あさひちゃんだったんだね。ピアノ上手なのって」


「え、川崎さん? あ、私は特に……」


 川崎はあさひに笑いかけ、あさひはしどろもどろに謙遜をした。このふたりは、もしかして知り合いなんだろうか? 


 三浦がふたりの仲を勘ぐっている間に、川崎は余計なことを言い出した。


「もうね、三浦くんすごかったんだよ。あの子の演奏を聴かせてやりたいんだ―って熱くなっちゃって」


「おいおいおいおい!」


 三浦は必死になって川崎の言葉を遮った。


「あは、ごめんね。でも……知らなかったよ。あさひちゃんがピアノ弾けるなんて」


「あ……はい。ちょっとだけなんだけど」


 あさひは三浦が陰で褒めていたことには特別触れないで、ただいつもらしい謙遜をした。それが彼にとっては有難かった。


「同じ小学校なんだよ」


 川崎が三浦に説明するように言う。


「そうなんだ」


「あさひちゃんは4年生のときに引っ越してきたの」


「うん、私、転校生なんだ」


 おそらく、このふたりは同じ小学校だっただけで、特別な親交はないんだろう。だからこうやって自分を介して、会話をしているんだ。


 三浦が適当に「そうなんだ」と返事をするとぎこちない会話はごく自然と止まった。


 挨拶が終わったかのように川崎は歩きだす。


「てか、三浦くん、ピアノ弾けるの?」と聞いた。三浦が「全然」と返すと、ちょうど机に腰を掛けて長い脚を組んだ。


 挑戦的とも取れるそのポーズで川崎は言う。


「楽譜は読めるの?」


 三浦は首を振る。

 川崎はへええと驚いた顔をする。


「何を連弾で弾くつもりなの?」


「きらきら星変奏曲ってやつ」


「え? 本当に言ってる?」


「ほんとだよ」


 川崎はさっきよりもずっと驚いた顔をして、さらに今度は神妙な顔をして何かを考えた。何が言いたいんだろう。


「あはは……やっぱり、難しいのかな……」


「あさひ、どういうこと?」


「いや、その、きらきら星変奏曲って、クラシック曲で難易度的には中級者向けの曲なの。そのだから……」


 なるほど。合点がいった。


「つまり、俺がやるには早いってことだな」


「あ、その、違うの。違うんだけど、そのなんていうか……」


 あさひはひどく動揺していたがその必要はない。彼自身初心者であることは理解してる。だから逆に申し訳なくなった。


「いやいいんだよ。俺も難しいかなって思ってたし」


「そうかぁ……じゃあ違う曲、また探してみるね」


「ちょっと待ってよ、私べつに無理だなんて言ってないよ」


 川崎が神妙な顔を崩して、大きく手を振りながら否定をした。組んでいた足を戻してぴょんと机から下りる。そんな仕草が、不覚にも可愛らしいなと思った。


「ただ、やるんだったら計画してちゃんと練習しないとダメかなあって。その、三浦くんの望みを考えた時にさ」


「と、いうと?」


 いまいち意味が分からない彼は聞き返す。


「あさひちゃんのピアノを轟かせたいんでしょ?」


「うん」


「それだけ上手な人と一緒にやるんだから、三浦くんがものすごく下手だった時に浮いちゃうよ」


「……浮いちゃうか」


 的確すぎて胸をぐさりと突かれた気分だった。


 確かに彼は自分の出来なんてこだわってはいなかった。恥さえかかなければいい。無事に当日演奏を終えられれば、望みは達成できる。そう安直に考えていた。


 固まったまま、彼はきらきら星の楽譜を見る。


 今日終わったのは最上部1段、8小節のみ。

 しかも右手だけを極めてゆっくり弾いただけ。


 3ヵ月? 本当に弾けるようになるんだろうか?

 だめだ、ちょっと不安で頭がくらくらしてきた気がする。


「だから、特訓だね」


「え?」


「三浦くんの特訓。私も付き合うからさ。なんだか楽しくなってきたじゃん。初心者が文化祭で初めての連弾に挑戦! やっぱ文化祭はこうでなくっちゃー」


 川崎は朗らかに歌い、天を仰ぐようにして回りだす。


「ちょ、特訓て……川崎さんがやってくれるってこと?」


「私で良ければお手伝いするよん」


 なおも川崎は子どもみたいにステップを踏んでいた。楽しそうじゃん、とまた言って。どれだけ文化祭を楽しみにしてるんだと、三浦は半分呆れ、半分可笑しくなった。


 あさひも若干微笑み、それから彼に言う。


「川崎さん、とてもピアノ上手なんだよ」


「あ、そうなの?」


「うん」


 うまくないって、と川崎が割り込むがあさひは小さく首を振って続けた。


「小学校の時、合唱コンでピアノを弾くのはいつも決まって川崎さんだった。まだ小学生なのに音楽の先生よりずっとピアノが上手で、ジュニアコンクールの入選歴もあるし、とにかく、こんなに良い先生いないと思う」


「あさひちゃん盛り過ぎだからー」


 川崎は頭を掻きながら笑った。その姿はまんざらでもなさそうだ。


「てか私、あさひちゃんがピアノ弾けるなんて知らなかったよ」


「あはは……本当、大したことないからさ」


「またまたー」


 川崎が肘でこつんと小突き、あさひは更に笑った。そんな2人を見て三浦も自然と笑みがこぼれる。


 なんだか変に悩んだりしたけど良かった。文化祭まで残された日を考えると不安は残るけど、この3人で練習をしていくことの期待感のほうがずっと大きくなっていた。


 三浦は早速、練習の続きをしようとピアノの前に座る。


「まだまだやろうぜ!」




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ピアノユニット作って文化祭を目指したら、いかにも青春って感じのラブコメが始まった @sdyu

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