第9話 初めてのマンツーマン練習
どうやら今日は来客者が多いようで……。
「いた! ケンイチだ!」
「げっ……」
三浦と大塚、そしてクラスメイトのほとんどが声のほうを見る。
「あーいま嫌そうな顔したな!」あっという間に三浦まで歩み寄ったみなみは、彼の肩を掴んで揺らす。
「え、お前、みなみちゃんとどういう関係なんだよ」むくっと体を起こした大塚が唖然とした表情で彼に問うが、
「あんた誰」
「あんた……て」
大塚は再び撃沈。ここまでくると気の毒だと思った。けれどもみなみは追い打ちをかける。
「キミさ、椅子貸してくれる?」
「えっそれじゃ俺は……」
「ありがとっ」
ほぼ強奪する形でみなみは椅子を獲得。三浦の隣りに座った。
みなみはそのまま彼の机に片肘を突いて、話を始めた。第2ボタンが外れているせいでワイシャツに隙間がある。下手したらもう少しで胸が見えそう……。って、いかんいかん。
彼は顔を上げる。
「ケンイチにお届け物があって来たんだぞ」
「お届け物?」
三浦の警戒心が一気に上がる。
何せ、彼はみなみのことを信用していない。
こないだの男の果たし状ではないだろうか。とは思ったが、彼女が胸ポケットから取り出してきたメモには女の子らしい文字で何かが羅列されていた。
「なにこれ」
机上に置かれたメモを見ながら、三浦は尋ねた。
「ここ、ちゃんと見てよ」
「ここって……え?」
そこには『以上、みなみが聴きたい曲リストだよ』と書いてある。ふと彼女を見下ろすと、白い歯を全開に見せて笑っていた。
「いやだから無理だって。そもそも何個あるんだよ」
「にじゅう、くらい?」
「にじゅうって、そんないきなり言われても無理だよ」
「えー。じゃあいつまでだったら弾けるの?」
みなみは三浦の腕を軽く握る。依然、脳殺的なワイシャツの隙間と甘い目線が、彼に向けられている。
「そんないつまでって言われても……ピアノ弾けないんだから無理だよ」
「じゃあこないだ弾いてたのは何なの? あれで弾けないって、もう嘘じゃん」
「それは……」
肩がずしっと重くなる。みなみが体重をかけるように肩に手を掛けてきた。それから彼女は身を乗り出し、吐息交じりの声で囁いた。
「あたしにビンタしたこと、言っちゃうぞ?」
耳に息を吹きかけられたような感覚にぞくぞくっと全身が震えあがった。そんな彼に対して、みなみは得意げに笑って席を立つ。
「じゃあね、また放課後遊びに行くからねっ」
「おいちょっと……」
なんて勝手なんだろう。
それでも彼は、体がどこか熱くなっているのを感じてしまっていた。それがなんというか……悔しくもある。
みなみが教室を去ったあと、クラス中が緊張感に包まれた……ような気がした。静まり返った教室内、主に男子諸君の視線が冷たく向けられる。そしてそんな最中の彼に、誰よりも先に声をかけたのが川崎だった。
「三浦くん、ちょっと聞いてもいい?」
あぁ、目まぐるしい。彼は「なに?」とぶっきらぼうに返す。
みなみとの関係を聞かれるのかと思いきや、彼女の口から出たのは意外な質問だった。
「もしかして、例のリコーダー女子?」
「……いやいやいやいや」
「違うんだ」
「全然違うよ」
川崎はどこか拍子抜けをした表情をする。
しかし無理はない。ほとんど女子と接点を持たない彼が、急に他クラスの女子と仲良く――彼は仲良しだと思っていないが――しているんだから、リコーダー女子と繋がることは実に自然だ。
「あの子は実のところ俺にもよく分からない」
「ふうん」
あまり興味がなさそうな川崎。
「それで、リコーダー女子とはどこで練習してるの?」
そうか。そうだよな。彼は思った。
別に彼女はみなみとの関係を気にしているワケではないだろうと。そもそも学年のアイドル川崎いずみは、文化祭という共通項が無ければ自分なんかと関わる理由がない。
そう考えると、自分は少し自惚れすぎたのかもしれない。
「多分音楽室か、倉庫室とかでやるんじゃないかな」
「なるほどね」
川崎みたいな位の高い女の子が、好んで接してくるはずがない。そう考えると、みなみが自分なんかに付きまとう理由もだんだん分からなくなってきた。
だってピアノが弾けるだけで(実際には弾けない)そんなにも人の見方が変わるか?
実際、そこまで変わらないんじゃないか?
「三浦くん?」
今思えばこのふたり、似てるようで似てない。川崎が成績優秀の優等生、片やみなみは小悪魔で名が知れるとんでもない女子だ。
性格だって正反対、おまけに体格も……胸なんかは……全然違うかも。
「ちょっとどこ見てんの!」
「はうっ」
やばい。
「違う、そうじゃない」
両手で胸を隠した川崎は、怒りに染まった顔で三浦を見下ろした。そして捨て台詞を吐いて踵を返していった。
「ふんっ、もういいから」
「ああ、川崎さん違うんだって」
「……健一」
「えっ」
振り向くと、こちらも怒りに顔を染めた大塚が三浦を見下ろしていた。
「ひどい……ひどすぎるぞ健一……」
さっきのみなみよりずっと重たい両手が三浦の肩に乗っかった。それから耳元で、さっきよりもずっと不快な声が響いた。
「なんでお前ばっかりなんだチクショー!」
******
放課後、倉庫室に行くと既にあさひがピアノの前に座っていた。
黒縁眼鏡に重たい前髪の少女を見た瞬間、三浦はほっと胸をなでおろした。
やっと会えた気分だった。
「お疲れさま」と声を掛け、
「お疲れさま」と返される。
あさひはわずかに微笑んでいるように見えた。もしかしたら少しでも自分に心を開いてくれたのかもしれない。そう思うと自然に胸が弾んだ。
三浦はあさひに最も近い席まで移動して、カバンを肩から下ろす。
「あの……曲、探してみたんだ」
あさひは椅子から立ち上がって、譜面を差し出した。
「きらきら星変奏曲……?」
A4サイズの譜面、最上部にはそうタイトルが書かれていた。そしてきらきら星変奏曲は三浦自身もよく知っている曲だった。
しかし……不安が過る。一見、易しい曲のように思えるかもしれないが、基本的にはテンポが速い曲だ。ピアノをしっかり学んでいる人が、スラスラと弾いている曲というイメージが彼の中にある。
「連弾で色々探してみたんだけど、これが1番しっくりきたの。あの、最初は苦労するかもだけど、練習すればたぶん弾けると思うんだ」
「まじか」
そうだよな。そもそもやってみないことには分からない。
三浦はあさひの隣りに椅子を置いて、腰を掛ける。何も考えないで鍵盤をひとつ、押し込んでみた。指先の感覚と連動するようにして甲高い音が鳴った。
なんだか少しだけ、全身がぶるぶるっと震えた。
「やってみるか……やってみよう」
「うんっ」
興奮気味にあさひへ投げかけると、彼女は笑って頷いた。
ふたりの練習が始動した。
「まずは片手ずつやろうね」
「おうっ」
三浦はあさひの手ほどきを受けて、まずは右手から練習する。楽譜が読めない彼は、あさひの言うとおりに打鍵をして、それを覚えるという方法で練習をした。
因みにあさひは楽譜が読めないという事実に驚いたようだった。
初心者と言いながらも少しは習ってたんじゃないかと思ったんだろう。そりゃあ、楽譜すら読めないのに連弾を誘うなんて、正気の沙汰じゃない。迷惑な話だ。
しかしあさひは「じゃあ、私のあとに続いてね」と優しく練習に取り組んでくれた。
「えっとね、指使いがあって……ここ書いとくね」
覚えることはたくさんあった。
「リズムがたん、たん、たん、たん……って感じで」
「おう……えっと、こう、こう?」
三浦はしどろもどろになりながらも、短い時間でなんとか吸収しようと集中した。
「あ、指のここだよ」
「あーまたか!」
でも、そんな練習が、彼はとても楽しかった。ふと時計を見ると軽く1時間は超えていて、時間を忘れるとはこういうことを言うんだと思った。
彼は順調に練習をこなしていって、予め目標としていた小節までの譜読みを終わらせた。右手だけだけれど、彼にとっては大進歩だ。こうなると彼の頭の中に浮かぶのは「早く両手で合わせたい」という思いだった。
「左は、今日やらない感じ?」
三浦はそう尋ねた。
「あ、うーん……」
あさひは考える。
「あ、そしたらまず右手で今日やったところ、通しで弾いてみよっか」
「なるほど! 進級試験みたいだな」
「あは、そうかも」
その笑顔が嬉しいんだ。
三浦は逸る気持ちを押さえ、静かに指を下ろし、ぐっと意識を鍵盤に集中させ、弾き始める。1時間を超える練習の結果は十分で、ほんの数秒間の右手をなんとかミスなく弾くことに成功した。
思わずあさひの顔を見ると、あさひも彼の目を見て微笑んでいた。
「すごいよ三浦くん。こんな短時間で」
「あはは、いやーあさひの教え方がうまいからさ!」
「でもさ、ちょっと気になるところあったんだけど、いいかな?」
「んっ? どこ?」
三浦はすっかり上機嫌で、今さっき弾いたばかりのフレーズを繰り返し弾いてみる。すると弾き出して間もなく「あ、ここ」彼女は演奏を止めた。
驚いたのはそれから先だ。
彼女は身を乗り出して、静止した彼の手に自分の手を重ねてきた。
「え」
「ここの角度がさっきも変だったの」
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