第8話 間に合わなかったらお仕置きだからね




「はうっ」


「すっごいカッコよかった!」


「ちょ、やめ、やめろって」


 ぎゅうっとしがみついたみなみをなんとか解こうとするが、如何せん力が強くてなかなか離れない。もみ合いになって柔らかい感触が背中に押し付けられる。


 中学生のくせに大きいんだな。

 そんな、間抜けなことを考えながら抵抗をした。


「あはぁ……キミってさ、聞いてもいい?」


「なんだよ」


 ようやくみなみは離れた。でもその代わり彼のすぐ隣に腰を下ろした。ひとり用の椅子にふたりも座るものだから、ひどく密着をした。


「女の子のこと知らないでしょ」


「どういう意味だよ」


「付き合ったり、エッチなことしたり、したことないでしょ?」


 気付けば椅子からずり落ちそうだった。みなみは目じりを下げて彼を見つめていた。挑発的な視線だ。バカにされている感じがする。


「だったらなんだよ」


「あはぁ、かわいいんだね」揶揄いながら彼の頬に触れるみなみ。またひとつ、大きく心臓は跳ね上がった。みっともないけど、もうしどろもどろでなんて返したらいいのかが彼には分からなくなっていた。


 みなみは散々弄んだ挙句、そんな彼を置いていく。


「まあいいや。キミ、名前は?」


 彼女は勢いよく立ち上がって窓の外を見にいく。左側がぽっかりと空いて涼しくなった。椅子からはもうずり落ちる寸前だ。


「三浦だよ」


「下でしょ大事なのは!」


「……健一、三浦健一」


「よろしい」


 何がよろしいっていうんだ。


「そっちは?」分かってるけど、一応聞いておこう。


「葉山みなみ。みなみって呼んでねっ。それじゃ、あたし帰るね」


 なんて勝手なんだろう。


「じゃーねケンイチ! カッコよかったよ!」


 みなみは笑顔いっぱいで手を振って帰っていった。引き戸が閉められた瞬間、教室から一気に音がなくなって物寂しい雰囲気が訪れた気になった。


 時計を見ると、さっきここを出てから15分ぐらいしか経ってない。嘘だろ、とは思った。それぐらい怒涛の時間だったんだろう。


 少し疲れた三浦は、適当な席に座り突っ伏した。


 カッコよかったよ――。


 違う。あれは口癖みたいなものだ。

 どうせ、誰にでも同じことを言ってるに違いないんだ。


 ややあって、彼は突っ伏したまま眠りに入った。目が覚めた時には教室の中が暗くなっていて、彼はすぐに帰らなかったことを軽く後悔した。







「いやーお前がピアノとはねぇ……」


「なんだよ」


 三浦は親友である大塚に文化祭でピアノを弾くことの報告をした。だが、見ての通りで大塚はどこか腑に落ちていない。


「これまでピアノのピの字も言ってこなかった奴が なんで急にピアノなんだ? さてはいずみちゃんパワーだろ!」


「はあ、お前なあ」


 やっぱりこいつはバカだ。


「水くせえなあ正直に言えよ」


「だから違うって言ってんだろ」


「じゃあなんでピアノ弾くんだよ」


 でも、考えてみれば同じことなのかもしれない。


 元を辿ってみれば、三浦がピアノを弾くことになるきっかけは、あさひにピアノを弾いて欲しいという思いからだ。彼女との出会いがなければこんなことにはなっていないはずだ。


 けれども大塚に話したところで意味もないし面倒だから、とりあえずは黙っておくことにした。


「気分だよ」


「ぜってー嘘だー」


 面倒だと感じていたところで、風が変わる。


「三浦くん?」


「あ、川崎さん」


 川崎は大塚に軽く会釈してから、三浦に話し始めた。


「これ、作ってきたからよろしく!」


「……担当表?」


 机に置かれたプリントには『各担当表』と記してある。表のなかに役割らしい単語が並んで書かれており、文化祭に関する何かであることは明らかだ。


 川崎は腕を組んで三浦を見下ろす格好で言う。


「何か分かる?」


「役割分担か?」


 川崎はにこっと笑って「イエス」と言った。相変わらずだけど、綺麗な顔は笑顔がよく映える。


「役割なんだけど希望を募ってもどうせ決まらないから、ある程度こっちで決めちゃってから本人に聞いていくのはどうかなって思ってて……これ三浦くんが作ってくれない?」


「え? 俺が作るの?」


「うん。いつも何か決めるときって私が決めちゃってるじゃん? ほら文化祭委員は三浦くんと私だから、たまには三浦くんにも決めてほしいかなって」


「いやあ俺はちょっと……」


「いずみちゃん! 俺が作ってあげようか!」


「結構です」


 大塚はひとりでうなだれた。


「とにかくさ、次の委員までに完成させてきてね」


「そんなー」


「はいブーブー言わないのっ」


 じゃあね、そう手を振って川崎は立ち去った。


 三浦はプリントを改めて手に取って眺めてみた。材料準備班、データ作成班、デザイン班、加工編集班……、そもそもこの表を彼女が作ったんだろうか。やっぱり頭良いんだな。


 文句を言っていた自分が少しだけ恥ずかしくなった。


「あ、それと!」


 廊下からこっちを振り向いている川崎がいた。


「間に合わなかったらお仕置きだからね」


「お仕置きって――」


 彼女は友達との会話に戻り、廊下の奥へ見切れていった。


 はあ。彼はもう一度、手に持ったプリントに目を通す。適当に埋めるわけにはいかないし、早めに取り掛からないと終わらないだろう。それにしても、自分なんかが他人の名前を書いてもいいんだろうか。


「健一羨ましいぞお!」


「わっなんだよいきなり」


 いきなりの大声に倒れそうなほどびっくりした。


「俺にやらせろ!」


「だめだって断られただろ!」


「いいや違う。結構ですって断られたんだ」


「同じじゃねーかよ」


「とにかく俺がやる! 俺がやってミスっていずみちゃんにお仕置きしてもらうんだ!」


 はあ? 何言ってんだこいつ。


「きもいぞ大塚―」「そうだそうだ」


 ついにはギャラリーも参戦して大塚を貶める始末。なかには女子もいて「待って本当にキモイ」「黙れ耳が腐る」などと大塚をこき下ろした。えええ、と頭を抱える大塚を見ていると、なんだか逆に可哀想に思えてくる。

 だから三浦は、落ち込んだ背中をさすって席に座らせた。


 大塚を放置してプリントと睨めっこをしていると、誰にも聞こえないような小声で、突っ伏したままの大塚が呟いた。


「……いずみちゃんてやっぱすげーよな」


 三浦は黙って続きの言葉を待つ。


「それ、いずみちゃんが作ったんだろ? まだ俺ら中学生だぜ? きっとああゆう子が立派な大人になるんだろうな」


「たしかに」


 川崎はいつの間にか教室に戻っていて、友達と談笑している。三浦はその姿をぼうっと眺めながら頷いた。


 確かに大塚の言うとおりだ。端正な顔立ちに成績は優秀、委員で見ていても要領は良いし、求心力もある。何をとってもピカイチだ。本当は自分なんかが一緒に活動していい相手じゃない。


「……頑張らないとか」


 別に川崎に気に入られようとかは思わない。ただ、このプリントを見る限り彼女はただの天才ではなく、頑張り屋さんなんだろう。それを自分が邪魔するわけにはいかない。


 三浦は真面目にプリントを埋めようと決め、ペンケースからボールペンを出した。




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