巫女の口を借りたる死霊の物語
──盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰をおろしたまま、いろいろ妻を慰めだした。おれはもちろん口はきけない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に、何度も妻へ眼くばせをした。この男の言うことを真に受けるな、何を言ってもうそと思え、──おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は
盗人にこう言われると、妻はうっとりと顔をもたげた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見たことがない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、なんと盗人に返事をしたか? おれは
妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、
妻はおれがためらううちに、何か一声叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人もとっさに飛びかかったが、これは
盗人は妻が逃げ去ったのち、太刀や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄を切った。「今度はおれの身の上だ」──おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こうつぶやいたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませてみた。が、その声も気がついてみれば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三たび、長き沈黙)
おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起こした。おれの前には妻が落とした、
その時誰か忍び足に、おれのそばへ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。誰か、──その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮があふれてくる。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。……
(大正十年十二月)
藪の中 芥川龍之介/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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