最終話 トロピカル因習アイランド、最後の日


 トロピカル因習アイランド計画最終日、ツアーの最後の日。

 事前のPRの甲斐もあり、観光客の入りは上々。ホテルも民宿も、島の宿泊施設は全て満員らしい。

 解説役として一日バタバタと動き回っていた私だったが、日が落ちてツアーのクライマックスである『トウテェグヮマセ』が始まる頃には解放され、観光客が白い法被で輪になって踊る姿を隅っこでぼんやりと眺めていた。

 こうして大勢の人間たちが儀礼に参加しているのを見ると、一人の民俗学徒として感極まるものがある。これまでの苦労が報われるというものだ。あの強引な祖父にも感謝しなくては。

西也イリヤ

 ちびちびと焼酎を飲みながら瞳を潤ませている私に、声をかける者がいた。

「福留のじっちゃん」

 祖父の幼馴染でもある、地域の古老だ。私のことも昔から良くしてくれている。

「一人? 家族は?」

あまが暴れち、皆で大騒ぎよ。ボケると手ーに終えん。とてもちっき疲れたんで、わーだけ来よりよ」

 聞けば奥さんが朝から何かに怯えたように暴れていたのだと言う。福留の婆ちゃんは昔ユタ(民間の霊能者だ)をやっていたというが、ボケて久しい。介護も大変だろう。うちも高齢者を抱える以上他人事ではないが。

「西也、ありがとうおぼらだれん

 と、そんなことを考えていると何故か礼を言われた。

「何が?」

お前やぁーが気張ってくれた、ち聞いてよ。重治もまーがが立派になって嬉しいはずよ」

「……発案は爺ちゃんだけどね」

 照れ隠しにそういうと、福留のじっちゃんは意外そうな顔をした。

「重治、こういうの嫌いだと思ってたが」

「そうなの?」

「昔、本土やまとで働いてた頃、島出身でいじめられたち言うてたよ。それもあって、こういう行事は好かんかったはずだけど。あいつも変わったなぁ。此処くまで倒れてから別人みたいじゃ」

「……此処で?」

 山で倒れたとは聞いてたが、まさか此処だったとは。何の因果だ?

 と、そこで折よく暗がりに祖父の姿を見かけた。

「ちょっと爺ちゃんと話してくるわ」

 そう言い残して、立ち上がる。

「爺ちゃん!」

 声をかけ、祖父に近付く。声に気付いた祖父がこちらを振り向いた。


 その瞬間、何故だか背筋を悪寒が駆けあがった。


「おー、西也」

 いつもの調子で言葉が返ってくる。いつもの祖父。そのはずだ。

 それなのに、篝火で照らされた横顔が何故か別人に見えて。

 ゆらゆらと揺らめく祖父の影が、何故だか怪物のように、その頭がまるで猪のような形に見え──。


 ──西南方有人焉、身多毛、頭上戴豕。貪如狼惡、好自積財。


 ふと、そんな一文が脳裏をよぎった。

 中国の古書、神異経の一節だ。

 曰く、古代中国の伝説に於いて、舜帝の手によって中原から追放された「四凶」と呼ばれた四柱の悪神が居た。その中の一柱は、体毛が多く、頭上に猪を載せた人間の姿をしており、非常な大食いであったという。



 その名は饕餮とうてつ。中国語で──



 私の意思とは無関係に、思考の中で繋がって欲しくない断片たちが勝手に繋がっていく。

 『トウテェヌグシク』で倒れたという祖父。奇跡の回復を遂げた祖父。昔からは考えられないくらい貪欲に知識を学び、ITに詳しくなった祖父。島に人を呼ぼうとしていた祖父。


 ばくばくばくと、空腹を紛らわすように、食事を摂る、祖父。



 ──とうてぇ、とうてぇ、ゆるしたぼれ。むちもうばんも、うぇーしだれん。うんももうわぁーも、うぇーしだれん。わっきゃらかまんご、ゆるしたぼれ──



 歌が響いている。『トウテェ』に食事を捧げる歌が。自分たちを食べないでくれと、赦しを請い願う歌が。

 その悲痛な熱狂を感じる空間で、祖父は一人、冷徹に佇んでいる。

 理外のモノの如く、ただ静かに佇んでいる。


「爺、ちゃん、だよね……?」

 震える声で、祖父に問う。バカげた問いだ。そう理性は言っているのに、尋ねずにはいられなかった。

 祖父は答えずに、「いやー、腹が減ったなぁ」と呟く。

「というか空腹を感じだした、というべきか。久々に盛大な捧げものを貰って、ようやく胃が膨らんできた感じがする」

 祖父は、祖父の姿をした何かは、腹をさすりながら言う。篝火が風に揺れるせいで、その表情はよく見えない。


 ただ、舌なめずりをする音だけが嘘みたいに耳に響いた。


 視界が震える。私の足が震えているのか。そうではない、本当に揺れている。大いなるものの前触れのように、世界が震動している。周りにいた誰も彼もが動きを停めていた。地震のせいではなく、本能的な恐怖で。

ありがとうなおぼらだれん、西也。おかげで久々に飯と、祈りとをもらったわ。でもなぁ、まだ足りん。まだ足りんのよ」

 がちがちがちと、歯が楽器の如く音を立てる。体中から汗が噴き出しているのに、凍えるように寒い。今すぐ逃げ出したくてたまらない。心とは裏腹に、足は微塵も動いてくれない。

 私の前で、祖父の影が揺らめいて大きくなる。いや違う、祖父そのものが大きくなる。岩のように、山のように巨大な体躯。めきょ、めきょ、めきょ。悍ましい音を立て、祖父の体が異形のそれへと変貌していく。

 牛のような体、邪悪に曲がった角、鋭い虎の牙。体中が毛だらけで、爪先はヒヅメではなく人間の爪。顔は、祖父と猪の間の子みたいで、出来の悪い彫刻のよう。

 その姿は、まさに神話に謳われる饕餮そのものだった。

 怪物が、ゆっくりと口を開く。生臭い、獣臭い息が辺り一帯を包み込んだ。恐怖に慄いて動けない私たちの前で、それは静かに、まるで感謝するかのように呟く。



いただき、ますぐっそぉ、なりょおろ


 夜より深い闇がゆっくりと迫ってくる。私が最後に感じたのは、粘ついた涎の温度だけだった。


(終)

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作ろう! トロピカル因習アイランド!! 志波 煌汰 @siva_quarter

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