この素晴らしき世界
大隅 スミヲ
この素晴らしき世界
ジャズの日だった。
サッチモことルイ・アームストロングのトランペットが流れていた。
この店では、店主の趣味で曜日ごとに違うジャンルの音楽が店内でかかっている。
いつもと同じ席に腰をおろした私は、いつもと同じようにビールをトマトジュースで割ったレッドアイを注文し、客が来るのを待っていた。
客はいつ来るかはわからなかった。
大抵の客は、私のことをどこかで知ったという人間だ。誰が私の名前を売っているのかは知らない。ただ、客たちは誰かから私のことを聞いて、私が必要だと感じたためにやってくるのだ。
ほら、今夜も私に会いに客がやってきた。
「あの、すいません」
私の前に姿を現したのは20代前半と思われる髪を茶色に染めた女性だった。色は白く、首のあたりの血管が透き通って見え、私はそれを見ただけで性的な興奮を覚えていた。
マスターに目で合図を送ると、彼女に隣のスツールへ座るように促す。
マスターは新しい客におしぼりを出し、ドリンクのメニュー表を彼女へと差し出した。
「一杯は私のおごりだから」
「そうなんですね」
彼女は少し悩んだ後、モスコミュールを注文した。
しばらくの間、無言だった。
私は彼女のことを横目で観察しながら、レッドアイの入ったグラスを傾けていた。
彼女の注文したモスコミュールが出てきたところで、私は口を開く。
「さて、話をはじめましょうか」
「わたし、お金に困っていまして」
「なるほどね。それで、どこかから話を聞いてきたってわけか」
「はい。こんなことを聞くのって失礼かもしれませんが、この話って本当なんですか」
彼女は恐る恐るといった様子で疑問を私にぶつけてきた。
出来る限りの優しい笑顔を作り、私は彼女に答えを返す。
「ああ、本当だよ。キミさえよければね」
「わかりました。お願いできますか」
「そうか、ありがとう」
私はそういってスツールから立ち上がった。
マスターは私が立ち上がったのを見て、それが合図であったかのように私と彼女を奥にあるボックス席へと案内する。
そこはカーテンで仕切られており、周りからは中の様子を見ることはできない。
私がボックス席のソファーに腰をおろすと、マスターは頷いてカーテンを閉めた。
彼女は着ていた灰色のニットを脱ぎ、下着姿となった。ワインレッドのブラジャー。それがまた私の性的な興奮を呼び起こした。
「先にお金をいただけますか」
淡々とした口調。
その発言に私は少しだけ興ざめしてしまったが、気にしないようにして、カバンから用意していた封筒を取り出して、彼女に渡した。中には銀行の帯がついた札束が入っている。
金を受け取った彼女は脱いだセーターの上にその封筒を置き、私の隣へと腰をおろした。
すでに彼女とは吐息が掛かるほどの距離である。
「では……」
私はそういうと、彼女の剝き出しとなっている首元に噛みついた。
ヴァンパイア。私はそう呼ばれる種族だった。正確にいえば、母親は人間であるため、ハーフ・ヴァンパイアと言ったほうがいいだろう。父は古代ルーマニア人であり、正統なヴァンパイアの血を受け継ぐ人物だった。
ハーフ・ヴァンパイアである私は数か月に一度、若い女性の血を必要としていた。
しかし、ここは法治国家日本である。ところかまわず襲って、若い女性から血を吸うというわけにもいかないため、数か月に一度、SNSや口コミを通じて血を吸わせてくれる女性を募集していた。
きょう来てくれた女性も、SNSで私の投稿を見て来てくれたそうだ。
一回につき、100万円。それが私の支払う金額だった。
100万円という金額には、血を吸われるという代償の他に、口止め料も入っていた。
ここであったことは、誰にも話さない。それは暗黙の了解であった。
私も普段はサラリーマンとして働いているため、妙な噂が流れたりするのはゴメンだった。
サッチモの曲が流れていた。それは『What a wonderful world』だった。
私にとって素晴らしき世界とは何だろうか。
そんなことを考えながら、私は彼女の血を堪能した。
彼女の血液を十分に堪能した私は、首元から唇を離した。
アルコール消毒のウエットティッシュで彼女の首元を拭き、優しく頭を撫でる。
血を吸われた彼女は一時的な貧血状態となって、ソファーにもたれかかるようにしてぐったりとしていたが、数分でそれは回復した。
彼女が着替え終わるのを待って、席を立ちあがる。
「どうも、ありがとう」
私は彼女にお礼を言ってカーテンを開けると、なにごとも無かったかのように、元居たスツールへと腰をおろした。
この素晴らしき世界 大隅 スミヲ @smee
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