kill count.∞

「目覚めましたか、”煤払い"」

 女の声に俺は目を開く。

 肋骨じみた天蓋、曇ったステンドグラス、硬い寝台。いつもの光景だ。


「ダスティだ……」

 シスター・ザインが怪訝に眉を顰めた。

「ええ、お前の名はそうです。忘れたのですか」

「そうだ、忘れてた。全部擦り切れて無くなっちまうところだった」

 シスターは深く溜息をついた。


「”煤払い"の使命は灰を灰に返すことです。お前まで灰になってどうします」

 俺の喉から乾いた笑い声が漏れた。見下ろした腕は死人のように白かった。


「神の意志の代行者がその様子では先が思いやられますね」

「神の愛の代行者だろ」

 シスターが目を見開いた。火傷で覆われた頬が微かに緩んだような気がした。


「そうです。救いを忘れ、神に背いた者に安寧を与えてやるのが我々の使命です。お前も少しは理解していたのですね」

 シスターが俺の足元に腰掛け、寝台が軋んだ。


「灰と愛か……」

 呆れたような嘆息が聞こえた。

「じゃあ、戦わなきゃな……」

 耳の奥がざわついたが、声は聞こえなかった。



 廃都を抜け、雑木林を抜ける。黒い靄が辺りを漂っている。

 もう少しだ。


 林は森に繋がって、切り立った山道があるはずだ。俺は背後に迫る敵の気配を感じながら足を早めた。


 視界が開ける。

 俺は足を止め、敵に向き直った。



 骸骨の面からは表情が読めなかったが、微かに身動ぎしたのがわかった。


 俺とヴァンダの周囲を鉄の線路が取り囲んでいた。

 雨水を湛えた赤と白の幌が乾いた風に揺れて、雫を零した。

 苔むした木馬が地面に倒れたまま、見上げる空には巨大な観覧車があった。


「俺は本当の息子じゃねえ。だから、やっぱり駄目なんだよな……」

 ゴンドラが風で軋む。悲鳴のような音が響いた。


「でも、約束通り来たぜ」

 俺は懐から武器を取り出す。使うべき物は神託が教えてくれる。


「俺は"煤払い"だ。為すべきことを為す」

 ––––"夢見の短剣"。

 滅びを待つ世界に打ちのめされた者に、来るべき救いを見せる麻痺毒を仕込んだ短剣だ。


 ––––"廃遊園地に第十の"煤"、"痛みの"ヴァンダが現れた"。


 俺も先生のようにいつか擦り切れてしまうときが来るだろうか。

 自分の名前も忘れた俺は、ほぼ灰と変わらないかもしれない。

 そんな俺が与える救いは、神からの愛なんてものじゃなく、火も消えた灰に、埋み火の混じった新たな灰を注ぐようなものだ。


 そうだとしても、やるべきことは変わらない。


 ––––"極めて強大な穢れを感じる。為すべきことを為せ"。


 いつか救いが訪れるまで戦うしかない。

 もし、全てが終わっても来なかったら。

 そのときは、同じ武器を使おう。

 今度はもう少しマシな夢が見られるはずだ。


「先生、行くぞ」

 俺は第十の"煤"、"痛みの"ヴァンダに刃を向ける。


 ––––"穢れを雪ぎ、"煤"を払え"。



 神の声が聞こえた。

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From dust, With Love 木古おうみ @kipplemaker

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