第2話 詩人はうたい、ふくろうは鳴く-2
森の中にある住処へと戻ってくると、既に陽は落ちて夜が訪れていた。
小屋の前には風の民の
黒壇とトネリコを切り出して組み合わせた伝令杖。エーファのものよりも使い込まれた杖は、盲人の祖父をたしかに支えているようだ。
「そうか、ご苦労だったな。帰って皆にも伝えておくれ」
ふくろうはそのまま天高く飛び立つ。
「ただいま戻りました。お祖父様。お客様ですか?」
「戻ったかエーファ。ああ、知り合いからの言伝だ。さぁ、入りなさい」
小屋へ入ると、やさしい牛乳の匂いが鼻孔をくすぐる。
「今日は調子がいいからな。スープも作っておいた。お食べなさい」
テーブルの上に置かれた鍋を開けると、森のめぐみの入ったシチューが入っている。
「わぁ、こんなごちそうまで。すぐにパンも切り分けますね」
伝令杖からクノが、家の中の止まり木に移る。
エーファはスープを器に取り分けて、パンを一枚ずつ切り分ける。
深い木の器にもスープを入れると、止まり木に備え付けてあるテーブルに置く。
みなが瞳を閉じて食膳の祈りを捧げる。祖父の腹に響く声が場を満たす。
【風の民の神々よ。我らの口は糧を食し、ことばを紡ぎ、歌を謳うためにこそ。しからば今日も、我らは感謝を捧げる】
しばしの静寂が訪れたあと、祖父がさぁ食べようと促す。
祖父との夕食はいつも静かだ。祖父はあまり口数の多い方ではないし、私も何を話していいかわからない。だけど、祖父との暮らしは不思議と心地が良い。
ただ、今日エーファは人里であったことを祖父に話した。
お詫びに明日、人里へ降りる話をすると、祖父は口に運ぶ匙を止める。
「お前の声は母親譲り、精霊からの寵愛は父親譲り。故にお前の声に力が宿るのは必然だ」
祖父の声には懐かしさと悲しさが同時に滲んでいた。
「お前がどう生きようと自由だ。だが、先の戦争で亡くなった親を思うならば、よく謳い、よく生きることだ。詩がある限り、その者は死なず。故に吟遊詩人(ヴァテス)は謳い続けるのだ」
エーファは匙をとめて頷く。
そういえば両親のことを詳しく聞いたことはない。先の4つの民の大戦で亡くなった、と幼少期に聞いただけだ。
でも、今日は聞きたくなってしまう。
母は、父は、どのように生きたのだろうか。
ことばで物語ることは、今もなお両親の鼓動を感じさせてくれる。
しかし、ことばを覚えるほどに年を経るごとに両親の声は記憶から遠のいてゆく。
「お祖父様、お祖父様にとってことばとはなんですか?」
エーファの問いに、祖父は口を閉ざす。
慎重に口に出すことばを選んでいるようだった。
そうして口を開こうとして、口の前に指を立てた。静寂の手話だ。
祖父が耳をそばだてている。
「……エーファ。明日はやめておきなさい」
「どうして? なにかあったの?」
スープを飲み干した祖父は静かに立ち上がると、ドルイドの礼節に基づく一礼を行う。腹の奥底に響く声で静かに古語の儀式文を紡ぐ。
【狩人のクノベリス、新たな詩人エーファ。風の民たる風見鶏と吟遊詩人(ヴァテス)よ。食後に禊を行うのだ。成人の儀を執り行う】
クノとエーファはぎょっと目を見開く。
すかさずクノがクチバシを挟んだ。
【ドルイドの長。名高き大僧正の名を冠する風の民の長老よ。成人の儀にはまだ
祖父は頷き、「火の民が迫っている。今はまだ山むこうだがな」と返答した。
成人の儀は本来、一年を通して準備するもの。
そうして周到な準備をしなければ、死んでしまう可能性もあるからだ。
成人の儀は神への祈りに始まり、風の民の詩人(ヴァテス)と風見鶏の一組で放浪の旅に出る。旅を通して、自身の力の拠り所となる物語を作る。自身だけの歌を見出し、故郷に戻って神前にて謳うしきたりだ。
クノは生唾を飲み下し、未だ若き才知に溢れる相棒の応えを待つ。
エーファは一呼吸し、同じく返礼の所作を行う。
手を胸元にあてて高らかに謳い上げる。
【誉れ高きドルイドの長よ、謹んで成人の儀を迎えます】
クノは緊張した面持ちのエーファに胸中で不安を覚えた。
食後、すぐに禊を行って身支度を整える。
身綺麗な装束をまとい、使い古された深緑のローブ、黒曜石のナイフ、数日の携帯食料。持ち運びしやすい薬草箱を身につける。肩からは小さなリュードを手にする。
成人の儀のために樹木選びからこだわった自分の楽器だ。
クノも羽を整えると、エーファを羽で手招きする。
【髪の後ろがまだ乱れてるぜ。しっかし、木の実ほどの小ささだったお前が成人の儀とはなー。オレも感慨深いよ】
「クノだって、小さな雛だったの覚えてるわよ。あの頃はかわいかったな」
【誰だって子供のときは可愛いもんさ。そら、終わったぜ。相棒】
毛づくろいを終えたエーファはクノの顔を指で撫でる。クノベリスも撫でられるまま、しばし指に身を委ねる。
心身を整え終わると、たいまつをもった祖父が先導して共に儀式場へと向かう。
木々がざわめき、小鳥たちがひそひそと言葉を交わす。もうすぐ成人の儀だ。新たなドルイドの旅立ちだ、と噂する。
儀式場へ向かう二人と一羽が姿を現すやいなや、だれも彼もが口閉ざした。
クノはつくづく無言が苦手だ。
ただ黙っていればいいだろう、なんてヤツは言葉の重みをわかっちゃいない。ドルイドたちが黙る、それすなわち無言という言葉であたりを鎮めるのだ。
静まれ、と言葉を発するまでもない。
ちら、とクノはエーファをみると、エーファもクノを見返していた。お互いに少しだけ微笑む。
クノは翼から一枚の羽をもぎ取ってエーファに手渡す。
エーファは丁重に羽を受け取ると、黒曜石の短刀で自身のうなじあたりで結った黒い頭髪を一束切って祖父へと手渡す。
祖父は大木に食膳とそれら供物を大樹の前に捧げる。
【鳥と風の頂きに立つ者よ。十五と六度の月日が巡り、今こそ新芽が息吹を上げる。名をエーファとクノベリス。美しき
ひときわ大きな旋風が立ち昇る。エーファとクノが目を閉じると、眼前に巨大な存在の鼓動を感じ取る。
恐る恐る目を開けるが、そこには誰もいない。
しかし、何者かの声と気配だけがいくつも重なって聞こえてきた。
ことばとしては聞こえてこない。しかし確かに何者かはエーファたちを祝福してくれた。
クノベリスは全身に力が宿るのを感じ、目を瞬く。
祈祷文を謳い終えて、祖父はエーファたちと相対する。
萎びた老骨ではなく、一人の偉大なドルイドの立ち姿は見た者の声を詰まらせる。
「エーファ」
ただ一語、孫娘の名を祖父は優しく呼んだ。
「私が得た答えとお前のこれから探す答えは異なるだろう。帰ってきたら聞かせておくれ」
優しい祖父のことばに、エーファは喉を詰まらせた。
「お祖父様、私、詩が好きです。里の人々が好きです。でもどんなことばを交わしても、空をかくような気持ちでいっぱいになるんです」
エーファの問いかけに、祖父はひげをなでつける。
「……大昔、友が同じことを語っていた」
「その友はいまどこに?」
「はるか北の方角へ向かって住処を見つけた、と聞いたがそれっきりだ。そこで答えを得たらしい」
エーファは食い下がろうとして、言葉を飲み込む。
答えを今得ようとしてもダメだ。この胸にかかえた虚は、だれのものでもない。自分に空いた虚は自分で埋めるしかないのだ。
その様子に、祖父は微笑みをくれた。
「さぁ、今なら夜霧がお前を隠してくれよう。まずは地の民の国を目指しなさい。そこのタラニスという者を頼るといい。必ずお前の力になるだろう」
【行くぞ。エーファ。どうか達者で。誇り高きドルイドの長よ】
逡巡するエーファだったが、祖父の顔を一瞥したあと駆け出す。
クノベリスが飛び立ち、上空からエーファを先導する。
一組の風の民はは儀式場をあとにした。
祖父は風からエーファとクノが空に舞い上がる姿を感じ取る。祖父はろくに見えない目で巨木を見る。
そこには無数の鳥たちが巨木に止まっていた。その中の一羽がひらり、と祖父の杖に舞い降りる。気品と優雅さを備えた老雌ふくろうの姿。
「久しいな、オペリア」
老雌ふくろう――オペリアは【良き年の重ね方をしましたね、ウェルシュ】と愛しさをにじませた鳴き声を1つあげる。
オペリアは、祖父――ウェルシュに神託を下す。
【最果ての王国、鉄と鱗を擁する火の民たちは秋の森の枯れ葉よりも早く燃え広がる。欲望の焔は留まる術を知らず、民草までをも炉に焚べて、大地には火炎しか残るまい】
空を埋め尽くす火矢、鉄蜥蜴の鎧をまとった兵士たち、隕鉄で鍛えた剣や槍の数々。
神託は目の前に、未来に起こるであろう幻影を見せる。逃れる術はない。
オペリアは【あなたも逃げてはいかが?】と尋ねる。
ウェルシュは【決まりきったことを】を笑う。
「逃げる術がないならば、抗って切り開こう。かわいい孫娘への
火の民の一個師団は突き進む。たいまつと武器を手に夜道を突き進む。
彼らにとって、夜は恐れるものではない。
彼らは常に火と共にある。
彼らの行路を阻むものは、武器とたいまつの火により蹂躙する。
それこそ火の民の生き方だ。
「しかし、今日はえらく風が強いな」
「黙って歩けよ。もうすぐ風の民の人里だぜ」
「へいへい、あー、さっさとこんな仕事終わらせて飯くいてーな。鶏肉なんてどうだ?」
兵士たちが軽口を叩いていると、行軍が急停止する。
「行軍、止めーっ!」
人里にはまだ少し距離がある。
兵士たちがこぞって前を見ると、一人のローブを被った老人が行く手を阻んでいる。
【宵闇よ、シルフィードの舞に酔え】
隊長格がすかさず片手を上げる。すると後方の部隊が火矢を番えはじめる。
火の民にとってことばは重要ではない。
ことばよりも雄弁な術を知っているからだ。
隊長格が腕を振り下ろすと同時に、無慈悲に放たれる火矢の一撃。
矢は正確に老人の頭蓋を穿つはずが、明後日の方向へと飛んでいく。
隊長格が続けて槍兵に司令を下す。老人はことばを紡ぐ。
【誰も彼もが酔い惑い、千鳥足の乱痴気騒ぎ。剣捨て矢を捨て、宴を開け】
槍兵は一直線に突進していくが、『なにか』に足をもつれるようにして地面へ突っ伏す。
風が荒れ狂い、周囲のたいまつを1つ、また1つと消していく。
隊長格が一気に間合いを詰めて剣を振りかぶる。
すかざず老人は杖で、剣を真正面から受け止めた。
「耳障りな詩よ。吟遊詩人は一人残らず殺す。お前が先に狼煙を上げたのだ。もはやこの火は消せぬものと知れ」
隊長格の目には憎悪の炎が宿っていた。声はよくよく聞くとまだ若い。ことばからは憎悪が溢れ出ている。
老人はその様に気を取られ、歌が途切れてしまう。
わずかな隙を、火の民の歴戦の兵士たちは見逃さない。火矢が一斉に人里めがけて降り注ぐ。
ぽつ、ぽつと明かりが灯る。何事かと人影が表に出てくる。
火の民の兵士たちは弓に火矢を番える。
ひきしぼった弓がぎちぎちと音を立てる。限界まで引き絞られた弓に殺意が装填される。
「放てーェ!」
夜の人里に火矢が降り注ぐ。
あたり一面を一瞬にして焦土に変えて、兵士たちはさらに進軍する。
兵士たちは血気を満たし、我先にと人里へと入り、人影に剣を突き立てていく。
人影から真紅の血が吹き出し、あたり一面を赤に染め上げていく。
しかし、しばらくして兵士の一人が声をあげる。
「な、なんだこれは人形じゃないか!」
「おい、あの吟遊詩人はどこへ行った!」
兵士たちは何をバカなことを、と鼻で笑って死体に目を落とす。よくよく見ると、視界がブレて、そこには藁束で作った人形と赤い果汁しかない。吟遊詩人の姿もみえない。
周りをみれば、人里は靄と共に消えてどこかの森林の只中に迷い込んでいた。
【この夜の風の冷たさよ
海に逆巻く白髪よ
今宵は嵐に行く手を阻まれ
勇敢なる火の勇者さえも阻まれる】
歌が森に反響する。
するとたいまつの火は1つ残らず消え去り、風、雨、雹が吹き荒れ始める。
嵐の到来だ。
前後不良に陥った火の民たちだが、すかさず火口を出してたいまつを補充せんと動く。だがそれらが叶うことはない。
嵐の風と音に混じって一人、また一人と断末魔をあげていく。
隊長格は冷静に、剣を振り回す。すると、ギャッと甲高い声が聞こえた。足元をよく見れば一羽の鳥が絶命している。
「小賢しい。風の民の呪い歌だ! 全員、竜窟の陣形を取れ!」
兵士たちは寄り集まり、盾と槍を構える。
真ん中に集った兵士はカンテラを取り出して、火を灯す。
森の中に一人の老人の姿があった。しかし、それは瞬く間にかき消えて、異なる場所に現れる。
【命までは取らん。お前らの頭目に伝えよ。醜聞は耳から魂を腐らせるぞ、とな】
「撃て!」
火の民の猛攻に、老人の姿はかき消えた。
走り続けていたエーファは森の中に入ると、呼吸を整えるため立ち止まる。
肺に空気を取り入れようと、呼吸を繰り返すがうまく吸えない。
嗚咽を漏らす。涙をこぼす。地面にうずくまる。
「私、逃げてばかりだ」
昼も、今も。詩人としても半端で、何もできない小娘にすぎない。
ことばの限り、エーファは己の無力さを呪いたい衝動にかられる。
クノベリスはその様子を見て、近くの木の枝に身を降ろした。
【エーファ。お前はいずれドルイドに至らんとする
クノベリスのことばに、エーファは地面から顔を上げて背後を見る。
森の木々の合間から、人里と祖父と暮らした住処が燃え盛っている。
眼前に広がる光景を、その目に焼き付ける。
風に乗って木々の爆ぜる音、喧騒、剣戟の音さえもが聞こえてくる。
エーファは、立ち上がる。決意を込めて、ことばを発する。
「詩がある限り、その者は死なず。故に
【そうだ。さ、行くぞ。地の民の国はまだ遠い】
森の中で吟遊詩人とふくろうが二人。
暗闇の中へ、静かに歩みを進める。
吟遊詩人とフクロウ ジョーケン @jogatuji
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