吟遊詩人とフクロウ

ジョーケン

第1話 詩人はうたい、ふくろうは鳴く-1

 二つの小高い丘を抜け、深い霧と黒い木々の生い茂る森にさしかかると1つ国が見えてくる。森と共に生き、育ちゆく風の民の国だ。国土の半分以上ある森林からは今日も多くの小動物の気配や鳥たちの歌声が響き渡る。

 長き年月をかけて築き上げられた自然の迷路を、人里を築いた者たちはこぞって風の民の迷路だと噂する。一度入れば二度と抜け出すことの出来ぬ魔術が込められているとささやく。

 魔術だの迷路だの人間は戯言をよく語るものだ、と一羽のふくろうであるクノベリス――クノは風の噂にため息をのせて羽ばたく。

 上空をしばらく飛び、クノは眼下にちらと人間の姿を捉える。

 猛暑のさかりに採った草木で染め上げた、深い緑色のローブ。手には人間の背丈より大きな杖が一振り。樫の木の枝にイチイの枝が巻き付いた、太古より受け継がれる伝令杖。その折れ曲がって座りの良い部分に、クノは急降下した。

 クノの勢いに人間は杖ごと倒れそうになり、声を上げる。

「クノ。降りるときは声をかけてって言っているでしょう?」

 なんとか態勢を戻した人間はフードを払い、顔をのぞかせる。人間――もとい少女は、頬を膨らませて小言をこぼす。

 クノは意にも介さず、ホーホーとわざとらしく鳴き声を上げてみせた。

【他の鳥ならいざ知らず。そろそろオレの風切り音くらい聞き分けてほしいもんだな。お前のじいさまなんて、数里先のメジロの小言まで聞き分けるぜ、エーファ】

 エーファ、と呼ばれた少女は小さく鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 そのまま横目にクノをじろり、と睨めつける。

「ねぇ、クノ。あなたこそ、いつになったら風の民の風見鶏たる『ふるまい』を身につけるの。クチバシから出るのは荒っぽい言葉だけ?」

【ハッ、言うようになったな! 小言と風説の流布で人里に名を轟かせるといいぜ。二つ名は『うわ言のエーファ』なんていうのはどうだ?】

 クノはガァガァと笑い声を響かせる。

 エーファは言いくるめられ、涙目を紛らわせるために空を仰ぐ。

【それで人里へ今日は何のようなんだ】

「ちょっとしたお使いだよ」

【へぇ。エーファが人里嫌いなのを知ってか。いい性格してるぜ、あのじいさん】

「お祖父様はべつに、いじわるなんてしてないわ。……慣れない私が悪いのよ」

 霧の合間から晴天が顔を出す。

 空の雲行きからして、嵐が近づいているようだった。

 夏の嵐は恵みと不幸を一度に運んでくるものだ、と静かに彼女の祖父の教えが頭の中に反響する。

 嵐と一緒に、悩みも吹き飛べばいいのに。

 言葉にはしない。風の民の『ことば』には力が宿る。

 滅多なことをいうと、災禍を招いてしまう。

 でも、思うだけならタダだろう。

 エーファには、詩をうたう意味やことばを交わす理由をがわからない。

 願いのことばも、亡き人を思う詩も、彼女のこころのうろを埋めてはくれない。

 エーファは、頭に吹き溜まる考えを振り払うと、森をあとにした。


 エーファとクノは森をぬけて人里へ向かう。

 生い茂った森の広葉樹から、人々が日々の生活で使うための針葉樹が見えてくる。

 家が多くなると、木々のかわりに花壇に花や木苺が植えられている。

 エーファは人里の植物好きだった。森の木々や花々も好きだが、人と共に生きる植物たちならではの、鮮やかな色やかおりが大好きだった。

 対して、エーファを見る人里の反応は人それぞれだ。

 老人たちはおそれを込めて頭を垂れる。

 大人たちは遠巻きに見て、子供を遠ざけようとする。

 エーファはいたたまれなくなり、フードを目深に被り直した。

【堂々としてりゃいいのに】

「別に」

 広場に差し掛かると、噴水の前で遊んでいた数名の子供たちがエーファの周りに集まってきた。

「ねぇねぇ! エーファ、きょうはかずのかずえかたおしえてくれよー」

「わたしはね、いっしょににおうたうたいたいー!」

「じゃあぼくはおえかき! クノもいっしょにする?」

「オレはクノのせなかにのっておそらとびたい」

【クク、人気ものだなエーファ】

「え、えっと。みんなごめんね。今日はお使いがあるの」

 皆思い思いに話出すため、エーファはいつも困ったように苦笑を浮かべて街のパン屋まで向かうことになる。クノはいつも、その様子をくつくつと喉で笑いながら傍目で眺めているのだ。

 人との関わり合いが普段は祖父とだけしかないエーファにとって、子供たちの反応は嬉しくもあり、困りごとの1つだった。

 子供たちはクノの翼やクチバシを触りたがっては、避けられてを繰り返す。

 そうしてなんとかパン屋にまでたどり着くと、エーファは手を、クノは翼をみんなに手を振る。

「薬と木の実を卸したあとに行くから、みんなは先に広場で待ってて」

 はーい、と元気な声をあげて子どもたちは広場の方へと駆けていく。

 ほっと一息つくと、パン屋の婦人が笑顔で出迎えてくれる。

「いつも大変だね。そら、約束のパンと雑貨類だよ」

 山菜かごを婦人にわたすと、数日前に渡した籠と交換する。

「いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます」

 祖父から聞いた話では、他の地域――例えば地の民の地域では獣肉や鉱石を、水の民の地域では魚や魚介類から出る石などを取り交わすと聞いた。風の民は薬を売り、歌を披露するというわけだ。

 エーファはいつもの挨拶を済ませたあと、婦人と少しのお喋りを交わす。

 世間話は吟遊詩人ヴァテスにとってなくてはならない。

 世間知らずの吟遊詩人など、それこそ語り草になってしまうからだ。

「お祖父さんのご病気の調子はどうだい? 先月はちょっと歩けるようにまでなったって聞いたけどさ」

「すぐに病床に戻ってしまって。でもここで頂いた地の民からの干し肉を食べると、懐かしいって元気に笑ってました」

「そいつはいい! 仕入れたかいがあるってもんさね」

 カカ、と大口を開けてパン屋の婦人は笑う。

 こちらもつられて笑顔になってしまう。

 人里の人々はエーファたちのような特殊な力こそ持ってはいないが、彼らには彼らの力がある。エーファは毎度感銘を受けた眼差しを向ける。

 しかし、今日の婦人は少し様子が違っていた。

「ごめんよ、今日も渡したかったんだが、仕入先が火の民との小競り合いしてるみたいでね。なんでも火の民のやつら、戦火を広げているらしくってさ」

「そう、なんですね」

 火の民――鱗と火と鉄を尊ぶ民たち。

 戦好きの彼らは常に争いの火種を求めていると聞く。

 クノが木の実を食べる足を止めて、小さく首を傾げる。

【そいつは妙な話だな。近年は彼奴らの王国にも賢王が登場してナリを潜めていたはずだが。……どういう風の吹き回しだ?】

「おや、風見鶏様はなにか気になる様子だね」

「どういう風の吹き回しだって」

 古風な言い回しだねぇ、と婦人は大口を開けて笑う。

 エーファも肩をすくめて微笑む。

 広場から楽しげにエーファたちを呼ぶ子供たちの声が聞こえてきた。

「子供たちが毎度すまんね」

「いえ! 私も遊び相手がいなくて困ってるんでお互い様です」

 エーファは婦人に別れを告げて、広場へ向かう。

 広場では子供たちに混ざって数人の大人たちが楽器を鳴らしている。

 楽団は軽快なメロディを奏でて、子供たちと一緒に体を揺らしていた。

 クノがぶるっ、と身震いした後で嘴をカチカチ、とリズミカルに鳴らす。

【ありゃ確か水の民の曲だな。いつ聞いても踊りだしたくなっちまうぜ】

「クノ、踊りの経験もあるの?」

【おうさ。狩人クノベリスの名は伊達じゃねぇぜ。オレの情熱的なダンスの前にはどんなメスも千鳥足ってなもんよ】

 その言い方があまりにキザなものだから、エーファは吹き出してしまう。

 すると二人の子供がエーファのもとへ駆け寄ってくる。

 まだ2、3歳の女の子がエーファの袖をひく。

「エーファにおうたうたってほしいんだって」

「私に?」

 6歳になるしっかりものの兄がエーファの疑問にうなづいた。

「みんなしてお姉ちゃんの歌は風の民で一番だ!って、行商のおじちゃん達に話してたらそれは聴きたいって言っててさ。早く行こうよ!」

 エーファが楽団の方を観ると、一人の男性が、手を上げて挨拶をしてきた。あれは確か水の民の習わしだったはず。

 すかさずこちらも儀礼に則り、ドレスのすそをもって風の民流の返礼をする。やや赤面するエーファに、クノはカツカツと嘴を鳴らして笑う。翼を広げて大きく羽ばたいてみせた。

「でも、私」

 煮え切らない様子のエーファに、クノは杖を蹴って上空へと舞い上がった。

【行ってこいよ。オレは空からお前の美声と音の波に浸らせてもらうぜ】

「ちょ、ちょっとクノ!」

 音楽はより華やかに、子供たちも手拍子で出迎えてくれる。

 どうやら、逃げ道はないらしい。

 喉を鳴らす。

 重い足取りで歌と踊りの輪へ入る。

 発声練習で一音出すたびに体は自然と軽さを増していく。

 楽団の前に着くと振り向いて、子どもたちの方へと振り向いた。

 喉の調子はいいようだ。風も凪いでいる。――精霊たちの様子も今日はおだやかだ。

 これなら、問題ないだろう。

 一拍呼吸をためて、よく通る声を響かせる。

【風見鶏はどこへ向く。

東に地の国。草原越えて。

地を駆る獣は毛をおくれ。

西に水の国。川を下り。

麗しの貴婦人(ウンディーネ)、水底の輝く石を分けておくれ。

南に火の国。火山を登る。

輝く灯火が目印だ。鱗の長よ、火を吹く竜よ。鱗を手土産に賜りたもう。

北の風の国へ飛び帰り。

番を前に、土産で着飾り、歌と踊りで契を結ぼう。

我ら民たち、自然と共に。

さぁさ、声上げ歌いましょう。

子も孫も産声上げて、風はあなたに幸運を運ぶ。

踊りを踊って、実りを願おう。

ハリエニシダの花のかげ

クロウタドリが口笛を

黄色の嘴のその先で

湖にさえずり響かせる】

 その歌声に、子供たちも声を弾ませ飛び跳ねる。

 楽団も美しい声に体を預け、その手で流れるように音を紡ぐ。

 人里の大人も集まり、ちょっとした祭りさわぎだ。

 エーファはほっと胸をなでおろし、軽やかに口ずさんでいると、一陣の風が吹く。

 突風は不規則に人々の間をぬって、吹き抜け、巡り、巻き上げる。

 楽しげな宴から一転、悲鳴が響く。

 子供の一人が旋風にあおられ、今にも空へと打ち上げられてそうだ。

 おそれを抱く人間はつゆしらず、精霊だけがにこやかに旋風を天高く立ち上らせる。

「エーファ、こわい」

 子供のことばにエーファは苦悶の声を小さく漏らし、子供を強く抱きしめる。

【エーファ!】

 クノベリスの声に、我を取り戻したエーファは精霊をみる。

【宴は終わり! 風は気のまま、おもむくままへ!】

 締めの句に、精霊たちは不満げな表情を返すがそのまま旋風へのってどこかへ去っていった。

 精霊が立ち去ると、旋風も次第に収まっていく。

 楽団の手が止まり、静寂があたりを包む。視線がエーファに突き刺さった。

「私、これでお暇します。みなさんごめんなさい」

 そうして、エーファは逃げるようにその場から去っていった。



 人里を離れ、帰り道の森の中。夕日が木陰を赤く照らしていた。

 エーファは独りでため息をつく。

「歌うべきじゃなかった。もう金輪際、私は人前で歌は歌わない」

 淀んだ空気をまとって、とぼとぼ足取りを進めていると、杖にクノが降りてくる。

【そう気を落としなさんな。人前で歌わない吟遊詩人がどこにいるってんだ。失敗の一度や二度で】

「もうちょっとで子供が死ぬかもしれなかったんだよ」

 エーファは立ち止まり、クノベリスをにらみつける。

「今日は風がおだやかだから大丈夫、だなんて間違いだった。迷惑ったらないよ。もう私、森でずっと引きこもって暮らす」

【淀んだ空気は森も迷惑だぜ】

 一つまた大きく息を吸い込んで、ため息をつく。

「人を傷つけるだけの歌声なんて、持って生まれたくなかった」

 気を落とす姿を見て、クノはやれやれと首を回す。

 杖から降りると、手頃な木の枝に移ってエーファに目線をあわせる。

【それは違うぜ、エーファ。お前の声は天からの授かりものだ。風の民の伝承にもあるが、お前さんの声は万人を癒やすものだ。間違っても人を傷つけるものじゃない】

「でも現実に傷つけてたよ」

【俺の記憶が正しければ昔のお前は違ってた。お前の歌声は変わらず美しい。だとしたら問題は外じゃない、内にある】

 エーファは翼でエーファの心臓を指す。

 クノはいつもふざけてばかりではあるが、こうした時には風見鶏の名にふさわしい姿を見せる。風向きを見てはいつもふらふらしてばかりの風見鶏ではなく、人の行く末を知らせてくれる誉れ高き一族としての姿だ。

「だとしたら簡単には解決しないよ」

 クノベリスのことばに、エーファは今にも泣き出しそうな笑顔を返す。

 風が一陣吹き抜ける。冷たさを帯びた風だ。

【エーファ】

「行こう。お祖父様が待ってる」

 エーファはフードを目深に被り直す。家に帰るまでエーファはクノベリスと視線を合わせなかった。

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