ある怪異とのMCバトル
久佐馬野景
ある怪異との対決
追い込まれた。
怪異に目をつけられて三日目。途中何人もの同行者が命を落とし、残ったのは八雲と――。
「追い込まれた、と思っているね」
至極落ち着いた物腰と口調で円了はつぶやく。
ああそうだとも。この怪異は正真正銘の化け物だ。いったい何人の命を奪えば気がすむのか。加持祈祷、お祓いに念仏、邪悪な呪術でさえこの怪異を止めるには至らなかった。
「この怪異がなぜこうも凶悪なのか。考えてみたことはあるかな」
「さあ――」
「簡単な話だ。被害者が怯えていたからだよ」
「そんな単純な」
「単純だから強い。この怪異は被害者が怯えるための場と空気を用意する。場と空気を支配し、そこを自分の領域へと塗り替える。常に自分のフィールドで戦えば、怪異に負ける道理はない」
では今の状況は最悪なのではないかと八雲が思ったところに、重苦しい足音が聞こえてきた。
「どうするんです」
「簡単な話だ。この怪異は空気につけ込み、つけ入り、つけ上がる。ならばその場の空気を、あらかじめこちらで用意するだけのこと」
「そんな、こんな薄暗い廃工場で?」
「そうだ。照明、音響、準備はいいな? オーケー。いくぜDJ、カマせっ!」
途端に廃工場の中、円了の立っているスペースだけが激しい光に晒される。続いてスクラッチ音から重低音のビートが刻まれ、円了の手の中にはマイクが握られている。
「上がってこいよ。君も怪異なら――ラップ、できるんだろ?」
ビートが一周する。互いに拍の確認という工程が終わり、円了がマイクを口にあてる。
「ビビってんなよ You know me? その顔晒せよ 井上円了
遠慮はいらねぇ 常套句だろ? 妖怪博士の本領発揮
真怪虚怪も全員 Join us 怪を語るぜ来るなら来いよ
謹製ジョークで天使も成仏 ダリぃナマなら縫うぜその口」
八雲は円了がライムを口走るまで、きっとなにかの冗談だとばかり思っていた。
だが、違う。円了は本気だ。
怪異はその場の空気を支配する。怪異が登場し、怪異を引き起こすための空気を醸成する。
円了は、その空気の醸成という行為を、逆に自分の力によって支配した。その上で、怪異の逃げ道さえ塞いでしまった。
怪異が登場するための舞台を整え、MCバトルという対決の場を用意し、この場の現在の空気の中で、怪異を呼び出すことに有意性を持たせた。
怪異は空気を支配する。それはそのまま、怪異はその場の空気に支配されていることを示している。
ここまでお膳立てされ、怪異がこの空気を破壊して怪異を引き起こした場合、生まれる空気は――おそろしくシラける。全力のラップを披露した円了へのリスペクトを欠く行為は空気を台無しにする。そしてMCバトルという文脈を破壊する行為は、意地汚いメタを張る行為と見做され、シラけの先――笑いへと還元される。
そうなった場合、怪異はもう二度と表舞台へ上がることはできなくなる。
怪異が怪異であるためには、すでに行き先はひとつしか残されていない。
「出てきてやったぜ こんちはーっす 言葉で殺すがお前で何人目?
数えてねぇわ覚えてねぇわ 殺せば問題ねぇ? 五分の魂なんざ誤差の範囲
名前もなけりゃ顔もない オイラは誰だろ 当ててみなよ博士ちゃん
デビルもエンジェル悉皆成仏? やってみせろや見当違いの坊さん」
――乗ってくる。
続いて先攻の円了がマイクをとる。だがその寸前、円了が目で合図をしたのを八雲は見逃さなかった。
「レイライン拳法――奥義」
レイライン拳法とは――大地を走るとされる「レイライン」。その上に自身の肉体を乗せ、神秘の力を拳に乗せて打ち込むいにしえの暗殺拳。一見レイラインが走っていない場所では力を発揮できないと考えられがちだが、なぜか拳士の立つ大地に必ずレイラインが走っていることが発見される無敵の拳である。
「〝極太一本日本烈闘〟――ッ!」
このように。円了の拳から放たれた浄化の光が怪異を直撃する。
怪異はこの場の空気に乗らなければならなかった。それは怪異が怪異であるがゆえに。怪異が存在するためにはどうしても守らなければならない決まりだった。だが、この場を演出した円了や八雲には、そんな決まりはまるで関係がない。空気を破壊しようがシラけさせようが笑いに変えようが、人間はそれで死ぬわけではないのだから。
悪質な不意打ちをモロに食らい、怪異は消滅する。長い戦いは終わった。犠牲者たちの命と、割に合わない結末に涙をこぼし、八雲はまた円了とともに異界を巡るのだった。
ある怪異とのMCバトル 久佐馬野景 @nokagekusaba
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