第5話

 店の外に出ると、冷たい北風が容赦なく恭平に吹き続けてきた。

 二人はしばらく繁華街の中を歩き、やがてネオンが消えた暗い住宅地へと出ると、恭平は立ち止まり、頭を掻きながらあずさの方を向いた。


「あずささん、今日はありがとうございます。お気持ちはすごく嬉しいです。でも、僕、妻もいるし……その……」


 するとあずさは、口を押さえながら高い声を上げて笑い出した。


「ひょっとしてお持ち帰りのこと? いいのよ。無理して付き合わなくても」

「すみません、弘樹が勝手なことを言ったばかりに……」

「ヒロさんはいつもあんな風だから、私たちも困っちゃうんだけどね。でも、ヒロさんにはお店を守ってもらってるからね」


 あずさはダウンコートのポケットに手を入れ、夜空を見上げながら白い息を吐いた。


「さっきの連中のことですか? 」

「そうよ。あの連中、みかじめ料目的で店に来るんだけど、ヒロさんは一歩たりとも店の中に入れさせないのよ。『何があっても、俺はお前たちのことを守るからな』って。カッコいいでしょ? 」

「そうですね。あいつ、正義感だけは昔から強いから」

「でも、そんなことが続くうちに、彼自身も連中の標的にされてしまって。彼も徹底抗戦してるみたいだけど、それがすごく心配でね……」


 その時突然、二人の背後から一台のパトカーが現れ、赤色灯を回転させながら狭い路地へと入り込んでいった。


「あ、ごめん。私はこれで帰るね。ヒロさんには私から上手く言っておくから」


 あずさは両手を振ると、慌てた様子で路地裏へと駆け出していった。


「あずささん! 一つだけ聞いていいですか? 」


 恭平は走り去るあずさの背中に向かって大声で呼び掛けた。


「僕、さっき弘樹の指を見てしまったんです。あいつ、一体どこでどんな人生を歩んでいるのか、すごく心配なんです! 」


 あずさはぴたりと歩みを止めると、髪を振り乱し、肩をいからせながら恭平の元に近づいてきた。


「私も良く知らないけど……お酒に酔った勢いで、ちょっとだけ話してくれたことがあったかな。家族に愛されずに育ったとか、仲間に裏切られて借金こさえたとか、借金を肩代わりしてもらう代わりに裏の社会に入ったとか……」


 あずさから弘樹の話を聞くうちに、恭平は段々胸が苦しくなってきた。無意識のうちに、胸の辺りを押さえていた。


「でもね、ヒロさん、言ってたよ。恭平さんは自分の人生でたった一人の理解者であり、本当の友達だったって。出会えて本当によかったって」


 それだけ言うとあずさは恭平に背を向け、早足で繁華街の中へと姿を消していった。その場に取り残され、ぼう然と立ち尽くす恭平のコートのポケットから、スマートフォンのけたたましい着信音が鳴りだした。ようやく我に返った恭平は、スマートフォンを取り出すと慌てて耳に押し当てた。


「もしもし、恭平さん? どこで何やってんのよ! 子ども達はもう寝ちゃったわよ。パパはひょっとしたら殺人犯に殺されたんじゃないかって、泣きながら心配していたんだからね」


 声の主は、妻の美沙希だった。


「ご、ごめんよ。本当にこれからすぐ帰るから」

「殺人犯はまだうろついてるみたいだから、気を付けて帰ってきてね」


殺人犯……そう言えば、恭平はそのことを美沙希から聞こうとしたその時に、通話を弘樹に遮られたことを思い出した。


「そうそう、殺人犯ってどんな奴なの? さっき、途中で通話が切れちゃったからさ」

「その人はね……」


 恭平はスマートフォン越しに、美沙希から犯人の特徴を聞かされた。

 全て聞かされた後、恭平は呆然自失のあまり、言葉を失ってしまった。


「ま、まさか、そんなわけないよな」

「どうしたの? 」

「いや、とりあえず用心して帰るよ。心配かけてごめんな」


 恭平はスマートフォンを再びポケットにしまうと、自分の心配が杞憂に終わってほしいと願いながら、ついさっきまで歩いていた繁華街の方向をずっと見続けていた。



 深夜零時を回り、ようやく自宅に着いた恭平は、誰もおらず真っ暗な居間に灯りを点けた。

 テーブルの上にはオムライスとパウンドケーキ、そして子ども達が書いた恭平の似顔絵とメッセージカードが置いてあった。

 その時、隣の居間から美沙希がそっと顔を出した。


「おかえり、恭平さん」

「ごめんな、遅くなって……俺のために、せっかく色々用意してくれたのに」

「もういいわよ。明日、ちゃんと子ども達に謝っておいてね。それよりさ、ネットニュース見たら、逃げていた殺人犯がついさっき捕まったんだって。犯人は紺野弘樹っていう名前で、この近くの繁華街にいたみたい」

「そうか……」

「どうしたの? せっかく犯人が捕まったのに、嬉しくないの? 」

「どうでもいいだろ。俺、もう寝るよ」

「ヘンなの……」


 家族が居間に用意したご馳走に目もくれず、自室に戻った恭平は、押し入れを開けると、昔の文集や卒業アルバムなど思い出の品々を入れていた箱を取り出した。

 必死に箱の中を探ると、中学校の卒業アルバムと一緒に、一枚の寄せ書きが出てきた。卒業式の日、クラスの同級生が恭平に向けて一人一言ずつ書いてくれたものだった。


『恭平ちゃん、本当にマブダチと言えるのはお前だけだ。五十歳になったら、一緒に酒でも飲もうぜ! 紺野 弘樹』


 恭平は寄せ書きを見ながら、顔を片手で押さえてその場にしゃがみこんだ。


「弘樹、お前は俺の誕生日を祝ってくれたのに、俺はお前の誕生日に何もしてあげられなかった……本当に、本当にごめんな」


 目から自然にあふれ出た涙が、頬を伝い、弘樹の書いた寄せ書きの真上にしたたり落ちた。弘樹の書いた文字は、恭平の涙で次第にじわじわと滲みだしていった。

(おわり)


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