第4話

 入口に小さく『Anjuアンジュ』と書かれたドアを開けると、店員らしきたくさんの女性たちが中央に置かれた真っ赤なソファーに腰掛けていたのが目に入った。


「皆さん、今日のもう一人の主役が来ましたよ! 俺のマブダチ、恭平ちゃんでーす! 」


 弘樹は店に入るや否や大声でそう叫ぶと、女性たちが一斉に拍手と歓声を上げた。女性たちは大きく背中の開いたドレスや、下着が見えてしまうのではと心配になる位の短いスカートを着込み、店内には彼女たちが付けている甘い香水の香りに満ちていた。それらは全て、まるで恭平を誘っているかのように感じた。


「あずさ姐さん、恭平ちゃんを特等席に案内してやってよ。今日の主役なんだからさ」


 弘樹は、体にぴったりと密着した花柄のロングドレスを着こんだ女性にそう伝えた。


「私はこの店のオーナーのあずさです。よろしくね。ヒロさんからあなたのことは色々聞いてるわよ。さ、こっちに座って」


 あずさは、恭平を若い女性たちがひしめく真っ赤なソファーの席へと誘導した。恭平は派手に着飾った女性たちに囲まれ、すっかり緊張して自分を見失いそうになってしまった。

 やがて恭平の目の前には、大きなジョッキにたっぷりと注ぎ込まれたビールが到着した。


「じゃあ乾杯と行くか。今日は恭平ちゃんの誕生日、そして明日はこの俺の誕生日です。二人とも無事に五十歳になりました! ここまでの、そしてこれからの俺たちに乾杯! 」

「かんぱーい!」


 女性たちは恭平の持つジョッキに次々とグラスをぶつけてきた。

 乾杯した後、弘樹はソファーにもたれながら隣に座る女性達とグラス片手に楽しそうに語り合っていた。一方で恭平はジョッキに手を付けず、頬杖をついてしばらく考え事をしていた。

 恭平は、どうしても弘樹に聞いてみたいことがあった。中学の同級生で、唯一弘樹だけ卒業後の消息が分からなかった。弘樹は今までどこで何をしていたのだろうか、気になって仕方がなかった。


「おい弘樹。お前、中学卒業後何してたの? お前だけずっと音信不通でさ……」

「何してたのって……ごらんの通り、元気に生きてきたよ」

「本当か? 」

「本当だって」


二人が押し問答していたその時、店の入口のドアが開き、出迎えに行った女性たちの元気で可愛らしい「いらっしゃいませ~」の声が響いた。しかし次の瞬間、彼女たちが突然凍り付くように動けなくなっていた。一体何があったのかと恭平は入り口を覗き込むと、坊主頭の男と剃り込みの入った角刈りの男が、ポケットに手を入れながら薄ら笑いを浮かべていた。


「また来たのね」


 店の奥からやってきたあずさが男達の前に立つと、腕組みをして下から睨みつけるように見つめていた。


「こんばんは店長さん。こないだのお話、もう一度考えてくれましたか? 」

「私の考えは変わりません。お断りいたしますので、お帰りいただけないでしょうか」

「わかりました。じゃあ、せっかくなんでちょっとだけ遊んで帰りますね」


坊主頭の男がそう言うと、あずさのドレスの上から全身を両手で触り始めた。


「おお、いい身体カラダしてますなあ。これからこのボクとちょっと一緒に遊びませんかぁ? ガハハハ」

「や、やめてくださいっ」

「アニキ、この子も最高ッスよ。お尻プリップリで、すごく触り心地がいいですよ」


剃り込み男は、別な女性にちょっかいを出し始めた。


「あずさママ、助けて!」

「あなた達、うちの子達に何するのよ! 」


あずさの悲痛な叫びが店内に響き渡った。


「やめろや、さっきから黙って見てたら調子に乗りやがって」


坊主頭の目の前に、いつの間にか弘樹が立ちはだかっていた。弘樹は両手で拳を鳴らし、今すぐにも殴り掛かりそうな雰囲気があった。 


「……またあんたか。何で俺たちの邪魔ばかりするのかなあ」

「この店を守りたいだけだ。とっとと帰れや。じゃねえと、てめえらの命はねえぞ」

「相変わらず笑わせてくれますなあ。ま、あんたに会えるのはもうこれが最後かもしれませんからね」


坊主頭は弘樹の鼻先まで顔を近づけてそう言うと、不敵な笑みを浮かべて剃り込み男を手招きした。


「それじゃまた近々お邪魔しますんで。いい返事待ってますよ」


男達がドアを閉めると、安堵したかのように再び店内に賑やかさが戻った。

恭平はあっけにとられていたが、弘樹は何事もなかったかのように再び女性達と楽しく会話していた。


「おい、あいつら一体誰なんだ? 何でお前のこと知ってるんだよ」

「お前には関係ないことだよ」

「関係ないってどういうことだよ? かなりヤバそうな連中だぞ」

「あ、そうだ恭平ちゃん。お前に誕生日プレゼントをあげないとな」


 弘樹は立ち上がると、あずさに何か耳打ちしていた。あずさは片手を口に当ててクスクスと笑っていたが、大きくうなずくと、恭平に隣にそっと腰かけた。


「今夜だけ、ここにいるあずさ姐さんをお持ち帰りしていいからさ。こんなに美人で気風が良くて、スタイルの良い女を抱けるんだぞ。な、最高のプレゼントだろ? 」

「こ……この人を? 」


 恭平はぽっかりと口を開けたまま、隣に座るあずさを指さした。

 あずさは呆れた顔をしつつも、微笑みながら軽くうなずいた。


「じゃあな恭平ちゃん。またいつか会えるといいな」


 そう言うと、弘樹は片手を差し出した。ごつくて硬く、大きな掌……よく見ると、小指の上半分が無くなっていた。

 恭平は思わず声を出しそうになったが、満面の笑みで恭平の手を握る弘樹に対し、喉まで出かかった言葉を何とか飲み込もうとした。

 その時、隣に立つあずさが笑いながら恭平の袖をつかみ、そっと自分の方へと引っ張ってきた。


「行きましょ。私をお持ち帰りするんでしょ? 恭平さん」


 あずさはそう言うと、恭平の腕に自分の腕を絡ませ、隣に寄り添いながら恭平と歩幅を合わせて店の外へと歩き出した。



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