第34話 わーちゃんも

 あれから慌ただしく一ヶ月ほどが過ぎた。

 俺たちは結局これまでと同じように、毎日夕食を一緒に食べている。

 変わったことと言えば、週に一度、武藤夫婦を交えた夕食の日ができたことくらいだろうか。……いやめっちゃ大きな違いだけど。


「わーちゃんはおかわりします!」

「あらあら、わーちゃんは良く食べますねぇ。はいどうぞ?」

「そだちざかりなので!」


 この日は奥さんが食事を作ってくださる。

 和風の食卓をベースにしながらも、子供が喜びそうなオカズを混ぜてくるのが見事だ。さすがに長年主婦をしていない。ちなみにこの日は鳥のからあげ、和音ちゃんは大好き。


「からあげだいすきです!」

「そうかそうか、もっと食べて大きくならないとなわーちゃん! うはははは」


 武藤さんはわーちゃんが女の子だってわかっているのだろうか。確かに和音ちゃんはよく食べるけどさ。


「おう和臣くん、おまえさんももっと食え! あれだけ稽古をしたあとだ、腹も減ってるだろ?」

「食べます、食べますよ! 言われるまでもありません!」


 ――稽古。

 そう、あれから俺は、剣道を再開した。食事の日は武藤さんに剣道を習う日でもある。

 習い出してわかったのだけれども、あの日俺が一本を取れたのは、やっぱりまぐれだ。この人、めっちゃ強い。底が知れない。


「食えば食うだけ人は強くなる。私だって若い奴にはまだ負けんぞ!」

「はいはいオカワリね? わかりましたよ、あなた」

「おじさまは健啖家ですね。うらやましい」

「はは、瑞希ちゃんもたくさん食べて強くなりなさい!」


 瑞希さんは相変わらず。

 ただ、学校でもバイト先でも、いつしか普通に笑う人になっていた。

 氷姫の氷が溶けた、などと学校が一時期騒然となったものだが、周囲はこの変化を概ね良好に受け入れてくれた。好感触だ。

 気をつけろよ和臣、と釘をさしてくれた純也の話では、一部で、どうして瑞希さんが笑うようになったのかと調べようとしている熱狂的なファンたちがいるらしい。

 そうだな、気をつけないと。


 純也。

 あいつはどうやら俺と瑞希さんのことに気づいているようだ。

 やっぱり夏祭りのときのことは誤魔化し切れなかったか。俺は思い出して苦笑してしまう。だけどそれでも、あいつは基本的に知らないフリをしてくれている。

 イイヤツなんだ。ワックの素バーガー六個奢らされたけど。


「おう、食べた食べた。わーちゃん、おじさんとテレビでも見るかい?」

「あなた? 今日はもう帰りますよ、三人共明日は早いんだから」

「えええ? 琴美さん、もうちょっとくらい良いじゃないか」

「ダメです。ほら」

「なんなら明日は私らも一緒に――」

「……あなた?」


 食事の後片付けを俺に任せて、奥さんは武藤さんをズルズル引っ張り帰っていった。

 見てる限り、奥さんの方が武藤さんよりも立場が強いんだよなぁ。

 俺は奥さんに感謝する。そうさ明日は三人だけで行きたい、約束だったこともある。


「明日がたのしみですねカズオミお兄ちゃん!」

「そうだね、楽しみだ」

「デイズ・ニード・ランド!」


 食器を片付けている俺の横で、和音ちゃんはピョンピョン跳ねた。

 明日は兼ねてより約束していた『遊園地』への行楽だ。


 ◇◆◇◆


 夢の国「東京デイズ・ニード・ランド」、通称デイズニー。

 東京を冠している割に千葉の埋め立て地帯にあるという、巨大なアトラクション施設。

 朝から並びデイズニーに入場した俺たちは『水しぶきマウンテン』にまず乗った。


「びしょ濡れマックス実施中……だって、わーちゃん!」

「なんですかそれは!」

「残暑に負けるな応援企画、水しぶきを大増量でお送りします……なんか濡れちゃうみたいだね」

「気持ちよさそうです!」

「そうだね。十月なのにまだ暑いもんねー」


 水しぶきマウンテンは丸太ボート型のコースターに乗って、高低差のある滝つぼへと落ちていく絶叫系アトラクションだ。

 実は話こそ聞いたことはあったが俺も乗るのは初めて、なんならデイズニーに来ること自体が初めてなのだから当然なのだけど。

 コースターに乗りながら、俺は瑞希さんに訊ねた。


「二人は、デイズニーに来たことあるんだよね?」

「うん!」

「水しぶきマウンテンにも乗ったことある?」

「ないの、そのときはまだわーちゃんの身長が足りなかったから!」

「ああそっか……あ、あああああーっ!」


 さすが絶叫マシン。突然の浮遊感と共に、俺の身体が沈み込む。

 大きな段差をコースターごと落ちていくアトラクションなのだ、ついつい変な声を出してしまった。


「カズオミお兄ちゃんのこわがりさんー!」

「こ、怖くなんか……ぁ、ぁぉおぉぉおーっ!?」

「うきゃあぁぁあっ!」


 和音ちゃんが楽しそうな絶叫を上げている。

 俺の声とは少し質が違っていそう。あれは余裕の絶叫だ、くそう幼女め怖いもの知らめ。


 俺は肩で息をした。

 なんなら、なんならだよ? 絶叫系のアトラクションに乗ること自体が初めてな俺なのだ。多少声が上がってしまったとしても仕方あるまい! ……あるまいよね?


「だいじょうぶ天堂くん!? そろそろ最後みたいですから、もう少しですよ!」


 完全に心配されてしまっている!

 うおお、これは男として情けない? ちくしょう、今日は心に決めていることがあったのに。こんなことでは哀れすぎて実行できないじゃあないか。


 デイズ・ニード・ランドは夢の国。なんでも願いが叶う国。

 そんな特別な空間にいるうちに、俺は実行しようと決心していることがある。


 それは、瑞希さんへの告白だ。

 俺はまだ彼女に「好きです」という言葉を伝えていない。もう気持ちは伝わっているのかもしれないが、こういうことはちゃんと言葉にして届ける必要があると、俺は思うのだ。


 ――だから俺は、俺は、俺わわわわわわわわーっ!?


 バッシャアアァァアァアァン!

 丸太船コースターが最大級の大きな落差で水の中に飛び込んだ。

 大量の水しぶきが俺たちに襲い掛かる。


 和音ちゃんと瑞希さんは、きゃあきゃあ、と楽しそうに黄色い声。

 くそう余裕あるな! 俺はもう必死なのになー!


 ◇◆◇◆


「はい天堂くん、アイスクリーム」

「……ありがとう」


 水しぶきマウンテン後、俺はベンチで休みを取らせてもらった。

 なんとも情けない話、まさか自分が絶叫マシンにこれほど弱かったとは。


「アイスおいしいですけど!」

「おいしいよなぁ」


 身に染みる。はー、生き返ってきたぞ。


「倒れちゃうかと思いましたよ、フラフラで」

「面目ない」


 だいぶ楽になってきて余裕の出てきた俺は、あははと笑って頭を掻いた。

 うーん恰好悪いな、これから告白したいと思っているときなのに。


「倒れるといえば……、時子さんから聞きました?」

「ああ、うん。なにやってるんだろうね、あの人」


 時子さんから聞いたのは、垣崎さんの話だった。

 ――垣崎さん。

 あの人は俺たち以外からもほうぼうから訴えられ、その上刑事事件にも発展しそうで色々と大変なことになっているらしい。


 それら全てを俺たちのせいだと逆恨みした垣崎さんは、なんと夜の神社に夜な夜な出向き、俺たちの藁人形を釘打ってたのだという。

 そこを、たまたま酒を飲んで散歩していたパリピの方々に発見されて動画を撮られた上に、世界的な動画サイトで拡散されてしまった。


『ジャパニーズUSHI NO KOKU MAIRI』といえば、今や垣崎さんのことを差す。

 有名人になってしまわれたのだった。


「まあもうあの人のことは忘れようよ、終わった話、終わった話」

「そうですね、うん。……忘れることにします」


 俺は、瑞希さんの手の上に、そっと自分の手を重ねた。

 あれ? いまちょっと良い雰囲気じゃない? 告白のチャンスか?


「瑞希さん、あのさ……」

「はい?」


 俺が瑞希さんの目を見つめたそのとき。


「次です! 次に行きましょう! わーちゃんあれに乗りたいです!」


 和音ちゃんが立ち上がって指を差したのは『ビッグ雷トロッカー』。

 また絶叫系ですか、和音ちゃん!


 いいとも付き合うとも! 俺はいくらだって和音ちゃんに付き合うよ!


 ◇◆◇◆


 付き合っているうちに、辺りは暗くなっていった。

 エレクトリカルなパレードを見て、夕飯も食べ、今や空は真っ暗に。


 それでもデイズニーの中は、光で溢れていた。

 幻想的な空間なのだ。そういう場所なのだった。日常から解き放たれて、夢の中で楽しむ場所。それがデイズ・ニード・ランド。


 買い物を頼まれた俺がジュースを持って二人のところに戻ると、瑞希さんが二人の男にナンパをされていた。俺はその男たちの前に立つ。


「ごめんな、ツレなんです」


 そう言って瑞希さんの手を取って、その場を去る。

 瑞希さんは美人だ。目を引く。俺とこうしてる今も、誰かしらが振り返って瑞希さんのことを目で追っている。

 俺が気をつけないといけないのに、ちょっと迂闊だった。ごめんね瑞希さん。


「……瑞希さん?」


 ちょっと暗がりになったところで、瑞希さんの足が止まった。

 もう少し明るいところに出ておきたいんだけどな、そう思い、俺が瑞希さんのことを促そうとした、そのとき。


 ――ドーン! と花火が上がり出した。

 ああそうか、ここでは毎晩花火が上がるんだっけ。


「わあぁぁぁああーっ! 花火ですよ花火ですよ!」


 和音ちゃんが、空を見上げた。

 俺たちも空を見る。


 ドーン、バババン、ドーン。

 次々夜の空に開いていく、大きな花火。


「すごいすごーい!」


 和音ちゃんが走り出した。より見やすいポジションを得ようとしてるのだ。

 俺と瑞希さんはそんな和音ちゃんを見て、二人手を繋いだまま笑う。


「今日はずっと楽しそう、わーちゃん」

「そうだね、朝からずっとだ。よかったよ」


 俺たちは目を合わせた。

 ん? 瑞希さん? なんかちょっと恥ずかしそうな顔をしてないか?

 俺が不思議に思った、そのとき。瑞希さんは身体を動かして、俺の正面に立った。


「あのね、天堂くん。……ありがとう」

「ん? どうしたの急に」

「さっき、男の人たちから助けてくれて」

「ああ。当たり前だよ、大切な人なんだから」


 瑞希さんが微笑んで、少しうつむいた。


「なんかね、すごく自然に手を引いてくれた」


 あれ? 言われてみれば。

 あのとき、いや今も、なぜだか俺は、自然と瑞希さんの手を握っていた。


「それがとても、嬉しくて」

「瑞希さん……」


 ちょっと離れたところで和音ちゃんが声を上げた。

 だけど俺たちは、吸い込まれるように互いの顔を見ていた。花火に照らされた瑞希さんの顔は綺麗で。


 チャンスだ! いまこそがチャンスだろう和臣!

 ここで言わなかったら、いつ言える!?


「み、瑞希さん!」

「は、はいっ!?」


 俺の声が不自然に高かったのだろう。瑞希さんが驚いたように目を丸くした。


 ああそして俺は。

 口の中が渇いていた。舌がパサパサだった。喋りにくい。なにか言わなきゃ、と気持ちだけが焦る。焦れば焦るほどに、言葉が見つからずに遠くへ霧散した。ああ。言わなきゃ、言わなきゃ!


 そう思っていると、瑞希さんが先に唇を動かし始めた。


「天堂くん、私ね、あのその――」


 言わなきゃ!


「待って!」


 俺は瑞希さんの言葉を遮った。


「俺から言わせて欲しい!」

「わ、私も言いたい! ちゃんと自分から言いたい!」

「そ、そうなの!?」

「そうなんです!」


 だけど、俺も、俺から言いたい! 言わなきゃならない気がした!

 え、でも瑞希さんも自分から言いたいという。なにを? いやもう野暮なことは考えまい。俺たちの心はいま、たぶん一つだ。違うところは、どちらからそれを言い出すか。

 ああ、どうすれば! 俺たちはどうすればいいのだ!


「わかりましたお二人とも!」


 いつから見ていたのだろう、横から和音ちゃんが俺たちのことをジィっと眺めていた。


「わーちゃん!?」「和音ちゃん!?」


 迂闊にも視線に気づいていなかった俺たちは、同時に声を上げる。


「一緒に言いましょう! 大事なことは、みんなで一緒に!」


 ドヤドヤ状態の顔で、和音ちゃんは言った。

 俺たちは、ポカンと。しばし和音ちゃんの顔を見て。

 ――プッと噴き出してしまう。


「そうねわーちゃん」

「そうだね和音ちゃん」


 俺たちは見つめ合い、


「俺は」「私は」

「瑞希さんのことが」「天堂くんのことが」


 ――うなずきあった。


「「好きです」」


 どぉん、とひと際大きな花火が上がった。和音ちゃんが、拍手した。花火の音に負けないくらいの大きな音で、拍手した。

 ぱぁぁ、と広がるたくさんの花火を背負いながら俺たちは手を握りあった。


「わーちゃんも、だいすきー!」


 三人で、手を握り合ったのだった。



 ――俺たちの物語は、ここからまだ始まったばかり。




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 長々とおつきあい頂きありがとうございました。

 とりあえずここで一旦物語を〆させて頂きたいと思います。


 この先はちょっとオヤスミしたあとに、ちょいちょい先を書いてみようかな、くらいのエキストラステージぽく考えております。もうちょっとだけ続くんじゃよ?


 読んでくださった方々に、心からの感謝を。

 よい執筆体験ができました!


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