第33話 決着

 穏やかな波に揺られているようだった。

 闇の中でなんだろう、心地よい満足感が俺を満たしていた。


 力を出し切ったのかい? と、声が聞こえる。

 後悔はないのかい? と、声が聞こえる。


 俺はどことなくテレくさい気持ちになりながら、うん、と答えた。


 じゃあもう、なんでも受け入れられる? と声が俺に問う。俺は笑った。

 ――いいや? それはまた別の話だ。


 知ってただろ自分、俺はこう見えてしつこい。

 ダメと言われようと、頑張るのだ。


 瑞希さんも言ってくれたじゃないか、俺は頑張れる人だからって。

 なんでもだなんて、受け入れてやらない。

 力を出し切ってダメでも、また力を溜めて挑戦してやる。繰り返してやる。


 うぜーな俺、と声が言った。

 うぜえよな俺、と俺は笑った。


「……くん! ――どうくん!」


 俺と俺が笑っていると、どこからか女の子の声が聞こえてくる。

 気がつくと一緒に笑っていた俺など、どこにもおらず、俺は一人になっていた。

 ああ、起きなきゃ。

 また心配させてしまっている。瑞希さんを心配させてしまっている。


 よくないよなぁ、俺。

 そう俺に問い掛けたが特に返事もなかったので、俺は目を覚ますことにした。


 ◇◆◇◆


「天堂くん! 大丈夫!?」

「瑞希……さん?」


 気がつけば、俺は面を外されて道場で横になっていた。

 瑞希さんに膝枕をされていたらしい、頭を抱えられていた。


「よかった、目を覚ましてくれて。私、天堂くんになにかあったらどうしようかと……!」


 涙目になって俺の顔を覗き込んでくる瑞希さん。

 しまったなぁ、やっぱり俺は心配させてしまっている。


「そんなに心配しなくても大丈夫。普通の稽古でも、たまにこんなことあるんだから」

「ないだろ人聞きが悪い」


 俺を囲むように立っていた時子さんが苦笑いを浮かべた。

 その隣の武藤さんも、苦笑気味に肩を竦める。


「怪しいねぇ、時子くんは厳しいから」

「おい和臣! 先生に誤解されたじゃないか責任取れ!」


 ふはは、と笑う武藤さん。

 それを見た瑞希さんも口に手を持っていき、ふふ、と笑う。

 そして膝枕をしてくれたまま、優しい目で俺に視線を落とした。


「天堂くん、いいんです。私が心配したいんです。あなたの心配をしたいの。あなたが私とわーちゃんのことを心配してくれているように、私もあなたの心配がしたい」

「……瑞希さんの声が聞こえたんだ。フラフラで意識朦朧だった俺の中に、キミが入り込んできた。キミの応援が背中を支えてくれた」


 俺は笑ってたと思う。自然に頬が緩んでしまうのだ。嬉しくて、感謝の気持ちを伝えたくて、言葉が自然に溢れてくる。


「応援してくれてありがとう、心配してくれてありがとう、支えてくれてありがとう。俺も、瑞希さんたちを支えたいと思ってる」

「大丈夫、伝わってるから」


 瑞希さんが、俺の頭をぎゅっと抱えた。

 プニプニが俺の顔面に。あ、おっぱい。……ははは、こんなときなのに俺って奴は。男子高校生って奴は。

 視界の端で武藤さんが笑った。


「……和臣くんは、もう瑞希さんにとって家族同様なのだね」

「はい」

「わかった」


 武藤さんも、もう面を外している。勝負は終わったのだ。

 俺の最後の記憶は、武藤さんの面打ちを抜いて逆胴を打ったところまでだった。

 結局そこからどうなったのだろう。俺は気になって、瑞希さんの膝枕から頭を起こした。


 そんな俺を見る武藤さんの目は、どこか優しい気がする。


「和臣くん。最後のあれは、刃筋の立った見事な逆胴だった。感服したよ」

「ありがとう……ございます」

「思えば時子くんに初めて渾身の一本を取られたときも、面抜き逆胴だった。弟子の開眼をこの身で受け、孫弟子の開眼もこの身で味わえるなんて、私はとんだ幸せものだ。こちらこそありがとう和臣くん」

「…………」


 感慨深げな武藤さんの声だ。

 武藤さんの想いは、若くて未熟な今の俺には想像も及ばない。

 だけど、よかった、と思った。

 今日、竹刀を手にしてよかった。手にできてよかった。


 俺がいま竹刀を手にしていられるのは、時子さんのお陰であり、純也のお陰であり、瑞希さんのお陰でもある。

 皆に支えられて手にできた竹刀を、武藤さんに振るえてよかった。


 そう感謝しながらも、俺は問わなくてはならない。勝敗の結果を。

 和音ちゃんがどうなるかの行方を。


「で、武藤さん。勝敗はどうなるんでしょうか」

「それを決めるのは、たぶん我々ではないんだよ」


 そういうと武藤さんは、俺から一歩離れたところに居た和音ちゃんの方を見た。

 なるほど、そうかもしれない。

 結局俺たちに、和音ちゃんの決めたことをやめさせる権利なんかないのだ。


 力を出し切ったのかい? と、誰かが言った気がした。

 後悔はないのかい? と、誰かが言った気がした。

 なんでも受け入れられるかい? と、最後に言われた気がした。


 俺は心の中で「うん」と答えた。


「わーちゃんは……」


 和音ちゃんは静かな笑みを浮かべていた。


「わーちゃんは、カズオミお兄ちゃんのすごいところを見たかったのです」


 ――うん。


「そしてカズオミお兄ちゃんはそれを見せてくれました。だから、わーちゃんは」


 和音ちゃんは、武藤さんの顔を見た。


「わーちゃんは、おじさんのところにいこうとおもいます」


 ……うん。

 俺は唇を噛んで、目を閉じた。


「そうか……うん、そうか」


 武藤さんの声。


「いいのかい? 本当にそれで」

「いいんです!」

「じゃあなんで、わーちゃんは泣いてるんだい?」

「泣いてませんですから!」

「泣いてるじゃないか」

「目から水が出てるだけですから!」


 和音ちゃんが言い切ったところに、時子さんが口を出した。


「なあ和音ちゃん? もし、もしもだぞ?」


 俺は目を開けた。

 時子さんは和音ちゃんの前までいくと、中腰になって和音ちゃんと目線を合わせる。


「お金があるって言ったらどうする? お姉ちゃんと和音ちゃんが学校に行くくらいのお金が、ちゃんとあるって言ったら」

「それは……!」


 和音ちゃんの目から一気に涙が溢れ出した。


「お姉ちゃんと一緒に居たいです! カズオミお兄ちゃんとも一緒に居たいです! あのおウチで、わーちゃんのおウチで、一緒に居たいです! トキコお姉さんのお店でケーキを食べたいです!」

「いいなぁ、毎日ケーキだ!」


 時子さんがニンマリと力強く笑う。

 和音ちゃんの綺麗な髪の毛をグシャグシャと掴み、ポケットからスマホを取りだした。

 どこかへ電話を始める。


「はい、……はい。大丈夫です、よろしくお願いします琴美さん」


 電話を切ると、俺を見て不敵な笑み。


「いいか和臣! ケーキはおまえの奢りだからな!?」

「え?」


 俺は思った。いや思っただけじゃない。声に出した。


「奢る。ケーキくらい幾らでも奢る。和音ちゃんにだけでなく、時子さんにも瑞希さんにも、店の常連さんにも、道行く人にも、誰にでも、みんなに奢る! ああ奢らせて欲しいぞ! 俺たちのあの日常が続くなら、いくらでも奢らせて欲しいさ!」


 そのとき道場の戸が、ガラリと音を立てて開かれた。


「まあうるさい。やだやだ、なんなのかしら。下品ねぇ」


 垣崎さんが、武藤さんの奥さんに連れられて道場に入ってきた。

 顔をしかめる垣崎さん。和音ちゃんの横にいる時子さんに気がついたのだ。


「いやぁね貴女、いったい誰!? ちょっと、和音ちゃんから離れなさい!?」

「やあ垣崎さん、初めまして。あたしは塩崎時子、あなたにお伝えしたいことがあって今日はここに来たんだ」


 時子さんが立ち上がり、和音ちゃんの頭から手をどける。

 垣崎さんの方を向くと、なにやら含みのある意地悪そうな笑顔を浮かべながら、歓迎するよと言わんばかりに両手を広げた。


「伝えたいことですって? なんなのよ!?」

「あなたの旦那さんがお持ちのリオル・ロボットホールディングスの株、急上昇しましたよ。おめでとさん」

「えっ!? あらあら、まあまあ!?」


 直前までの怒りの顔はどこへやら、ぱあぁぁぁっ! と明るい顔をした垣崎さんが、目の前の時子さんそっちのけでスマホを弄り出す。電話を掛けたのだろう、スマホを耳に当てて、


「あらあなた? いまね、リオル株の話を聞いて……ええ、ええ、なるほど、あらまあ、おほほ!」


 満面の笑みを浮かべた。

 興奮気味の笑顔は目がランランと見開かれていて、怖い。


 俺は困惑した。

 どうしたんだ時子さん、垣崎さんを喜ばせてどーするつもりなのか。


「ありがと貴女。教えてくださった礼を言えばいい? わざわざ私の為に、どうもね?」

「いや構わないさ、これで少しは補填できたわけでね」

「補填? 突然なに? 頭おかしい人?」


 垣崎さんは、頭のところで指をくるくる回す。

 それを見た時子さんが嬉しそうに破顔した。面白くて仕方ない、といった風情の顔を一瞬だけ俺の方にむけて、パンと手を叩く。


「いい! その反応いい! いやさぁ――」


 わざとらしく頭を掻き出す時子さん。


「あんたらの家と土地、抵当に入ってるだろ? だから売って貰ってもはした金しか戻ってこないと困ってたんだ。これで支払い可能な賠償金が増えた」

「ば、ばばば! 賠償!? 貴女、いったいなにを言って――」


 一瞬で目を吊り上げ、鬼の表情と化した垣崎さんが、ドモった。

 時子さんは小脇に抱えていた鞄から、クリップでまとめられた紙の束を出すと垣崎さんに手渡す。


「ほら見ろ。あんたらが高嶺夫妻の遺産を横領した証拠だよ。ついでに夫婦共々、色々調べてある。孤児の斡旋ビジネスもやってるねぇ、おっと、ここに書いてあるケースなんか詐欺なんじゃないか? 大丈夫かよおい!」

「なっ、なっ、なっ!」

「刑事事件は他にお任せするとして、あたしらは民事であんたら夫婦を訴えさせてもらうよ。なぁに、リオル株を売って、土地と家も手放してくれれば多少は賠償能力がつくというものさ。あーよかった、投資の成功おめでとう! あたしにも是非お祝いのひと言を述べさせてくれ」

「カッッッ! バッッッ! クキッッッ! キキキッ! クココッッッ!」

「前科のゲットチャンス、おめでとう!」


 時子さんが笑顔で拍手。垣崎さんは白目を剥いた。


「きぃえぇぇぇえーッッッ!」


 そして時子さんに飛び掛かっていく。時子さんは、半身を逸らしてそれを避けた。

 どさっ、とその場に倒れる垣崎さん。

 垣崎さんは動かなくなった。


 近づいて様子を見る武藤さん。


「こ、これは! いかん琴美さん、救急車を! 泡を吹いておる!」


 垣崎さんは、武藤さんの奥さんを同行者として病院へと運ばれていった。

 彼女のこれからの人生は、賠償をし続けるための人生となる。悪事を働いた報いだ。

 こうして慌ただしい出来事を終えた俺たちは、武藤家の客間でひと息をついたのだった。


「なんとまあ、こういう結末になるとはね」


 武藤さんがソファーに座りながら腕を組んだ。


「聞けばわーちゃんは、瑞希さんを大学に行かせたくてこの養子話に乗ったとか。金銭の問題も、これでどうにか解決のメドが立ったわけか……」

「そうですね、先生」

「私もな、途中から事情を多少察して、瑞希さんも一緒に面倒見ようと思っておったのだが……。わーちゃん、それでもキミは」


 瑞希さんの隣でソファーに座った和音ちゃんが立ち上がり、武藤さんにペコリと頭を下げる。


「ごめんなさいおじさん! わーちゃんは、お兄ちゃんともいっしょに居たいからです!」

「そうかい、そうなんだね」


 仕方ない、という感じの溜息をつく武藤さん。そして残念そうに笑った。


「私も、キミたち姉妹のなにか力になりたかったよ」

「そんな先生に朗報です!」


 時子さんがややわざとらしい声を上げた。

 垣崎さんが今回の件で二人の未成年後見人から外されるだろうから、変わって二人を法的に面倒みないか、と。朗報とは、こういうことだった。


「心配なら後見人として二人のマンションに、ちょいちょい様子を見にいけばいいし、なんなら隣に住むたわけた孫弟子に師匠権限で待ったを申し付けてもいいでしょう」

「ほう? ふむ? おお!?」


 武藤さんの目が輝く。


「ちょっ! 時子さん!」

「うるさい高校生。おまえにこの場の人権があると思うなよ?」


 そう言って時子さんは、楽しそうに意地悪な顔をする。

 もちろん俺もわかっているのだ。すべては子供である俺たちのことを考えてのことだって。だから俺も。


「ナイスアイデアだ、時子くん! ふはは、キミの好き放題にはさせないぞ和臣くん!」

「うわあぁぁあぁぁっ!」


 武藤さんに感謝しながら話を受け入れた。

 ちょっと言動に齟齬があるように見えるのは、俺の本音が漏れてるだけ。

 だってああ。甘々生活に憧れたって仕方ないだろう? 俺は男子高校生なんだから。


「瑞希さん、わーちゃん」


 と武藤さんが二人を見た。


「剣道の強いおじさんが、本当におじさんになるのは許してくれるかい?」


 二人はにっこりと顔を見合わせて。


「「もちろんです!」」


 俺たちの今後の生活基盤が、急速に整っていくのだった。


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