カセットテープ

因幡雄介

カセットテープ

 あっ、今日は新しい心理カウンセラーの方なんですね?

 えっ、刑事さんなんですか?

 失礼しました。

 おきれいな女性だったもので、つい……。


 初めまして。

 私が山を登ったときに体験した、奇妙なできごとをお聞きしたいんですね?


 おたがい初見ですもんね。

 いいですよ。

 お話しします。


 聞いていただけますか?


 *


 私が旅行のホームページを見ていたら、ロープウエーを使って、日帰りでハイキングができるとのことなので、北海道のとある山に行くことにした。

 往復五時間ほどでいけるようだった。

 危険な登山でもないと思ったので、届け出も出さなかったし、両親にも連絡しなかった。


 ハイキングに行こうと思ったのには理由がある。

 結婚間近の彼氏に、突然別れを告げられたのだ。

 びっくりして理由をしつこく聞いたら、新しく好きな女性ができたとのこと。

 あきれきってしまった私に、彼氏は「ごめん」と言って、電話を切った。


 まだ二十代前半だったのでダメージは少なく、会社の有休を取ってリフレッシュすることにした。

 彼に未練はあったけど、最近会ってくれなかったし、様子がおかしいのは知っていた。

 同棲も拒否していたので、まさかと思ったら、あんのじょうだ。


 ハイキングにはひとりで行くことにした。

 友達と一緒にわいわい行く気分じゃなかった。

 傷心旅行ってこういうのをいうんだなぁと、旅行のホームページをあさっていた。



 北海道に着き、朝、旅館を出ることにした。


「そんな軽装な格好で登山に行くの?」


 旅館を出る前に、おかみさんに呼び止められた。

 ハイキングに行くと言うと、「失礼しました。お気をつけて」と笑ってくれる。


 どうやら登山とハイキングの定義は違うらしい。


 登山は山頂まで登ることで、ハイキングは短時間の山歩きという意味になるようだ。


 私が登る山は夏でも気温が低いらしく、雪が降ることなんてしょっちゅうだった。

 風も相当強いらしい。

 事前に調査していた私は、そこまで登るつもりはなかったから、防寒着なんてリュックサックにつめていなかった。



 ロープウエーを降りて、有名な池にたどりついた。

 池には山が映っていて、空気がおいしく、都会のストレスが解消されるようだった。

 落ち込んだ気分も晴れ、そろそろ下山しようと、食べ終わったお弁当をリュックサックにつめた。


「あれ?」


 霧が池の周りに発生していた。

 こんな経験は初めてだった。

 見晴らしがよかったのに、遠くがまったく見えなくなった。

 まあ大丈夫だろうと思って、目印の岩を目指していた。


 視界が悪くなっていくなか、目印となる『岩』を見つけた。

 ここを左折すれば、ロープウエーの駅につく。

 私はとにかくまっすぐ進んでいった。



 このとき私は知らなかった。

 この山には『ニセ岩』と呼ばれるものがあって、これを目印にすると迷いやすくなる。

 霧が発生すると、遭難率が上がるらしかった。

 なぜなら、地元の人間じゃない素人では、『本物の岩』と『ニセ岩』の見分けがつかないからだ。


 私は『ニセ岩』の存在を知らなかった。

 とにかく目印となる岩を左折するとしかおぼえていなかった。

 霧で山頂すら見えず、私は完全に間違ったルートを進んでしまっていた。



 進んでいくと、沢に出た。

 沢とは小さな谷川のことだ。

 やぶも少なく歩きやすい。

 川なんだから、単純に海につながっていると思い込む。

 これを下っていけば、下山できる。



 ここで私は二度目の間違いをしていた。

 山に迷ったときは、『沢』を降りてはいけないのだ。


『生きる可能性』が低くなってしまう。

 沢を下ってしまうと、崖や滝が多くなっていき、専門の装具を使わなければ降りられない。

 滑落リスクが上がってしまうのだ。

 高い山が邪魔して、携帯の電波は入りにくく、捜索隊からも発見しづらくなる。

 上から見下ろせないので、自分の現在位置もわからない。


 山で遭難したらとにかく登れ。


 登山初心者だった私は、それを知らず、沢をどんどん降りていった。

 そのツケがきた。


「きゃあっ!」


 急な斜面を降りていると、足をすべらせてしまった。

 足をくじいてしまい、動けなくなってしまった。



 立ち上がろうとするが、足が痛くて動けない。

 はいずることしかできなくて、自分が遭難しているのだと認識するのは早かった。

 助けを呼ぶために大声を出したが、山に飲み込まれてしまう。

 スマートフォンを取り出したが、アンテナが全滅していた。

 日は傾き、夜になろうとしている。


 ――うそでしょ? こんな所で夜をすごすの?


 私は必死ではえずったが、日が暮れるのは早かった。

 しけった泥が邪魔して進みづらい。

 真っ暗で何も見えない。


 スマホの電池を節約するために、電源を切った。

 しかたがない。パニックになったら負けだ。


 あまりのつらさに泣いてしまうと、元彼が木のそばに立っていた。


 お前のせいでこうなったんだ!


 腹が立ったので、石を投げつけたが、元彼の体は透けてしまった。

 幻覚だとわかっても、怒りで彼氏に文句を言い続けた。


 さすがに疲れてあおむけに寝転がる。

 喉も痛いし、嫌になる。


 意外にも状況に慣れてきて、いつの間にか寝てしまった。


「うん?」


 木の枝がやたらと騒がしい。

 猿が木の枝を渡っているのか。

 どうでもよくなり、また目を閉じると、今度は変な声が聞こえてきた。


「イフリート・イブリース・バエル・アスモデウス・アモン・ベルフェゴール・サルガタナス・ウァラク・ダンタリオン……」


 なんだかよくわからない、カタカナ文字が聞こえてくる。外国語みたいだ。


 だめだ。幻聴まで聞こえてきた。いよいよだ。


 私の魂が抜けていく感覚がした。



 朝になって目がさめた。

 カタカナ文字の連続に意識を失ったようだ。

 痛かった足が治っている。


「よかった……折れてなかったんだ……」


 私はすぐに立ち上がって、夜に聞こえた、呪文みたいな声の元に向かってみた。


 動物の死骸があった。

 イノシシ、タヌキ、鳥、鹿……。

 森の中で死んでいる。

 死んで間もないのか、まだ肉は腐っていなかった。


 まさか火山ガスがたまってたりして……。


 テレビで見たが、沢には火山ガスがたまりやすいらしい。

 でも、硫化水素の腐った卵みたいな臭いはしない。

 深い緑の匂いだ。


「何?」


 草が動いた。

 遠くで角みたいなものが見えた。

 それは角を引っ込めると、音がしなくなった。


 ――鹿?


 私は立ち尽くしていたが、唾を飲み込んで進むことにした。

 念のため落ちていた大きな石を拾う。

 鹿は動物園で見学するのには楽しいが、実際近寄ってこられたら怖い。


 飛び回るハエに顔をたたかれながら、私は先に進んでみる。

 滝があった。

 すごいいきおいで滝が流れていて、滝つぼは深そうだった。

 そばに木がなく、平地みたいに開けていた。


 その滝の崖のそばに、木の枝で何かが作られている。

 丸い円の中に、三角が作られていた。

 空から見下げると、けっこう大きな円だ。



 三角の中心に、カセットプレーヤーが置いてあった。



 カセットプレーヤーなんてめずらしかった。


 なんでこんな所に?


 持っていた石を置いて、カセットプレーヤーを手に取ってみる。

 古い。もう売れないレベルで傷ついている。

 だけどずっとここに置いていたわけじゃないのか、水にぬれてもいないし、汚れていない。

 まだ新しい。


 中のカセットテープを見てみると、壊れている様子はない。

 タイトルに『ぼくのエンジェル⑨』と油性ペンで書かれている。


 9巻目なのかな?


 カセットプレーヤーなんて今時使わないけど、使い方を知っていたので、再生ボタンを押してみた。


 カセットテープがキュルキュルと回り出す。


『あー、テステステステス。本日は晴天なり。本日は晴天なり。うん。やっぱカセットテープ最強。シンプルに録音できるんだよなぁ』


 男性で若い声だ。


 私と同じ年齢かな?


『北海道の○○山にやってきました。初めてのハイキングですが、彼女と一緒なら大丈夫でしょう。旅館を出るときに、おかみさんに、ハイキングと登山の違いを教えられました。その定義の違いに、「へー」といった顔です。軽装で山を登るのは危険とのことですが、日帰りだと思うので大丈夫でしょう』


 ここでテープの音声が切れた。

 無言。

 録音をやめたのだろう。


 男性の話を聞いて、ちょっと違和感がした。

 おかみさんとは、あの旅館のおかみさんのことか。

 心配で、登山に行く人誰にでも聞いてるんだなぁと思った。


『ロープウエーを使って、有名な池までやってきました。彼女とお弁当を食べのんびりしています。池から去るときに、彼女はちゃんと食べ終わったお弁当をリュックサックに入れていました。すばらしい彼女です。悪魔から解放してあげて、ぼくの彼女になりましたが、すばらしい彼女だと思います』


 テープの音声が切れる。

 無言。

 録音が終わる。


 私は首をかしげる。

 この男性と『彼女』との関係が変だし、『悪魔』ってどういう意味だろう?


 なんだか次の話を聞くのが怖くなったが、私はテープを停止しなかった。


『どうやら霧が出てきたみたいです。まあ、彼女と一緒だから大丈夫です。おやおや? 彼女はどこに行くのでしょう? その岩を曲がると、ロープウエーにたどりつけないと思うのですが? 霧で見間違えたのでしょうか? おや? 沢に向かってますねぇ? 山で沢に下るのは危険だと思うのですが……』


 テープの音声が切れる。

 無言……。


 私の全身が震えた。



 この男。私のあとを、ついてきているんじゃ?



 そうとしか思えない。

 この男が言う『彼女』は、『私』と同じ行動をしている。

 つまり私の後ろをついてきていたのだ。


『……はあ、はあ! くそっ! 滑落して足の骨を折った! 彼女も霧で見失った! 携帯電話も使えねぇ! 俺を置いていくなんて! 悪魔と別れさせてやった恩を忘れやがって! 別れさせ屋の女に、いくらお金を払ったと思ってるんだ!』


 紳士的だった男の声が、獣のように乱暴になっている。

『悪魔』とは私の彼氏のことか? 別れさせ屋の女って……。



『うえええええええええええええんんんんんっ! ぼくのえんじぇる、ぼくのえんじぇる! 助けてよ! ぼくのえんじぇる!』



 子供のような泣き声で、男がさわいでいる。

 怖くて指が震え、停止ボタンを押せない。

 滝の音以上に、気持ちの悪い男の泣き声がカセットテープから響く。


『俺が何したっていうんだ! ぜんぶ彼女のせいだ! 俺の好意を無視するからだ! 自転車盗んで魔法をかけたのに、ぜんぜんこっちの好意に気づきやがらない! 話が違うぞババア! どういうことなんだよババア! 生きて帰ったら年会費返してもらうぞババア! 黒魔術の効果がねぇじゃねぇか!』


 もう男の言っていることがわからないが、『自転車』という単語にピンときた。


 私のママチャリ盗んだの、こいつだ!


 自転車置き場からなくなってたから、会社に遅刻したけど、こいつが盗んでたんだ!


『そうだ! ババアから教えてもらった魔法を使うんだ! 悪魔を呼び出して助けてもらおう!』


 ここでテープが切れて無言。


 悪魔を呼び出す? そういえば黒魔術って……。


 じゃあ、この円みたいなもの、魔法陣か何かなの?


『サタン・ベリアル・ベルゼブブ……イフリート・イブリース……エル・アスモデウス……ン・ベルフェゴール・サルガタナス……ァラク・ダンタリオン』


 カセットテープから呪文みたいなものが聞こえる。

 カタカナ文字の羅列。


 最初の『サタン』でピンときた。

 オカルトにくわしくない私でも知っている『悪魔の王』だ。


 黒魔術の呪文って……悪魔の名前?


 男の声が震えてて、途切れ途切れだったけど、はっきりと唱えている。

 真剣に、なんの迷いもなく唱えている男の知能の低さに驚愕する。


 それが繰り返し続いた。

 そしてカセットテープが切れて無言。


 昨日の夜聞こえてきた変な声……。


 この呪文だ。


『やったぞ! いろんなものが出てきた! これで助かる! ん? なんか木に飛び上がっていったな……まあいい。もっと呼び出せば助かる! サタン・ベリアル……』


 カセットテープの呪文は、もう私の耳に入っていなかった。


 夜、木の枝が揺れる音を聞いた。


 石を投げつけた、透明に透けた彼氏……あれ本当に彼氏だったっけ? 幻だよね?


 カセットプレーヤーを見る。

 透明なプラスチックの向こう側で、カセットテープはキュルキュル回っている。テープが切れてる。


 でも、呪文は続いている。


 獣の気配。

 臭い吐息。


 私のすぐ後ろにいる。


「うわああああっ!」


 私は悲鳴を上げて、後ろに向かって石を投げつけ、カセットプレーヤーを蹴って、その場から逃げ出した。

 鈍い音がした。


 最後に後ろを振り向いて見たのは、あの鹿の角だった……。


 *


 そのあと、川まで釣りをしにきた地元の人に助けられました。

 パニックになってて、救急車で運ばれたけど、何日かたって落ち着くことができました。


 あれからもう数年たちましたね。なつかしいです。


 えっ? あの山のニュースですか?

 もちろん知ってます。


 テレビで見たんですけど、あの山で遭難者が出たらしいですね?


 救助ヘリが、変なマークの木の枝を見つけて、そこに降りてみたら、遭難者がいたっていう。

 救助隊の人が聞いたみたいですね、遭難者に、こんな目立つマークよく描いたねって。おかげで見つけやすかったよって。



 でも遭難者の人は、こんなマーク知らないって言ったみたいですね。



 それでほかに遭難者がいるかもしれないって、救助隊の人たちが捜索していたら、白骨死体が見つかったんですよ。


 その白骨死体のそばには、カセットプレーヤーがあったみたいです。

 カセットプレーヤーはもう壊れてて使えなかったみたいですね。


 さまざまな臆測が飛びかって、ある有名な都市伝説が浮上しているみたいですね。



『大雪山SOS遭難事件』。



 状況がそれにそっくりで、カセットテープには『若い男』の声が録音されていたらしいじゃないですか。



 刑事さん。



 私が殺したのは『悪魔』ですよ。人間じゃありません。

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