Scene4

 「フフフ」

 「どうしましたか、片山さん。何かいいことでもありましたか?」

 「いいえ?あずさちゃん、なんだか嬉しそうに見えてね」

 「あまりそう言った冗談は好きではないのですが・・・」

 代歩人、という職業がある。見えはしないが目の前にいる小柄の少女は『継承制度』で高校生にして代歩人になった優秀な子だ。

 「さて、そろそろやってくれる?」

 はい、と言って彼女は私の額に自分の額を押し当てる。多摩川駅からさくら坂、そして兄に似た背中に担がれたまま駆け上がるさくら坂。その全てが私の記憶となって、まるで昨日のことかのように思い出すことが出来る。

 「ああ、綺麗ね・・・本当に綺麗ね・・・ありがとう、あずさちゃん」

 「いえ、仕事ですので」

 そう言ってハンカチで私の涙を拭ってくれる。あまり感情を表に出してくれないけれどこの子の優しさだけはよく分かる。

 代歩人は記憶の補完者。行ったことややったことのない記憶をまるで本当の記憶のように創り上げてくれる。けれど補完するという行為は一度補完するその人と同期するという事。下手をすれば自我を失う危険な行為。故にその数は少なく、今では片手で数えるほどしかいないと言う。

 「それで報酬の支払いなんですが、本当に構わないですか?」

 「ええ、彼に渡して頂戴」

 「・・・分かりました」

 夕暮れの校門と食堂で見せてもらったあの子は本当に兄と瓜二つだった。兄は私を育てるために身を粉にして働いて、最後は過労で亡くなってしまった。だからあずさちゃんが彼の写真を額を通して見せてくれた時に思わず見えない目を疑った。

 本当は私が学校に行けなかったから、あずさちゃんに頼んで学校に行ってもらうだけだった。多分あずさちゃんはいつもベットの隣に置いていた兄の遺影を見ていたから兄の顔を知っていたのだ。けどまさか似た子を見つけられるとは思わなかった。

 「それと一つ聞きたいのだけれど」

 「はい、何でしょう」

 「ほんの好奇心なんだけれど・・・彼の名前って分かる?」

 あずさちゃんは彼の名前を一文字たりとも教えてくれなかった。見せてくれた記憶でもほとんどが兄の名前に変えられていて、何度も聞いても、個人情報ですから、と誤魔化された。でも、今日はあずさちゃんとお別れの日、だったら・・・。

 「残念ですが、個人情報ですので」

 「そう・・・」

 「こればかりは本人からの許可をもらわないといけないことなので・・・」

 そこであずさちゃんは声を震わせていた。何故かは分からないけれど、とても辛い気持ちなのは分かった。

 「それでは片山さん、改めましてご挨拶いたします。ご依頼ありがとうございました」

 「うん、ありがとう。また次回・・・はないんだもんね」

 代歩人に出来る依頼は一人につき一回。これは依頼をする時に言われている注意事項で、これを守らないとあずさちゃんは職を失ってしまう。この事項を破ってたくさんの代歩人が姿を消したらしい。

 「では、良き明日を」

 「さようなら、あずさちゃん」

 そう言って扉を開けて彼女は出て行った。




 「・・・・・・」

 あと数か月と言われてもあの兄との仮初の思い出があればまだ生きていける。

 「はぁ・・・・・・」

 何年ぶりだろうか。もう一度、もう一度だけ、兄に似たあの子に会いたい。でももう叶わないのがもどかしい。いや、すっかり諦めている自分がいる。

 「・・・・・ん?」

 どこかからオルゴールの音が聞こえてきた。曲はさくらさくら、お琴の名曲。年老いた今でも聞き間違えることは無い。廊下から誰かの大きくむせび泣く声が聞こえてきて、そして通り過ぎて行った。来た方向はそう、集中治療室がある方向だ。

 「失敗しちゃったのかしらね・・・可哀そうに」

 何度もそう言った声を聞いたから分かる。あの声以上に辛い声をここに来てから聞いたことは無い。もう自分には泣いてくれる家族はいないけれども、あの声だけは本当に悲しくなる。

 「あれ・・・」

 ツーと目から涙が流れた。悲しいと思いはしたけれど涙を流すまでには至らなかった。ふと。昼間に来たあずさちゃんのことが脳裏に浮かんだけれど、彼女が何かしたとは思えなかった。

 「そういえばあずさちゃん、最後になんて言ったのかしら」

 ボケつつある頭をゆっくりと回して、思い出した。

 「良き明日を、ね。フフフ」

 なんだか心の中の寂しさを見透かされたみたいで可笑しくなって笑った。分かっているからこその言葉だと思うと、やっぱりあずさちゃんはいい子だなと再確認した。

 「ありがとう、あずさちゃん」

 そう言って私は眠りにつく。今日は兄と夢の中で会えそうな気がした。

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代歩人 那降李相 @gasin2800

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