秘密のパスワード
大隅 スミヲ
パスワードがわからない
死因は、心筋梗塞だった。
突然死だったため、遺書などは残されてはいなかった。
享年、42歳。
若すぎる彼の死を誰もが悲しんだ。
彼は社内の重要な仕事をしていた。
社運を賭けた一大プロジェクト。彼がいたからこそプロジェクトチームはまとまっていた。
しかし、もう彼はこの世にはいない。
「どうなっているんだね、
会議室で叱責の声が飛ぶ。
やり玉に挙げられているのは、先日急死した彼の上司であった瀬崎部長だった。
瀬崎はプロジェクトの責任者だったが、部下である彼にプロジェクトの仕事を全委任しており、進捗報告などを受けているだけで、内容に関してはノータッチであった。
いままでは彼から受けた報告をまとめて、幹部社員たちに報告するだけで済んでいた。
しかし、彼が亡くなったいま、瀬崎はプロジェクト内の仕事もする必要があった。
彼が会社で使用していたパソコンの中に、プロジェクトに関する資料は何も残されてはいなかった。社内クラウドにあがっているファイルに関しては、すべてにパスワードが掛けられており、彼以外の人間は誰もファイルを開くことが出来ないという状態だった。
たしかに、このプロジェクトは絶対に社外へ情報が洩れてはならないものだから、セキュリティだけはしっかりとしておくようにと口を酸っぱく言ってきた。
それがこんな形で裏目に出るとは、思いも寄らぬことだった。
「誰かパスワード解読できない?」
会議室でこってりと絞られてきた瀬崎は自分の部署に戻ってくると、部下たちに声を掛けた。
部下たちは皆、彼の下でプロジェクトに関わってきた人間たちである。
しかし、パスワードのついたファイルに関しては彼が管理しており、誰も知らないという状態だった。
困り果てた瀬崎は、彼が使っていたパソコンの画面を見つめていた。
画面には『パスワードを入力してください』と表示されている。
彼の生年月日、社員番号、電話番号など、思い当たるものはすべて入力してみた。
しかし、どれもハズレだったのだ。
「あのう、部長……」
瀬崎が頭を抱えていると、部下である
「どうした、柳下」
「これ先輩の作っていたプログラムなんですけれど」
柳下はそう言って、自分のノートPCの画面を見せてくる。
そこにはエディターソフトが立ち上がっており、英数字のプログラム言語の羅列が書かれていた。
「すまん、おれはプログラムは全然わからない」
仕事は全部、彼に任せていた。だから、プログラムの読み書きもすることはできなかった。
考えてみれば、仕事は全部彼がやってきたようなものだった。自分がやっているのは、彼からの報告を上層部に伝えるだけ。本当に会社に必要な人材は彼であり、自分は何もしていなかったのだ。
ある日、彼宛てに荷物が届けられた。
会社に届いたので、瀬崎が代わりに受け取って中身を開けてみた。
それはアニメのDVDだった。
なんで、あいつはこんなものを会社に届くようにしていたんだ。
そんな疑問を感じながらも、そのDVDを見てみることにした。
映像が再生され、ピンク色の髪の毛の少女と水色の髪の毛の少女が悪と戦う物語がはじまった。
なんでこんなものをおれは見ているのだろうか。
そう瀬崎は思ったが、なぜか見るのをやめることは出来なかった。
少女たちはふたりで力を合わせて、悪の怪人に立ち向かっていく。
傷ついたふたりは、ボロボロになりながらも、最後の力を振り絞って必殺技を繰り出す。
「合言葉はラッキートレイン」
ふたりの声が合わさり、ピンク色と水色の光がクロスしながら悪の怪人に向かって放たれる。
「ぎゃー」
悪の怪人は断末魔をあげながら、大爆発をしてしまう。
ふたりの少女は手を取り合って勝利を喜んでいる。
映像が終わった後も、瀬崎はパソコンの画面を見つめていた。
すでに部下たちは帰宅しており、部署の部屋にいるのは瀬崎だけである。
おれ、何やってんだろうな。
そう呟いて、机の引き出しから一枚の封筒を取り出す。
封筒には『辞表』の文字が書かれていた。
「合言葉はラッキートレインか……」
そう呟きながら辞表を背広の内ポケットに忍ばせると、まだ残っているであろう幹部社員のいる部屋へと足をむけようとした。
その時、ふと彼のパソコンが目に入った。
電源は上がったままとなっており、相変わらず「パスワードを入力してください」という文字が表示されている。
何の気なしに瀬崎は「lucky train」と文字を打ち込んでエンターキーを押した。
※ ※ ※ ※
「今回の功労賞は、プロジェクトを成功に導いたリーダーである瀬崎君に送りたいと思います」
年に一度行われる社内表彰式で、瀬崎は社長から名前を呼ばれて壇上へとあがった。
すべては彼のおかげだった。
パスワードのヒントも、きっと彼の仕掛けた最後のプレゼントだったのだろう。
※ ※ ※ ※
「合言葉はラッキートレインだな」
瀬崎は笑いながらそう言うと、彼の墓に手を合わせた。
秘密のパスワード 大隅 スミヲ @smee
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます