Track-11.part B ラブレター

「すぅ〜、はぁ〜」

私はキーボードの前に立ち、呼吸を整える。


その横にはベースを持った片桐さんが立ち、私のピアノが産声を上げるのを待つ。


そして千佳さんを含め、数人の男女が私達の演奏を今か今かと待ち侘びているのが分かる。


それはそうだ。片桐さんが現れる前から待ってくれている人もいる。それなのに彼らは私達が何を歌うかを決める間も待ってくれたのだ。


そんな人達に下手な演奏は聞かせられない。

だから、いつも以上に集中する。


「す〜、はぁ〜」

再度、私は深呼吸をすると、キーボードに手を置き、いつものように音を奏でる。


そして、気持ちを昂らせると、私は彼を見る。その視線に、彼も応えるかのようにうなづく。


ジャーン。

今から歌う歌のイントロの部分の鍵盤を叩き、私は楽譜に沿うように指を走らせる。


最初はピアノのソロ……。

しばらく一人で音を奏でていく。


ここまではいつもといっしょだ。


だけどイントロの途中から、今までは聴く事のない音が混じってくる。


片桐さんのベースの音だ。


慣れないデュオに私は最初戸惑うが、彼の奏でる音をよく聞き、テンポを確かめる。


アップテンポな歌なので、どちらかが狂ってしまうと、全てが狂ってしまう。そんな事になればきっと聞いてくれている人達をがっかりさせてしまう。


それだけは避けなければならない。

ぶっつけ本番なんて無謀にも程がある。


だからこそ、彼の音と私の音を調和させるべく、神経を研ぎ澄ます。


彼に……恥はかかせられない。


そんな事を考えている間にも歌のパートが始まる。出だしが肝心なのだ……、全神経を集中させる。


〜〜♪

イントロが終わり、歌が始まると、私は力を抜いて思い切り声を上げる。


一寸のブレも遅れもない完璧な出だしに、私は安堵する。だが、集中は途切れるさせる事はできない。


この歌はリズムが早いのだ。

油断すると、すぐに狂ってしまう。


そうならないように私は手と口を滑らせ、彼はリズムを作っていく。だが、出だしがうまく行った事で余裕ができたのか、私は歌いながらベースを弾く彼の姿を横目で見る。


初めて私と合わせているにも関わらず、なんの狂いもなく演奏を続ける彼に私は感心してしまう。


『……才能がないって言われたんだ』

その姿を見ていると、彼の部屋での会話を思い出す。


……どこが才能がないんだろう。

いくら私の癖を知っているからとは言え、ここまで合わせられるのだ。プロのベーシストになってもおかしくない。


だけど、彼はその道を選ばなかった。


なぜだろう?

言われた言葉に心が折れたからなのか、バンド内でのいざこざが原因なのかは知る由もない。


……だけど。

気づかないうちに手に力が入る。


とある感情が、私のアドレナリンを増幅させる。


……私が彼を引き立ててみせる。

その思いが強くなり、徐々にピアノのリズムが早くなる。


だけど、それに私は気が付かない。

一人で弾いている時のように、感情のまま音を鳴らす。


今のところ、聞いている人達には気づかれていないようだけど、唯一、それに気づいた彼が私の音に寄り添うようにピッチを上げる。


その事に気がついたのは、曲が終わりかけた時だった。いつものように声が出なかったのだ。


ジャーン。

初めての共演が終わり、私が手を止めると、聞いてくれてていた人達が拍手をしてくれる。


だがその拍手の裏で、私はショックを受けていた。


せっかく彼がやる気になったのに、私が先走ったせいで上手くいかなかったのだ。満足いくものではない。


そんな私を見て、片桐さんが寄ってくる。


「……水鏡」

心配そうに声をかけてくれた片桐さんに、私は「すいません」と、謝る。


まだ何も言われていないのに、叱られると思ったからだ。


だけど、彼は気にする事なく、「何が?」と尋ねてくる。


「……私が走り過ぎたせいで」


「…………」

私が失敗した点を告げると、彼は無表情にこちらを見る。


失望させてしまったのか?

無言の彼に私は急に不安になる。


だが、そんな事を彼は気にしていなかった。


不意に柔和な笑顔を見せると、口を開く。


「それに気づいたなら大したもんだ。人と演奏するの、初めてだろ?」


「はい……」


「初めてにしてはちゃんと音も聞けてたし、リズムも合ってた。ほら、聞いてくれた人を見てみ?」

と言って、彼は顔を上げる。


その言葉を受け、私も顔を上げる。

そこには千佳さんを含めた私の歌を聞いてくれる人達が、次の曲はまだか?と言うような視線で私を見ている。


それも、歌う前から人数が増えているのだ。


「別に下手こいた訳じゃない。ちょっとピッチが上がっただけだ。気にするな」


「……でも」


「リズムは俺の音をよく聞いとけ。ベースは音を支えるのが仕事だ。それだけを注意して、水鏡は自分の音だけ出せばいい」

責めることなく、咎める事のない、彼の言葉が胸に刺さる。


彼を引き立てようとして、自分が先走ったにも関わらず。


だけど、本来は音が乱れないようにするのがベースなのだ。その事を失念していた自分を恥じる。


「それより、次は何歌う?」


「え?えっと……」

彼が思考を切り替えるかのように、私に次に歌う曲を問う。


その問いに、私は少し悩む。

千佳さんにオリジナルの曲を弾いてほしいと言われていたのだ。


だが、その歌にはベースの音はない。

だから、彼と合わせる事は不可能なのだ。


「千佳さんにあの曲を頼まれてたんですけど、ベースは想定してなくて……」

私がそう言うと、彼は黙り込む。


せっかくベースを準備したのに、それを活かせない曲を言われたのだ。黙って聴くしかないだろう。


だけど彼は、「分かった」と言う。

残念だけど、準備不足だ。


私がしょんぼりしていると、彼はにこやかな表情で、「やろう!!」と続ける。


その言葉に私は戸惑ってしまう。


だが、そんな私を梅雨知らず、彼は自分の立っていた場所に戻る。そして、何か紙を持って再びこちらに近づく。


「これがベースの楽譜だ。君は自分の書いた通りに音を鳴らせば良い。あとは俺の音をよくきいて……な」


「い、いつの間に?」


「君がその歌を書き上げた時に、俺も書いてみたんだ。合うかどうか分かんないけど、一緒に弾いてみたくなってな」

そう笑いながら言う彼の表情を見て、私は彼がくるまでに抱えていた不安が晴れる。


一人じゃない事がこんなに心強いなんて知らなかった。


「あのー、音愛さん。オリジナルの歌をやるんなら、録音していいですか?」

不意に千佳さんが私と片桐さんの間に割り込んでくる。


「えっ?あ、はい……」

不意に尋ねられた事で、私は戸惑ってしまい、許可してしまう。


それを聞いた千賀さんは、「やった!!」と喜び、スマホを私が映らないような位置に置き、元いた場所に戻っていく。


それを私達は苦笑しながら眺める。


「……じゃあ、やるか!!」


「はい!!」

彼の発するその言葉に、私は元気よく返事を返す。


今までに見た事のない片桐さんの生き生きした姿に、私は本来の彼の姿を知る。


これが、本来の片桐奏人なのだ。


自分だけが知る、その姿に私は誰にも気づかれない笑みを漏らす。


彼が、自分の立ち位置に戻ると、先ほどと同様 にアイコンタクトをする。そして、私は普段しないMCのような事をする。


「えっと……。初めて自分で作った曲です。聞いてください。小さな世界……」

そう言うと、私はピアノに手を置く。そして、演奏をはじめた。


静かなピアノの響きから始まるこの歌に、彼がどう合わせてくるのか……。パッと楽譜を見て頭では理解した。が、本当に任せていいのだろうか?


過ぎる不安に、私は彼の言葉を信じるしかない。楽譜の通りに私の世界を世に響かせながら、チラッと彼を見る。


イントロが終わる……そんな時に、彼が弦を弾き始める。


決して目立つこはないが、決して私の音に埋もれる訳でもない。まるで雑踏の中で『私がいるよ!!』ともがいていた私の様な音。


その音に私は耳を澄ませ、彼の音と私の音を調和させる。そして彼も、私の音を支えるかの様に強く、そして優しくベースを鳴らす。


その音は、あの雨の日を境に、ずっと私を見守り続けてくれた事を想起させる。私が思い描いたものと解釈が一致する。


彼もまた、私を見続けてきたからこそ、何の打ち合わせもなく、この音を出せるのだ。


そう思うと、心強さを覚えると同時にイントロが終わり、私は声を発する。


儚く、静かな声を意識して始まった歌に、私の歌を聞きにきてくれた人達の声や、車の音が一瞬静かになる。


もちろん、何も聞こえない訳じゃない。

ただ、私の耳にはもう彼のベース音と、私のキーボードの音と歌声しか聞こえないのだ。


所謂、『小さな世界』だ。

だが、この歌は自己満足の為に歌う歌ではない。


今、この場にいる、歌を聞いてくれる人達に届ける為に歌っているのだ。


サビに入り、私は今までの儚さを意識した声を一変させる。先ほどとはうって変わって、力強く声を上げる。


その声に呼応するかの様に、ベースの音も激しさを増す。それは私が揺らぐ心を奮い立たせ、夢へと宣戦布告するかの様な強い音(意思)だ。


その声に、その音に、オーディエンス達の息を呑む様が一瞬、目に入ってくる。


だが、それだけでは終わらない。


一番が終わり、2番に入るとリズムを上げ、音を転調させる。

同じコード、同じリズムを刻むだけでは、揺れ動く、私の心を表せないのだ。


不安や焦り、希望を今の水鏡音愛という存在を音で示しているのだ。


だから同じ曲調にしなかった。

それに彼のベースが付いてくる事により、ピアノだけでは表せなかった、リズム感と音の深さが増す。


それはまるで、ピースがハマった彼の歌であるかの様な錯覚に陥るのだ。


そしてサビに入ると、それまでの転調が嘘かの様に、音を単純化させる。


ここは人や音楽との出会いによって支えられてきた事を感謝する事を意図したのだ。


だから、しっかりとはっきりと声を出せるように単純化させる。その音に合わせるかの様に、彼のベースの音が一瞬音をなくす。


その一瞬の間が、この歌の一番盛り上がる所だ。それを意識して、高く透き通った声を出す。


今までに頭の中に止まっていたもの全てを吐き出すように。




その声は、今までに出たこともないくらいの声量で一瞬、時が止まる。


無機質なビルの間にこだました声が、雑踏の中響き渡り、皆唖然とした表情をしている。が、まだ歌は終わらない。


彼がその空気を壊すかの様に強く、太い音を解き放ち、そして早いテンポでベースを弾く。


その音に合わせて、私もキーボードと声を出す。

大きく声を発した事と、彼のテンポの良い響きに、私もテンションが上がり、音に乗る。


その音に、場にいた全員が徐々に身体を動かし、その音に各々、身を委ねる。


まるでここがライブ会場かの様な状況。

だが、ここはライブ会場ではない。


ただの歩道だ……。


それなのに、私の歌が、私の声が、私の音が、彼らに届いたのだ。


その事に感動を覚えながら、私は歌詞を歌いきり、最後の音を鳴らす。


そこにはもう、彼の音はない。


私は最後の一音を弾き終えると同時に空を見上げる。


自分の歌を歌い切ったことと、悲願だった憧れの人との共演に感極まり、泣きそうなのだ。


それ以上に、聴いてくれていた人達の反応が私の涙腺を刺激する。


私がピアノを弾き終えると共に、聞こえてくる街の雑踏と、シンと静まり返ったオーディエンス達が今の演奏がまるで夢であったかの様に、現実へと引き戻す。


今、顔をつねれば夢からさめるのではないか?


そんな事が頭を過った刹那、一人、二人と次第に拍手が大きくなる。


その音に包まれた私は、ほっぺたをつねる。


痛い。

夢ではないらしい。


その事を把握するまでに、しばし思考が停止する。


ぽたり。

瞳から、水滴が落ちる。

雨ではない。


私は泣いていた。

私のことを知る由のない人達の喝采に、私は感極まり、泣いていた。


この事が後日、運命を変える事になるのを知らない私は、人々に求められるがままアンコールに応える。


最後の曲はやっぱりあの歌だ。

隣にいる彼、片桐奏人の作ったあの歌。


「聴いてください。瘡蓋……」


そう言うと、私は彼を見る。

今日は作曲者のベースとボーカル付きなのだ。


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雨音カルテット(四重想)・ソロ〜君と奏でる恋と決意(わかれ)の歌 黒瀬 カナン(旧黒瀬 元幸 改名) @320shiguma

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