Track-11.part A ラブレター

その日以来、私達の関係は変わった。


二人が付き合い始めた訳じゃ無い。もちろん、彼の話や弱さ……。何より私の好きな歌を作ってくれた人だ。好きにならない訳がない。


だけど関係は今まで通り、上司と部下のまま、一緒に過ごす事時間だけが増える様になった。


私が彼にとある事をお願いしたからだ。


作曲の方法を教えてほしい……と。


私のために歌を作って欲しい。願わくば一緒に夢を追って欲しいという思いもある。だけど、今の彼にそれを求める気はない。


既に彼はその道を諦めたのだ。

再び夢を見る気はないと、彼が泣いたあの夜に言い切ったのだから、それを求めるのは我が儘だ。


それに、舞さんが言った言葉の影響もある。

誰かに借りた音ではなく、自分の歌を作り上げたいと言う欲もあった。


だから、私の歌(せかい)が構築できる様、彼に指導をお願いしたのだ。願わくば、彼が私と同じ道を歩んでくれる事を願いながら。


私の頼みを承諾してくれた彼に、今まで点在していた私の頭の滓を見せて、それを私の音で繋げていく。


一人では出来なかったものが次々と音になり、歌になって行く様に、感動を覚える。


それはあの夜に見た、彼の音(世界)が影響しているからだ。無数の音が、無数の文字が、私の中で昇華され、小さな世界になる。


それは彼の培った経験と私が感じた残り滓だ。

だが、宇宙も最初は塵から始まったという。


だから、私もこうして頭の滓を集めて小さな世界を作る事ができるようになった。それを自分の音として書き、歌になる。それが出来た喜びが音を生み、次の歌にする。


それらを片桐さんに見せ、評価や議論を交わす事で完成度を高めていく。そうする事で作曲がますます楽しくなった。


彼と二人で作り上げる小さな世界……。

そんな充実した日々が続く。


だけど、心の片隅に罪悪感もあった。


職場では普段のように先輩、後輩の関係だ。

だが秘密裏に密会を重ねる事に、お姉ちゃんへの反目があるように感じてしまう。


だけど、それでも今は彼を独占したいと言う気持ちが強い。自分の気持ちをはっきりとしないお姉ちゃんも悪いのだ。


そう言い訳をする自分も彼を独占できる立場ではないのにも関わらず、彼を渡すまいとする自分がずるい女になった感覚すらある。


だけど彼はお姉ちゃんと違って、片桐さんのテリトリーに入る事は出来た。


実家を知っているにも関わらず、眠ってしまった私を彼は実家に連れて行かなかった。

その事実は優越感にもなった。


そして何より、彼は私に手を出して来なかった。私に魅力がなかったと言われればそれまでだけど、大切にされていると言う実感がある。


もしかしたら、もしかして……。と言う、期待もあるのだ。それを考えると、今が幸せでたまらない。


そんな日が1ヶ月続いたある日、私は一曲のオリジナルソングを完成させ、いつもの歩道橋に向かった。


今日は片桐さんも来てくれるのだ。

嬉しくて、早く歌を披露したかった。


念の為に千佳さんに、路上ライブをする旨を伝える。せっかく新曲を披露するのだ。オーディエンスが一人もいないのは寂しいと言う思いもあるのだ。


先に歩道橋の下についた私が、キーボードの設置を行なっていると、「やっほー、来たよ」という声がする。


千佳さんだった。


「どう?歌、出来た?」

舞さんとのやりとりを知っている彼女が、歌の進捗を聞いてくる。その言葉に、私は自信満々と言う態度で笑みを浮かべる。


「ふっふっふー!!もちろん!!」


「えっ?マジ?出来たの?今日、歌ったりするの?」

私の言葉に千佳さんは目を輝かせ、私はコクリとうなづく。すると、千佳さんは「マジ?やば!!録音していい?」と尋ねてくる。


そこまで期待されるといくら片桐さん監修の元書いた曲とはいえ、プレッシャーになってくる。


「そ、それは恥ずかしいかな……」


「えーっ、オリジナルなんでしょ?処女作なんでしょ?ファンとしては音愛さんの初めては貰っておかないと!!」

千佳さんのらんらんに輝かせた瞳が、じっと私を見つめる。


女の子に見つめられても、どこか複雑な気持ちになる。文字通り、初めてを捧げるならば千佳さんじゃなくて、あの人がいい……。


そんな事を考えていると、急に顔が上気する。

それを見た彼女はニヤニヤとした顔に変わる。


「うわぁ〜、音愛さん、やらしい事考えてたでしょう!!バージンじゃあるまいしぃ〜」


「う、うるさい!!それより、私の歌はちょっと待ってもらっていい?」


「…………?いいですけど、どうしたんですか?」


「ちょっとね……。聞いて欲しい人がいるから」


「舞さんですか?」

千佳さんが羽旗さんの名前を出す。それに対して、私は首を振る。


舞さんに聞いてほしくない訳じゃない。

それよりもやはり片桐さんに最初に聞いて欲しい。


そんな事を考えていると、千佳さんが先程以上にニヤニヤ……、いや、それを通り越してにへらっと表情を崩す。


「な、何?」


「ううん、なんでも〜」


「何よ、もう……」

千佳さんの意味深な表情に訝しみながら、私がキーボードの前に立つと、彼女はふぅ……と嘆息する。そして小声で、「分かりやすいんだから……」と呟く。それに気づかないまま、私はいつものようにキーボードの鍵盤を叩く。


既に歌う気満々な私は発声をする事なく、スイッチが入り、準備万端。


あとは……。


「すまん、遅くなった!!」

私が考えるまもなく、片桐さんが私を見つける。


「もう、遅いですよー。もう待ちくたびれちゃいましたよ!!」


「すまん、すまん。ちょっと寄るところがあったから……」


「まぁ、仕事帰りに付き合ってもらってる身ですから文句は言わないですけど……」

私はわざとらしくプンスカと言いたげな表情をする。


「ねぇ、音愛さん……、この人は?」


「えっ、ああ、千佳さん?初めてだっけ?」

私がそう言うと、彼女はうなづく。


そういえば、千佳さんがいる時は片桐さんはいなかったし、その逆も然りだ。


「この人は会社の先輩で、私の……」


「カレシ?」

説明をしようとした刹那、千佳さんがとんでもない事を言い出し、私は咽こんでしまう。


それはそうだ。私と彼はそんな関係じゃない。


「ゲホ、ゴホ!!ち、違うよ!!この人が私の歌を作るのを手伝ってくれた人で、私の好きな……」

歌の作曲者……。そう言うにつれて、私の声が小さくなる。


好きと言う言葉に過剰に反応してしまい、恥ずかしくなったのだ。私がぶつぶつと言っていると、片桐さんは千佳さんに近づく。


「初めまして……。片桐奏人です。よろしく」


「近衛千佳です。音愛さんのファンです。よろしく」


……もや。

二人の会話に私の心が靄る。別にハグしたり、手を握っている訳ではない。ただ話をしているだけなのに……だ。


そのモヤモヤの理由が分からないまま、私は彼と千佳さんの間に割り込む。


「はいはーい。誰かさんのせいで遅くなったんで、ライブ始めたいと思いまーす!!」


「お、おい……」

私に身体を押された片桐さんが、戸惑いながら後ろを向く。それを見た千佳さんは呆れた表情を浮かべながら、「ほんと、分かりやすいんだから……」と呟く。


その声に気づく事のない私が、彼の背中を押そうとすると、コツン……と手に何かが当たる。


「いたっ……。何?」

そう言いながら痛みを感じた手の方向を見ると、片桐さんが背中に何かを背負っていた。


それを私はまじまじと見る。

ギターを入れる為の袋のようだが、アコースティックギターに比べると薄く、エレキギターより大きい。


「なんですか?これ?」



私の質問に片桐さんは、「ん、ああ。これな……」と言うと、背負っていた袋を下ろす。

そしてファスナーを開け、中身を取り出す。


その中から出てきたもの、それはエレキベース。しかも新品のだ。


「ど、どうしたんです、これ?」

ベースを見た私が、片桐さんに慌てて問いかけると、彼は苦笑を浮かべながらこう答えた。


「……買った」


「はぁ!?」

私は、それこそ信じられないと言った顔をする。


それもそうだ。ベースは決して安いものではない。ピンキリとはいえ、安いものでも数万円するのだ。


しかも、今日は平日……。仕事帰りなのだ。

なのに、彼はそれを買ってきた。衝動買いにしては大きな買い物だ。


だが、彼は何食わぬ顔で笑う。


「ははは……。前からずっと迷っていたんだ。買うかどうか」


「家にもあるじゃないですか!?」


「あれはこのベースの何倍もするからな、そう易々と持って歩けないよ」


「はい?」

彼の言っている意味がわからなかった。


「君が歌う時はよく雨が降るからね……。壊れたら大変だ。けど、これなら……」

彼はそう言うとベースの下を持ち上げて、買ったばかりのそれを眺める。


どこか懐かしむような、どこか悲しげな瞳。


「……俺が初めて買ったやつと同じ型の奴だ。前から気になっていたんだけど、諦めてたんだ。だけど、君の歌を聞いて……、やっぱ欲しくなってね」

そう言うと、彼は大事そうにベースを抱えたまま、アンプの方に向かう。


だけど、私は彼の説明に納得がいかない事があった。


「昔使ってだベースはどうしたんです?」


「ん?あれは……」

私の質問に、彼は少し悩んだそぶりを見せる。そして、「売っちまった」と乾いた笑いを浮かべながら言う。


それが何を意味するのか、私は分かったような気がする。


ベースはリズムを司る楽器だ。

ギターやピアノのように主旋律を担当するような楽器ではない。


と言う事は、売った時点で彼は夢を諦めたのだ。だけど、今こうやって自身の原点に戻る為に再び同じ物を買った。


私が影響したのかは分からない。


だけど、アンプにシールドを繋ぐ彼の背中が愛おしくなる。


彼の曲で私が立ち上がり、私の歌で彼が奮い立つ……。目に見えない縁が私と彼を繋いでいる。それがただ……、愛おしかった。


「……水鏡、歌うぞ!!」

準備ができたのか、彼は意気揚々と私を鼓舞する。それを聞いた私は、今まであった不安や恥ずかしさが消え、大きな声で「はい!!」と返事を返す。


彼との初めての……共演だった。






「……で、何を?」


「あっ……」

早速共演開始……と言うところで、私は疑問をぶつける。


それはそうだ。何を歌うかを擦り合わせもしていなければ、急にベースを持って現れた彼と一緒に歌える歌などない。


現実はドラマのようには上手くいかないようだった……。


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