Track-10.part B 好き

はっと、私は目を覚ます。

そこは見慣れない天井……。


……えっ、どこ?ここ?

目の前に映る景色に、私は困惑する。


確か眠い目を擦りながらあの歩道橋に行って、片桐さんを見つけて……。


徐々に意識が鮮明になってくる中、私の耳はある音を認識する。それはアンプすら繋いでいない、ベース音だった。


しかもそれは私の好きな歌のベース音だ。


私が身体を起こし、その音の方に視線を向けると、そこにはベースを持った片桐さんが音を奏でていた。


その音は激しくも悲しい、そう……雨音の様な響き。だけど、それが心地よい。


ツー……。

私の瞳から、水滴が流れる。

外ではないから雨ではない。


だけど、2滴、3滴と雨の様に自然とこぼれ落ちる雫が、布団を持つ私の手を濡らす。


そして、感情が洪水の様に込み上げ、私は堰を切った様に泣き始めてしまった。その声に、彼がベースを弾く手を止めて、私を見る。


その視線を感じながらも、私は溢れ出た感情を抑え切れず、夢の中の少女の様に泣き噦った。






気の済むまで泣いた私だったが、徐々に落ち着きを取り戻すと、それまで何も言わなかった片桐さんが口を開く。


「……気は済んだか?」

その言葉に私はこくりとうなづく。


すると彼は大きなため息をつき、言葉を続ける。


「何があったか知らないが……。聞いてもいいか?」

こくり……。私は再び頷くが、しばらく黙り込む。


言いたい事や聞きたい事が山ほどあるが、何から聞いていいか分からない。


自分が内向的な性格じゃなければ、悩まずに済んだだろう。そんな自分が恨めしい。


が、ここまで迷惑をかけてしまったのだ。話さなければいけないだろう。言いたいことを纏めて口に出す。


「……ある人に言われたんです。何のために路上ライブをするのかって」

その言葉を彼は腕組みをし、聞いてくれる。


「私が歌いたいのは好きな歌を歌いたいだけだと思ってました。だけど、その人は中途半端だって言うんです。何を目指しているのかが分からないって」


「…………」


「私は歌手になりたいとは言いましたけど、それじゃあ……不充分だとも言われたんです。私くらいの人間はいくらでもいるって……」


「……そうだな」

彼は私の……、いや、羽旗舞さんの言葉に同意する。その言葉に、私の胸が痛む。


「私だってそれは分かっているんです。中途半端だって事は。だけど、それでも好きなあの歌を歌いたい。カラオケじゃなくて、私の歌とピアノで歌いたいんだ!!」


たとえ歌手になれなくても……。最後にそう小声で呟く。


感情的にならない様、私は言葉を選んで思いを口にしたつもりだが、支離滅裂……。自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。


「そしたらその人はそれじゃあダメだって言うんです。借り物の歌を歌っているだけだと、やがて消えていくだけだって。だから、自分で歌を作った方がいいって言われて……」

私は言葉を続けようとするが、続かなくなる。


私にとってその言葉は福音であるとともに、自分の才能の無さを自覚させる物だったからだ。


その事に気がついたのか、彼は今まで聞き役に徹していたのをやめ、口を開く。


「だから、自分でも作ってみた……と」

その言葉に私は頷く。


いくら描いても、考えても、何をやっても自分の音にならない……。それを自覚する度にうまくいかない自分に焦りと恐怖が入り混じる。


「幾ら音符を並べても、幾ら文字を紡いでもうまくいかない。それはもう既に存在している歌の様に思えちゃって……」

私は自分が考えている事、自分がやってきた事がバカらしくなり、片桐さんの部屋の天井を見上げる。


「……私には才能がないんですよ。あの歌を作った人みたいに、誰かの心に留まる様な歌は作れないって」

再び、私の目に涙が溜まる。弱い自分に気づき、傷ついたからに他ならない。


それを彼は苦々しく聞いていたが、それでも泣きそうになっている私に呆れたのか、大きなため息をつく。そして立ち上がると、彼の背後にある本棚に向かい、徐に何かを取り出す。


その様を私は涙を堪えながら見ていた。

彼はその"何か"を取る、とこちらに向かって来て、何かを手渡して来る。


それは一冊の古びたノートだった。


「ノート?」

手渡されたノートを受け取った私が、表紙をボーッとみていると、彼は「見てみ?」と押し殺した様な小さな声で言う。


その言葉に、私はノートを開くと、適当にページを捲る。そこには無数の五線譜が並んでいた。


それを見た私が彼の顔を見て、「これ、片桐さんが……?」と言うと、彼は小さく頷く。


その言動に私は驚き、ノートに目を落として次々とページを捲る。鉛筆で描いた音符とともに、何度も書き直した跡が見える。


「……これは昔書いた物の残り滓だ。幾ら自分が良い出来だと思って書いても、幾ら音を完成させても世に出回る事はない、俺の頭から出た滓みたいなもんだ」


「そんな事は……」

彼の言葉を否定しようとすると、彼は私の言葉を制す。


「どんなに……。幾ら時間をかけて音を積み重ねても出て来るのは滓みたいな音ばかりさ。満足いく物なんてできた事はない」

と言って、彼は部屋の周囲を見渡す。


その視線を追って、私も彼の普段使用するベッドから部屋を見渡す。そこにはキーボードやベース、アコギといった楽器とパソコン。そして埃を被った本棚があった。そこには数冊のノートが置いてある。


「うわぁ……」

それを見て、私は目を輝かせる。


それはこのノート同様に、彼が紡いできた音が書き連ねてあるのだろう。その音符の数々が星の様に連なり、そこは小さな宇宙……。いや、彼が生み出した音楽(せかい)になっているのだ。


それを想像すると、鳥肌が立つ。


彼がいつからこの世界を紡いでいるのかはわからない。だけど、それでもこうして歌になっているのだ。いまだに何も書いていない私には尊敬に値する。


だが、そんな私の思いなど知る由もない彼は自分を鼻で笑う。


「そりゃあ、そうさ。世に届けたいと思って書いた歌ががそうでないと気づいた時に……。ひとりよがりな歌だと言われた歌を誰が聞いてくれると思う?俺なら聞かないね……」


「それでも……、誰かの心にはきっと響く歌はあるはずですよ!!」

自分を卑下する片桐さんに、私は反論する。


それはそうだ。

まだ自分の(世界)すら作れていない身からすれば、彼はそれを作っているのだ。尊敬に値する。


だけど、彼はそれを否定する。


「ただ一人のために歌を歌うだけならいくらでも時間をかければいい。だけど、プロになると誓ったなら、それだけではダメなんだ……。自己満足では……」

そう言う彼の言葉に違和感を持つ。


それは私に言っているのか、自分にいい聞かせているのかはっきりしないのだ。


「……だけど、書いていればいつかは」


「10年書き続けて、何も形にならなかったんだ。青春も情熱も全てを捧げできたんだ。それでもダメなら諦めるしかないだろう?」


「…………」

彼のいい放つ言葉に私は言葉を失う。


10年……。私が口だけでプロになると言い出した日数を考えると、その長い時間の経過は想像を絶する。


途端に手に持つこのノート(せかい)が重みを増す。


「歌も、言葉も呪いだよ。まだ自分が積み上げてきた言葉の数々が、俺の居場所はここじゃないって言いかけて来るんだ」

その言葉に、私は彼と初めて会った日の事を思い返す。


日々見せる無表情とあの日、泣いている様に見えた表情が、今の言葉とシンクロする。


「……分かる様な気がします」

自分と同じ思いを持つ彼に同意する。


その言葉を聞いて、片桐さんは苦々しく笑う。

それはそうだ。既に私も同じ事を話しているのだ。


「ははっ……。似たような事を言ってたな」

そう言うと、彼は私から視線を逸らせて、言葉を続ける。


「……けど、君と違う事があるとすれば、俺には才能がないんだ。だから、現実を生きなければいけないんだ」


「………」

彼の言葉を、私は否定ができない。

彼が、どんな歌を作り……、歌ってきたのか分からないからだ。


私は手に持ったノートを再び捲る。そんな私を無視する様に、彼は言葉を続ける。


「ある人に言われたんだ。あなたには才能がないんだって……。その言葉が忘れられない」


……そうだろうか?


才能がなければこんなに歌を作り上げる事は出来ないはずだ。私にとっては完成度の高い歌の数々が並ぶノートだが、彼にとっては違うらしい。


そんな話を聞きながら、ページををめくっていくと、空白のページが現れた。それが意味するものは、この前のページの歌を最後に、彼の心が折れてしまったと言う事に他ならない。


「だから音楽への想いは心の奥底に沈めて、今も仕事をしている。自分の活かし方も知らず、生きる為だけに働く……。そんな虚しい日々に出会ったのが雪吹さん……、君のお姉さんだよ」

不意に、今聞きたくなかった名前が彼の口から飛び出す。


彼の心の奥にある思いの片鱗が見えたのだ。

その話をもっと聞きたい……。


だがその願いも虚しく、彼は言葉を続ける。


「最初は仕事ばかりで、人の心がないのかと思った。思っていた。だけど、あの人の下で働いていると、嫌な事も、音楽の事も忘れられる。あの人は現実を生きれる人だから……」

彼のお姉ちゃんに対する評価が的を得ている事に驚く。お姉ちゃんがこんな性格になったのには家庭環境における訳があったからだ。


しかし、彼の言う嫌な事という言葉に私は引っかかる。それはこのノートに記された言葉にもつながるのだ。


歌詞に多用される、私という一人称がどうしても気になったのだ。それはただ一人の為にという言葉と、彼の言うあの人の存在がダブって見えた。


だが、空白のページの前の歌には私という一人称は出てこない。君と言う二人称の言葉が多用されていたのだ。


……恐らくこれは彼が書いた失恋の歌だ。


心にドロドロとした感情が芽生えて来る。

その歌の中身を知る為に、再度、私はその歌の書いてあるページを捲る。


そして、書かれていたタイトルに目を移すと、ある文字が目に入ってくる。その文字を見て、私の身体がプルプルと小刻みに震え出す。


……まさか。


その歌のタイトルを見て、私は彼の顔を見ると、彼は小さくうなづいた。


「雪吹さんの背中を追い、夢から目を背けようとした矢先に、出会ったんだ」

その言葉に私は大粒の涙を目に浮かべる。


「あの日……、俺が作った歌を歌う君に……」

その言葉に私の涙腺が崩壊する。


所々歌詞は違うが、音程やリズム……それらは私が知っている……今の私を作り上げた、あの歌に間違いはなかった。


「まさか、まさか……」


私はそう言いながら、小さく首を振ると涙を抑える為に顔を押さえる。


憧れていた人が、こんなに近くにいた。その運命じみた出会いに、驚きを隠せないのだ。


嗚咽混じりに泣き噦る私を彼は優しく撫でる。

その手の温かさに、ますます涙が溢れてくる。


「あの雨の日……、自分が昔作った歌とそっくりなシュチュエーションに感傷に耽っていたんだ。そんな時、君があの歌を歌っていた事に驚いたよ……。まさか、無名の自分の歌を知っていてくれる人がいるなんて……、思いもよらなかったよ」

その言葉に、私もうんうんと頷く。


それはそうだ。


あの日私が歌うことを決意しなければ……。

あの日私が帰っていれば……。

あの日、彼が通らなければ……。

彼が歌を書いていなければ……。


あの日の、あのタイミングで彼の歌を歌っていなければ、私たちはこうして出会う事もなかったのだ。


その数奇な運命に、私は驚きとともにとある想いが宿る。だが、彼は予想外の言葉を放つ。


「俺の書いた歌を歌う君を見て、俺は戦慄したよ。まさか、作った本人の想定より上手く歌い上げる君に……、驚いた」


「えっ?」

その言葉に、私は顔を上げる。


憧れていた作曲者本人に褒められたのだ。無理はない。喜びと恥ずかしさに身悶えしそうになる。


「歌も演奏の才能も俺が求めていたものに近い君の歌に、隠していた想いが甦った。もしかしたら……、君なら……ってね」

まさかの告白が彼の口から飛び出す。


彼の歌に憧れ、夢を抱いた私と私な歌に夢を思い出し、才能に惚れた片桐さん。相思相愛の様にも見える。ならば何故、彼は今の今まで真相を語ってくれなかったのだろう?


その理由はすぐにわかった。


「だけど、才能の無い俺が君の前にしゃしゃり出ていいのだろうか、悩んだ。多分、俺が居なくても、君はいずれ誰かに見出されるだろう。そう思うと、自分が恥ずかしくなったんだ。なら前に出ず、君が歌う姿を見守守ろうと思ったんだ。羽ばたくその日まで……」


「そんな事、言わないでください。あなたの歌が……、私を駆り立てたんです。自信を持ってください」

私がそう言うと彼の表情が固まる。そして、一雫の涙が溢れる落ちる。それは彼が今まで心の底に溜め込んだ呪縛(ことば)を解き放つかの様に……。




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