Track-10.part A 好き

『歌手、水鏡音愛でありたいなら、歌を作りなさい』

私は一人、羽旗舞の言った言葉を思い出していた。


彼女の言葉は私にとって、福音だ。


歌手にならんとするならば、歌の一つも作れなければいけないという言葉は私の胸に刺さった。


だけど、どうやって歌を作ればいいのだろうか?


五線譜を取り出し、思いついたフレーズを書いては消し、弾いては消すを繰り返す。だが、納得する音にならない。


それはどこかで聴いたことのあるフレーズだったり、好きな歌にどうしても曲調が似てくるからだ。


作曲なんて同じコードのパターンの繰り返しで、少し勉強すれば音にはなる……、とインターネットで調べると書いてあった。


だが、それだけじゃない。

組み替えても組み換えても、音が嵐になって私の脳をかき乱す。


時に何かを感じるために散歩をしてみたり、時に耳栓をして無音状態を作り、私が求める音を作ったりしてみるが、音は出てこない。


ましてや、私は作曲家ではないのだ。

仕事にも行かなければならない。


寝る間も惜しんで作曲の事を考え、キーボードを弾き、少し休んで会社へ行き、仕事をして帰り、食事も惜しんで作曲に没頭する。


そんな試行錯誤の日々が2週間続いた。

今日も今日とて仕事……。


精神をすり減らし、音楽と仕事……、両面を思考する事が次第に億劫になってくる。


いっその事、やめよかな……、なんて思考がよぎる。が、それは自分が許さない。だから、どんどん深みにハマっていく。


そんな疲れ果てた私は出社して早々、デスクに頭を乗せる。


ピロン♪

手元に置いていたスマホの通知音がなる。


その通知に気づき、私は画面を朧げに眺めると、そこには近衛千佳の名が表示される。


tika:音愛さーん、そろそろ路上しませんかー?


その文面を見て、私は最近路上ライブをしていない事に気がつく。


「最近、歌ってないなぁ〜」

気づかない内に独り言が自然と漏れる。


とん……。

私の眼前に突如、手が降りてくる。


眼前とは言っても、私の目の前ではない。

私のデスクの隣のデスク……、そう、片桐さんのデスクだ。そこに置かれた手を視線で追ってみると、少し離れた位置に私の顔を見る片桐さんの顔が写り込む。


「……最近寝てないのか?」


「え、あ、えっ?」

片桐さんの言動に、私は戸惑う。


いかに小声とはいえ、隣の席なのだ、歌っていないと寝ていないを勘違いすることはない。


敢えてなのか、ただ聞こえていないのかは分からない。が、彼は私に心配の声を掛けてくるその視線に、私はあたふたとしてしまう。


あの日以来、ちゃんと彼の顔をまともに見ていないのだ、喪女がテンパってしまうのも仕方のない事だ。


そんな私の心中なぞ知らない彼は無表情だが、少し心配を含んだ声色で声を掛けてくる。


「……悩み事か?」


「えっ、いや……」


「最近なんか……、仕事に集中出来ていない気がするが?」


「…………」

彼の言葉に私は何もいい返せない。

自分でも何を言っていいかわからないのだ。


仕事の事じゃない。

プライベートの事なのだ。


歌の事、路上ライブの事……。

仕事以外で話をできるはずの片桐さんに、その相談ができない事が歯痒いのだ。


だが、それは当然だった。


そのプライベートの事の一つに、片桐さんのことも含まれているのだ。


お姉ちゃんとの事、路上ライブの事、あの歌の事……。聞こうと思っていた事が何一つ聞けず、心のモヤモヤがまま、今の今まで過ごしてきたのだ。


例え作詞、作曲に没頭していたとしても、頭の片隅に巣くったモヤモヤが顔を出してしまうのだ。だけど、それを彼に言うわけにはいかない。


ただ……、話だけはしたい。


「ここでは話せない事があるのか?」


「…………」

私は無言のまま、小さく頷く。


お姉ちゃんの前では言えない事もあるのだ。


「分かった。じゃあ、今日、時間を作る。だから、今は仕事に集中しろ」


「…………はい」

そう言って、彼は自分の席のパソコンの方を向き直す。


時間を作る……。それは久しぶりに路上に付き合ってくれると言う事だろう。


その言葉に歌える喜びとお姉ちゃんに対する申し訳なさが混在する。


私はチラッとお姉ちゃんを見る。

いつものスーツを着る姿とあの日のお姉ちゃんの服装がイコールにならないのだ。


だが、私が前に進むためにはきっと必要な事なのだ。そう考え直し、私は眠い目を擦りながら仕事をこなす。


夜に片桐さんの前で歌うために……。


「はぁ……、終わった」

終業時間内に仕事を済ませた私は帰り支度を済ませ、会社を出る。そして、電車に揺られ、帰宅した。


自宅に戻ると路上ライブに行くための支度を始める。仕事用の服から路上ライブ用の服に着替え、メイクを路上ライブ仕様に直す。


メガネからコンタクトに変え、化粧箱を出す。

そして、鏡に自分の顔を映す。


そこには寝不足のせいで、目下にはっきりとクマが出来ていた。そのクマを見て、私は大きくため息をつく。


今までは気にも留めなかったクマが、今日に限って目立ってしまうのだ。こんな顔で仕事をしていたのかと思うと、顔から火が出る。


それを隠すかの様にファンデを上塗りする。

こんな情け無い顔を見せられない。


ピロン♪

化粧をし直していると、LINEの通知音がなる。


『いつもの時間に、いつもの所でいいか?』

片桐さんからのメッセージだ。


そのメッセージを見て、秒速で『はい!!』と送ると、彼もすぐに『了解』と送り返してくる。


その短い文を見て、私の頬は緩む。

いつもの時間に、いつもの場所……。その二人だけしか知り得ない会話がどことなくくすぐったい。


だからこそ、こんな面は見せられない。

気合いを入れ直し、化粧をし終えると、私はキーボードを抱えて部屋を飛び出した。


そしていつもの場所に向かう。

その道中、胸の高鳴りを感じる。


だが、寝不足というのはその胸の高鳴りを霧散させる。電車内で握り棒に捕まり、目的地に向かっている最中、私は急な睡魔に襲われる。


うつら、うつらと、船を漕ぎそうになるのを、ひたすらに耐えるが、電車の揺れはまるでゆりかごの様だった。


気がつくと、私が降りる駅だった。

出口の近くに立っていたからスムーズに電車から降りる事は出来たが、足が重い。


重い身体が重いキーボードを抱え、フラフラになりながら歩く。そしてエスカレーターに乗り、地上へと向かう。


私が地上に出ると、すでに夜の帳が下りていて、街灯や車のライトがあたりを照らしていた。


キラキラと光が絶えない繁華街を歩き、歩道橋の下に向かう。雨が降っていないからか、いつもに比べ、人通りが多い。


その波に飲まれない様に、歩いていると目的の歩道橋に近づく。その歩道橋が目に入ると、そこに今着いたばかりであろう、背の高い男性の姿が目に映る。


その姿は街灯や車のライトに照らされた、片桐さんの姿だった。


……トクン。

その姿を見て、私は胸を高鳴らせる。

彼の周りがキラキラと輝いて見えるのだ。


「あ……」

片桐さんに声を掛けようとした私だったが、声が出なかった。


普段なら私が先に来て、準備をしていると彼が来るのだが、今日は違う。


先に彼が来ている……。

その安心感を感じた瞬間、私の身体はまるで糸が切れたかの様に力を失う。


「水鏡!!」

記憶を失う最中、片桐さんの声が耳に響く。

その響き渡る声と、身体が感じる暖かさに包まれた私は……夢の中に身を委ねた。





私は……、夢を見ていた。

もはや感じることのない、温もりに包まれた夢だ。


それは一言で表すなら安心だ。


お母さんとは違うゴツゴツした大きな身体に身を預け、安堵の中で眠る……。そんな夢だ。


それはとうの昔に失ってしまった感覚で、懐かしくも幸せな感覚……。


そんな中、夢の中に出てきた人は低い声で私に笑いかける。


『音愛は歌手になれる』

そう言うと、夢に出てきた人の感覚が消える。


『お父さん、待って!!お父さん!!』

不意になくなった安心感に、小さく、幼い私が泣きじゃくる。


が、なくなってしまった感覚は戻る事はない。

それが、わかっていても、幼い私は泣き続ける。


〜〜♪♪

泣いていた私の耳に、音が飛び込んできた。


その音は、雨の音に似たリズムを奏でる音。

お父さんを失った私が聞き続けた音楽だった。


だが、いつも聞いている音楽とは違った。

いつもの歌なのに、ピアノの音が足りない。

それどころか、歌声すらないのだ。


ただ響き渡るのはベースの弦を弾く音……、それだけだ。


だが、その音に聴き覚えがあった。


それは……。






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