六粒目


「うわぁ、すごーい! とっても美味しそうなチョコレート!」

「はい、凄いです! みなさんのお陰で、本当に素敵なチョコレートができました!」


 赤松あかまつさんと綾部あやべさんが、黄色い声で歓声を上げた。目の前のテーブルにはウチの店で売り出すものと遜色のない、美しいトリュフチョコレートが凛として並んでいる。

 首尾は上々。名塩なじお加西かさいの見せ場も存分に作れたし、女性陣はこうして心から喜んでくれているようだ。パティスリー・ミキのチョコレート教室は大成功と言っても過言ではないだろう。


 ただ、問題があるとすればひとつだけ。僕が全力サポートしたせいで、名塩と加西が狙っていた義理チョコ用の失敗作がひとつも生まれなかったことだ。

 まぁでもそのお陰で。ワンチャン、赤松さんと綾部さんが作った目の前のチョコレートが、アホ二人の手に渡るってことも──、あるかも知れないよな。あるかも知れないよな!


 照明の光を受けて、宝石のように煌めくトリュフチョコレート。それを優しい目で愛でながら、赤松さんと綾部さんは綺麗にラッピングしていく。細い指がしなやかに動いて、チョコが可愛らしい箱に入れられる。そこに付けるリボンは深い赤色。センスがいいなぁ、可愛い女の子たちは。


 やっぱり「人に贈る」って、とてもいいよな。こういう仕事をしていたら尚のことそう思う。誰かに喜んでほしいという純粋な気持ち、その最たる例が「菓子」なのだろう。

 だって詰まるところ菓子なんて、生きていく上で必需品じゃない。食べなくても別に死なないのだ。だけどそんな菓子が、人類の長い歴史のなか今日こんにちまで残っているのは、人が人に何かを贈ることは素晴らしいと皆が認識しているからだろう。


 誰かに心から喜んでもらうため。その為だけに、より美味しく進化して、そして現在まで残っている菓子。人を喜ばせるために存在する言わば善なるもの。僕はその作り手になりたい。今日、僕は改めて心に決めた。

 大学を卒業したらパティシエを本気で目指そう。大学でしっかり経営を学んで、そしていずれこの店を父親から継いで、僕の菓子を食べてくれる人を幸せにしたい。食べた人が「美味しい」と思ってくれたなら、僕は幸せ者だ。


「マコトお兄ちゃーん!」


 そんな思いに耽っていると、その辺の天使よりも可愛いすずちゃんが、ぱたぱたと走って僕に近づいて来てくれた。頬にはチョコレートが付いていて、よく頑張ったことが自然と伺える。加えてこの楽しげな表情。きっと楽しんでくれたんだろうなぁ。


「鈴ちゃん、どうだった? チョコレート、上手く作れた?」

「うん! とっても美味しいのができたよ! 味見したら、ほっぺが落ちそうになっちゃった」

「そっか、頑張ったねぇ。あとごめんね、今日はこっちのテーブル担当で鈴ちゃんのところに行けなくてさ」

「それは全然大丈夫! むしろ都合がよかったから!」

「えっと、都合がいいって?」

「だってチョコレートを渡したい人と一緒に作っちゃったら、サプライズにならないでしょ?」


 そう言って鈴ちゃんは、綺麗に包装された箱を僕に手渡してくれた。これは、もしかして……。


「マコトお兄ちゃん。それ、鈴からのバレンタインチョコレートだよ。マコトお兄ちゃんが好きだって言ってたピスタチオをたーっぷり入れてるの。もちろん私のだから、味わって食べてね! それじゃあまたね! お返し待ってるよー!」


 僕がお礼を言う前に、鈴ちゃんはぱたぱたと走り去ってしまった。僕の手には、鈴ちゃんからのチョコレートが確かにある。

 やばい、これは嬉しすぎる。初めてマトモに貰ったチョコレートが、天使からの本命チョコだなんて。僕、うっかり天に召されたりしないよな? 大丈夫だよな?


「三木くん、やるねぇ! 可愛い女の子からの本命チョコだなんて素敵だな。やっぱりパティシエってモテるんだねぇ」

「いやいや、でもこれ小学生の……」

「歳なんて関係ありませんよ、三木さん。誰かが誰かを想う気持ちに、歳にかかる優劣なんてありません。それは三木さんもよくわかっているのでは?」


 女性陣にそう言われたら、やっぱり悪い気はしない。鈴ちゃんにはホワイトデーに、僕が本気で作ったお菓子を返そう。もちろん腕によりを掛けて。

 

「贈った相手が嬉しそうにしてくれるだけで、贈った側も嬉しくなれるんだよね。さっきの鈴ちゃんって子も喜んでると思うよ、三木くん。バレンタインってやっぱり素敵だね」

「私もそう思います。だからなんだか勇気が出ますよね、贈る側の私たちは。今回はこの教室で、そして御三方おさんかたのお陰でとても美味しいチョコレートが作れました。どれほどお礼をしても足りないくらいです。参加して本当によかった」


 自分で言うのもアレだけど、僕が鈴ちゃんにチョコを貰ったお陰で、かなりいい流れになってるんじゃないか? ここでなんとか女性陣が作ったチョコを、アホ二人に向ける流れが出来たなら……!

 ここがチャンスかも知れない。いやチャンスだ、そうに違いない。さりげなく「そのチョコの行方」を訊いても大丈夫な空気感になっている。


 よしここだ、と僕は意を決する。

 アホ二人のためにも僕が道を切り拓く!


「あ、あのさ。二人はそのチョコ、誰に贈るのかな。もし贈り先が決まってなかっ──」

「三人とも、本当にありがとね! これでとっても素敵なチョコレートを、ことができるよ! 私、勇気が湧いてきた!」

「はい、アカネの言う通りです。私もこれで、初めてです。みなさん、本当にありがとうございました。私、頑張ります!」



 ──えっ? か、彼氏……?


「私たち、本当にお料理が下手で。いつも彼氏に文句言われてて、ずっと悔しいなぁって思ってたんだ。でも三人のお陰で見返してやることができそうだよ!」

「私もいつも彼氏にはバカにされてたんですけど、これで絶対に文句は言わせません。私だってやればできるってこと、証明できそうです」

「ほんとにありがとね! じゃあみんな、また大学で!」

「はい、またです! みなさん!」



 そう言い残し、チョコをラッピングし終えて颯爽と帰っていく赤松さんと綾部さん。いや、ちょっと待ってくれ。この終わり方は、あんまりじゃあないか……?

 隣で微動だにしない名塩と加西を見ると、完全に魂が抜けていた。目の焦点も合っていなければ、時折「うひゃひゃ」という奇声さえ聞こえる始末。これはヤバい。

 

 フラフラと歩を進めたゾンビのような名塩と加西は、シンクに置いていたボウルに手を伸ばす。そこには二人が女性陣を必死にサポートした名残の、最後のテンパリングで残ったチョコレートの残骸があった。


「……これ、よォ。あの子らが作ったチョコの残り、には違いねぇよなァ……?」

「あぁ、違いない……。それはまさしく、あの子たちが作ったチョコレートの、その残りだ……」

「てことはよォ! このチョコの残骸は、もはやあの子らが作ったチョコと同一だよなァ! だって少し前まで同化してたんだからなァ、あのトリュフチョコとよォ!」

「あぁそうだ、確かに同化していたぞ! 俺はこの目で見た! 間違いなくな!」

「つまりこれを貰えばよォ! オレらはチョコを貰ったつってもイイんだよなァ!」

「あぁ、その通りだ加西ッ! 俺たちは! 人生で初めて! 女の子から手作りチョコを貰った! 今日は記念すべき日だッ!」


 アホ二人はそれぞれボウルを手に持ち、ゆっくりと、そしておもむろに顔を近づけていく。まさか舐める気か! ダメだ、それだけは! 人としての矜持を簡単に捨てるな!


「おい二人とも、やめろ! それは舐めていいものじゃあないッ!」

「三木、すまねぇなァ。オレらは先に逝く。お前は、鈴ちゃんを幸せにしてやるんだぜ。あの子は今でもいい女だが、あと二、三年すりゃあもっといい女になる。だから離すんじゃねーぞ?」

「そしていつか俺たちのことを、あの子に語ってくれ。お前の親友──、いや義兄弟二人の生き様と、そして散り様をな」


 やめろ、逝かないでくれ。

 お前らが死ぬのはまだ早い。三人で何も成し遂げてないだろ? 頼む、やめてくれ! 僕はお前たちを失いたくないんだ!


「さァて、逝くかァ名塩ォ! チョコレート・パラダイスに溺れようぜェ!」

「あぁ、逝こう。日本男子の潔さを見せてやる!」

「逝っくぜェェェ!」

「介錯不要ッ! いざ参るッ!」


 二人はボウルに顔を突っ込んだ。止める間もない、神速のムーブで。

 そして一瞬の間の後、顔をチョコまみれにしながら、天井を仰いで二人して叫ぶ。それは魂の慟哭と呼ぶに相応しい、二人の最期の声だった。


「あぁうめぇ! そして甘ぇ! 涙が出ちまうくれぇによォ、甘いぜこれァ! ここが桃源郷かよォ!」

「あぁ美味い! なんて甘さだ! これが女の子の手作りチョコレートの味ッ! 俺はこの味を死んでも忘れないッ!」


 それを言い終えた二人は、冷たい床の上に大の字で倒れ込んだ。口からはチョコが垂れ出ているけど、不思議と二人の顔は晴れやかだった。何か大きなことを成し遂げた──、そんな男の顔だ。


 義理チョコならぬ、ギリギリチョコレートと呼ぶべき「ギリチョコ」を食べて逝くとは二人らしい。僕は目の端にあった涙の粒を指で拭う。そして、腹を括った。


 ──忘れてないか、二人とも。僕たちは桃園の誓いを交わした、義兄弟ってことを。



 我ら三人、生まれし時は違えども。

 同年、同月、同日に。

 共に死せんことを誓わん。



 二人の間に転がったボウルを持って。中身を指先に乗せて舐めてみた。

 強烈な甘さの中に感じる確かなほろ苦さ。そして自身の涙からくる僅かな塩味が、えも言われぬアクセントを演出している。

 詰まるところこれは、究極のビターチョコレートだ。


 あぁそうか、そういうことか。

 甘かったり苦かったり塩っぱかったり。

 色々混ざり合って、でも最終的にはやっぱり苦い、僕たちの人生そのもののような味。





 これが、失恋の味──。





【終】




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