五粒目


「──おっと、二人ともオレらのこと知ってくれてんの? そりゃ嬉しいなァ。オレと同じ学科の赤松さんと、名塩なじおと同じ学科の綾部さんだよな。美人二人に名前を知ってもらえてるなんて光栄の極みだぜ。なぁ、名塩ォ?」

「あぁ、その通りだ。同じ大学だから、迷惑でなければ一度話してみたいと思っていたんだが、なかなか機会がなくてな。しかし本日、俺たちは同じグループのようだ。いい機会が巡ってきた。どうか今日はよろしく頼む」

「私たちのことも知ってるの? わぁ、ありがとう。改めまして、って今更ヘンかも知れないけど自己紹介しとくね。私は赤松あかまつアカネ。で、こっちが私の親友の──」

綾部あやべアヤカです。よろしくお願いします」

「あぁ、よろしく! なぁなぁ、早速聞いてもいい? 何でオレらのこと知ってんの? やっぱりアレな噂だったり……する?」

「まぁ、加西かさいは大学で結構やらかしてるからな。不名誉な有名人でも仕方なかろう。ヘリウムガス風船で勢いを殺し、校舎の三階から着地しようとしたあの事件は記憶に新しい」

「おいおい待てって名塩ォ! お前が主犯だろ? 絶対行けるつったのお前じゃねーか! こっちぁお前の謎実験に付き合ってやったんだぜ?」


 身振り手振りを加えて話す加西と、冷静に、でも少しの笑顔を含みつつ受ける名塩。それを見た赤松さんと綾部さんはクスクスと楽しそうに笑っている。なにこれ。


「笑っちゃいけないけどさ、あれとっても面白かったよ。加西くん、途中でカベに引っかかってたよね? 教授とかには怒られなかったの?」

「学生課の職員さんには死ぬほど怒られた。次やったらマジ停学だからなって釘刺されたけど、除籍じゃねーじゃんラッキー! って思ったなァ」

「あはは! 加西くん全然反省してないね!」

「あれ私も見てました。とても気持ちよさそうだった。空を飛ぶのはやっぱり、人類の憧れですね」

「おっ、綾部さんも興味ある? なら今度やってみる?」

「必要ならば手を貸そう。怒られない場所も見繕ってあるし、安全性は加西の時よりも格段に高い。もう安心して飛べる状況だ」

「おいおい名塩ォ、それオレが人柱みてーじゃねーか!」


 ……わいのわいの。きゃっきゃうふふ。


 いや待て。待て待て待て! どうしてコイツら、こんな流暢に女の子と話せてんだよマジおかしいだろ! ちょっと前まで可愛い女の子と喋る時、鼻血吹いてたようなヤツらなんだぞ! しかもナチュラルに僕を無視している! なんてことだチクショウ!


 僕の予想を遥かに超えて、めちゃくちゃ盛り上がっているような会話を繰り広げるアホ二人。付け焼き刃のメッキ掛けにしろ、現時点では完璧に擬態してやがる。しかもという点をプラスに変える会話巧者っぷりだ。

 目の前のテーブルでは「えー? それほんとー?」「とても興味深いです」「続きは? ねぇ続きは?」「まさかそんなことを? お二人とも凄いですね」などと女性陣からの楽しげなセリフが飛び交っている状況だ。


 僕はと言うと、その会話に加わるキッカケを完全に失っていた。そもそも僕はお客さんという立場じゃない。今回のお菓子作り教室のアシスタントだ。つまり目の前の四人とは決定的にポジションが違うのである。


 クソッ、なんてことだ。僕は無意識でアホ二人にマウントを取っていたのに、実はそうでもなかったなんて……! アホとはいえ友達に対して無意識のマウントを取るのもよくないし、挙句に実は取れてなかったというピエロっぷり。それを自覚した途端に視界が滲む。涙ではない。これは汗、いや透明な血液だ。

 僕は助けを求めるように周りを見る。すると、やや離れたテーブルで準備をしているすずちゃんと目が合った。


「マコトお兄ちゃーん、ふぁいとー!」


 手にした泡立て器を掲げて、鈴ちゃんは僕を鼓舞してくれた。もはや僕には、鈴ちゃんの背中には白い羽が、そして頭上にはふわりと浮かぶ光輪が見えていた。あぁ、そうか。そういうことか。

 物理的な距離は少し遠いが、精神的には触れられそうに近い位置。そこに、僕の天使がいた。

 連れて行ってもらえないだろうか。彼女の指先に触れて、天国へ。地上はもう僕がいるべき場所ではないのだ。だからいざなってほしい。純粋で無垢、そんな真っ白な世界へと──。



「ねぇ、三木みきくんのその服って、ここで働いてるの?」


 ──僕を現実に引き戻す声が聞こえた。危ない、ショックすぎて逝くところだった。はっとして視線を定めると、そこにはきょとんとした顔の赤松さん。咄嗟のことに僕が言葉を失っていると、フォローしてくれたのはアホ二人だった。


「あぁ、三木はこのパティスリー・ミキの跡取り息子なんだ。コイツの作るチョコレートはすげぇよ、マジで美味いんだよなァ」

「そんな三木が俺たちをこの教室に誘ってくれたんだ。友達思いのいい奴でな、俺たちはいつも感謝している」

「へぇ、そうなんだ! 三木くんって家がケーキ屋さんなんだね。羨ましいなぁ。じゃあ今日は三木くんがチョコ作りを教えてくれるってこと?」

「まぁ、部分的にはそうなる……ね。メイン講師は僕の父親だけど、僕はこのテーブルのサポートを、任されてるから」


 と、何とか言葉を紡ぎ出すことに成功した。もう意地だ。ここで自分が機能しないと、取るに足らない路傍の石以下の存在に成り果てる。だから仕事だけはきっちりとこなして、真人間まにんげんであることをアピールするしかない。もはやモテるモテないの次元ではない。生死を賭けた戦いへとシフトしているのだ。


 ちょうどその時、父親兼オーナーパティシエがよく通るバリトンボイスで説明を始めた。ついにお菓子作りの開幕である。


「本日は、トリュフチョコレートをみなさんで作りましょう。比較的簡単に作ることが出来ますが、しかし奥深いのがこのトリュフ。チョコレートは非常にデリケートな素材です。適切なテンパリング──、つまり下拵えを怠れば、高級チョコレートとて味が格段に落ちてしまうのです。では、我々スタッフが途中までテンパリングしたチョコレートがありますので、各テーブルから二名ずつ、こちらまで取りに来て下さい。その後は各テーブルにアシスタントを置いておりますので、不明点があればお気軽にご質問ください」


 あ、それじゃあと赤松さんが声をあげて、綾部さんを連れてテンパリング済みのチョコを取りに行ってくれることになった。その足取りは軽やかで、後ろから見ていても楽しそう。それはスタッフとして嬉しいけれど、僕はそれよりも何故こんなことになっているのかが気になって仕方がない。女性二人がこの場にいないことをチャンスと捉え、意を決してアホ二人に訊いてみることにする。


「なぁ、二人とも。いつの間に女の子と喋れるようになったんだ。ちょっとびびったよ。まるで別人みたいじゃないか……」

「そんなの今日のために猛練習したに決まってんだろォ?」

「あぁ、血も滲むような努力の賜物だ。俺と加西は必死で勉強した。モテるための教科書として名高い、どきどきエモREALリアル──、通称『どきエモ』でな」

「恋愛シミュレーションゲームかよ! でもそれで実際話せてるって凄いなおい!」

「徹夜でやってたからよォ、今のオレには視界の下端に会話の選択肢すら見えるぜ?」


 ニヤリと加西は笑っているが、それはきっと幻覚だ。ただでさえヤバいのに、その発言は拍車が掛かっているようにしか思えない。


「まぁ、ここまでは想定内だ。さすが『どきエモ』、チョコレート教室編のシナリオまでカバーしてあったからな。何百通りもの選択肢を全て網羅した結果、俺たちは問題なく彼女たちと会話ができているという訳だ」

「チョコレート教室編! ピンポイントが過ぎる!」

「けどよォ、問題はこっからなんだよなァ。『どきエモ』のシナリオでは、作るチョコはジャンバラヤだったんだ。でも今回はトリュフを作るんだろ? マジで未知の領域だぜ」

「ジャンバラヤは米料理だよ! ジャンドゥーヤな、ジャンドゥーヤ!」

「おぉ、それだジャンドゥーヤ! やっぱ三木がいねぇとよォ、オレらは調子が出ねぇなァ!」

「加西の言う通りだ。バレンタイン関係は三木がエース。三年前のバレンタイン、俺たちは三木のおかげで世間に一矢報いることができた。だから今年も頼んだぞ、三木」


 そう言って二人は、一般的に見て気持ちの悪い笑顔を僕に向けてくる。その顔を見て僕は不思議なことに、本当に不思議なことに──、悪い気がしなかった。

 あぁ、そうか。そういうことか。コイツらはアホなりに頑張っているだけなんだ。ただ自分の好きな女の子に、少しでもいいところを見せようとしているだけ。決して自分だけモテようとか、自分だけ抜け駆けしてやろうとか、そんなことは多分、微塵も思っていないのだろう。


 何故なら二人はアホだから。アホで単純で不器用で、救いようがないほどやっぱりアホ。でもそんなアホたちが僕の──、友達なのだ。

 ならばそれをサポートするのはやぶさかではない。冷静に考えてみれば、名塩と加西に彼女ができたら僕だって嬉しいのだ。

 もしも二人に彼女ができて、僕だけできなかったとしても。きっと二人は僕をサポートしてくれるだろう。不器用なりにアホなりに、いろいろ手を尽くしてくれるのだろう。


 いい加減、僕も認めよう。

 名塩と加西は僕の親友──、いや義兄弟なのだと。


 だから、アホ二人には幸せになってほしい。それは僕の、純粋な願いだった。



「どしたの? 三人とも。なんかとっても楽しそうな顔してるね?」

「やっぱりみなさんは、凄く仲がいいのですね」


 チョコを取りに行ってくれていた女性陣が、テーブルに戻ってきた。よし、ここからは僕の仕事だ。本気で頑張って、アホ二人がカッコよく見えるように全力サポートしてやろう。そして二人の恋が上手く行った暁には、次は僕の番だとそう信じて。


「──よし、それじゃあ始めようか。パティスリー・ミキが贈る、愛に溢れたバレンタインチョコレート教室を!」





【続】



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